だまっていては何も変わらない!行動でホップの危機を乗り越える#007佐々木悦男
佐々木悦男
Sasaki Etsuo
遠野ホップ農業協同組合 前組合長
プロフィール
遠野市出身。1970年頃から家族でホップ栽培を開始。2002年度から遠野ホップ農業協同組合組合長に。遠野市役所、キリンビールとの連携や視察対応に携わるだけでなく、他のホップ生産者組合との交流も行ってきた。遠野市在住歴77年。
「ホップ農家が減ってきているという危機感を感じたのは震災後ですね。このままいくと近いうちにホップ農家がゼロになってしまうのでは、と」
そう思った佐々木悦男は、遠野市長に現状を何度も訴えました。
ここ10年でのホップ農家の減少は20名。この状態であと10年経ったらもっと減ってしまう。ホップ農家の年齢も60代、70代が多い。ゼロにはならなかったとしても、少人数でいいものを作っても全国に発信するのは難しい。
こんな状態を憂いた佐々木は「若い人に就農してもらわないといけない」と考えていました。遠野市に対してもキリンビールに対しても力説する日々。
その結果、農業の転職イベントにも参加したこともあり、数名が遠野に移住してホップ栽培を担ってくれることに。
「それでも、就農者が増えるというのはそう簡単にはいきませんよ」
とは言いながらも、遠野を変えていく最初の1歩は、実は佐々木の行動から始まったのです。
ホップ農家の減少は高齢化だけではない
遠野でホップ農家が減少しているのは、農家の高齢化が進んで跡継ぎがいないから。たしかにそれはひとつの事実ではありますが、佐々木によると「それはここ最近の話」。遠野で生まれ育ち、遠野のホップ栽培を50年弱に渡って見続けてきた佐々木だからこそ知っていることもあります。
遠野でホップ栽培が始まったのは1963(昭和38)年。東京オリンピックを翌年に控えた年でした。キリンビールとの契約栽培で、86名がホップ栽培を開始。
佐々木がホップ栽培を始めたのは、そこから7、8年遅れてのことでした。26歳のときに、父母と妻の4人でホップ栽培を開始。家族4人で栽培できて、それだけの耕地もありました。
当時、ビールは贅沢品。日常的にビールを飲むということは考えられないほどでしたが、「そんなビールの原料を作るってのは、なかなかいいんじゃないか」と佐々木は考えました。キリンビールからも指導員が常駐して指導していたというほどで、ホップ栽培にどれだけ力を入れていたかがわかります。
ホップ農家も増え続け、その数は200名を超えるまでになりました。しかし、時代は変わっていくもの。外国産の安い価格のホップに押され、日本産ホップの需要は一気に減っていったのです。
「その時期にホップ農家が100人くらい減りました。半分くらいに。このときの減少が本当に大きかった」
ホップ農家の高齢化が進んだという話よりも前に、遠野のみならず日本産ホップ栽培を揺るがす状況の変化があったのです。
佐々木の行動力が行政を動かす
そんな遠野のホップ栽培の栄枯盛衰を見てきた佐々木は、16年前から遠野ホップ農業協同組合の組合長に就任。56年も続いているホップ栽培ですが、実は佐々木が2代目。初代の組合長は40年間も担当していました。77歳になる佐々木にしてみると、組合長の職務は激務だったといいます。
ホップ農家としての仕事ももちろんありながら、遠野市役所やキリンビールとの連絡対応、広報担当のような観光対応など、春から収穫が終わる頃までは組合長としてほぼ何かしらの対応をしていました。
「1組の視察対応で半日はかかるし、それを1日3組も対応することもありました。美浦さんが対応してくれるようになってからは、だいぶ楽になりましたけど」
組合長の仕事としては、他のホップ組合との交流もありました。岩手県のホップ連合会や全国ホップ連合会で、懇親会や会議を通して栽培技術の交流を行うことも。そのなかでも「ホップの里からビールの里へ」を掲げて進んでいる遠野には、他の組合から話を聞かせてほしいという依頼が数多くあります。
他の組合もやはり一番の問題は高齢化。若い就農者を呼び込まないといけない状況ですが、そこで重要になってくるのが行政の存在です。その点では、遠野市はしっかりとした体制を整えていると言えるかもしれません。それも佐々木が市に対して常々お願いをしていたからこそ。就農者にとって、安心できるのは行政のバックアップだということを、佐々木は常に感じていました。
「市は一生懸命やってくれてますよ。ホップ担当の職員が5名ほどいるんですが、どの方でもしっかり対応してくれて、すぐ話が通じる」
それでも、他の組合からは「行政がなかなか対応してくれない」「行政にそういう組織がない」という話を聞くそうです。
「行政から何かやってくれることはないぞ、と。こっちから何度もお願いしないといけない。『行政にそういう組織がないから、ウチの地域ではダメだ』という話もされますが、ないからダメなんじゃなくて、組織を作るようにお願いしないとダメなんだと」
必要なことなら何度でも行政にお願いしないといけない。県民・市民がやりたいということを行政は拒否しないはず。佐々木はそう考えています。
「ホップの里からビールの里へ」と変わっていく遠野。その動きの全ての原点は、佐々木が10年前に抱いた危機感であり、そしてその熱意と行動力であることに異論はないはずです。
大切なのは遠野産ホップの量と質を維持していくこと
その佐々木が描く遠野の未来とは、どんなものなのでしょうか。ひとつはホップ畑でビールを楽しんでもらうこと。小鳥がさえずり、トンボが飛んでいるホップ畑。天気のいい日には、さわやかなホップの香りが漂います。そこで育ったホップがビールの原料として使われ、それを飲むことが明日への活力へとつながる。
「そして、ホップ畑でビールをグーッと飲んでもらえたら、忘れられない感動になるんじゃないかなと思うんですよ」
その遠野のホップを絶やさないためにはどうしたらいいか、ということもホップ農家として実直に考えていることがあります。大切なのは、量と品質。
例えば、「一番搾り とれたてホップ生ビール」には「遠野産」と書かれていますが、地域の名前が入っているビールは多くありません。それは遠野産のホップが量も品質もそれだけのレベルにあるという証明でもあります。
「このビールを全国の皆さんに喜んでもらっているのは、すごく嬉しいこと。そうやっていいイメージを持ってもらっているので、これを続けていくには、量と品質が大切なんです」
それも、遠野市がバックアップしてくれているので、前に進むことができると佐々木は言います。
「でも、だまっていたら誰も何もしてくれません。やりたいことを訴えないと」
こう考える佐々木の行動が、遠野を少しずつ動かしてきました。佐々木は2020年2月末で組合長を退任しましたが、遠野のホップ栽培が続いているのは佐々木の尽力があったからだといえるでしょう。
ホップの里からビールの里へ VISION BOOK
文
富江弘幸
https://twitter.com/hiroyukitomie
企画
株式会社BrewGood
https://www.facebook.com/BrewGoodTONO/
info@brewgood.jp
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2020年2月時点の情報につき内容が変更されている場合もございます。予めご了承ください。
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