見出し画像

今こそ課題解決を!次世代ホップ農家が栽培を継続できるように #023菊池一勇

菊池一勇
Kikuchi Kazuyu
遠野ホップ農業協同組合 組合長

プロフィール
遠野市出身。農協職員として勤務した後、1975年頃からホップ栽培を開始する。そのかたわら、旧宮守村議会議員、遠野市議会議員、花巻農業協同組合理事などを歴任。2020年度から遠野ホップ農業協同組合組合長に就任した。遠野市在住歴75年。

「新しい道に入るというのは、相当な決断。若い人は理想を持って遠野に来てくれている。苦しい思いはあまりさせたくないな……」

2020年度から遠野ホップ農業協同組合の組合長に就任した菊池一勇は、若い人たちがホップ農家として就農してくれるのを歓迎しつつ、解決すべき課題のことも考えていました。

新しいホップ畑を作る際の棚を建てる経費などをどうしたらいいか、冬の間の収入をどう確保するか……。

ホップ栽培面積日本一の遠野は、「一番搾り とれたてホップ生ビール」に遠野産ホップが使われたり、新規就農者も増えてきたりしています。その意味では他の地域に比べると恵まれている状況であるともいえるのですが、持続可能なホップ栽培を確立するには、まだまだ課題がたくさん残っているのです。

画像1

「若い人たちには、ホップ栽培での儲け方を確立してもらいたい。行政にも働きかけて、若い人たちがホップ栽培で経済的に自立できるようになっていかないと」

遠野でホップ栽培を続けて45年

20代の頃の菊池は、農協の職員として勤務していました。菊池の実家は農家。ホップ栽培だけでなく、しいたけなど他の作物の栽培や酪農なども行っていました。菊池は長男だったこともあり、1975年頃に農協を退職。実家でホップ栽培に携わることになります。

「1972年に旧宮守村農協が国の補助事業(特産物生産団地育成事業)を利用して、新規で56アールのホップ棚を作ったんですよ。それからもう45年以上になりますね。キリンビールが買い取ってくれるということも魅力で、安定した作物のひとつとしてホップ栽培を始めました」

遠野市でホップ栽培が始まったのは1963年のこと。ピークは1983年で、その当時、遠野市のホップ栽培面積は112ヘクタールにまで拡大していました。

ホップ農家提供写真6

ホップ農家提供写真4 (1)

菊池が農協を退職してホップ栽培を開始した頃は、まさにホップ栽培を伸ばしていこうという時代で、キリンビールも農協も全面的に後押しをしていました。江刺市(現・奥州市)にはキリンビールのホップ栽培の技術指導員が常駐し、農協でも各支所に指導員を勤務させるほど。

「遠野では当時の組合長だった佐々木國男さんが引っ張っていった時期でした。農業に対して情熱のあった方で、遠野ホップ農業協同組合の総会でも、農業について1時間くらい熱を持って話していましたからね。佐々木國男さんが遠野のホップ栽培を広げていったと言ってもいいかもしれません」

ホップ農家提供写真3

遠野ではホップ栽培がどんどん拡大。ホップは収穫後に乾燥作業を行うのですが、当時はその乾燥作業が追いつかないほどの収穫量だったといいます。しかし、徐々に価格の安い外国産ホップが入ってきたこともあって、日本産ホップの需要も減少。それに伴って、遠野のホップ農家も減っていくようになったのです。

しかし、それでも菊池はホップ農家を辞めませんでした。

「その当時、ホップ栽培をやめても他にやることもないし、若かったからまだやってみようと思ってね」

そんな時代から現在まで、菊池はホップ栽培を45年続けています。

課題解決には今動かないといけない

遠野のホップ栽培に45年も関わっている菊池だからこそ、遠野でホップ栽培を持続させるためには、さまざまな課題をクリアしないといけないと感じています。

「農村に住んで生活していくとなると、やっぱり農業が基本。それを大事にしながら、冬の収入をどう確保するかが課題ですね。そして、どんなにいいものを作ったとしても、知ってもらわないと売れない。遠野のことを知ってもらえる発信力をつけなければ」

そう話す菊池から感じられるのが、若い人たちへの思い。ホップ栽培を続けていくには後継者が重要だとも考えています。

画像5

例えば、遠野以外の地域では、ホップ農家を辞める人たちがまだまだ増えています。その理由のひとつは後継者がいないから。遠野の50代、60代のホップ農家は、栽培開始当時から育てられてきた後継者たちなのです。ホップ栽培を続けるためには、後継者を育てることがいかに大切かがわかります。つまり、いま若い人たちを遠野でのホップ栽培の後継者として育てないと、数十年後の遠野のホップ栽培がどうなっているかわからないともいえるでしょう。

「ホップ栽培の理想に燃えて遠野にやってきて、実際に現地でやってみたらあまり儲からなかったなんて思われたら……。もっと若い人を呼び込んで世話したいんだけど、そうやって考えてしまうと、遠野でホップ農家にならないかと声をかけるのは慎重になりますよね」

だからこそ、いま動かないといけない。若い人たちも含めて、ホップ農家がまとまって新しい提案をしていかなければ……。菊池は組合長として課題を解決しなければいけないということを、痛切に感じているのです。

ホップがあることで遠野に相乗効果が現れる

遠野でホップ栽培を続けていくために課題はまだまだあるものの、遠野には他の地域にはない魅力や可能性があるとも考えています。そのひとつが遠野のホップを使用した「一番搾り とれたてホップ生ビール」(以下、「一番搾り とれたてホップ」)。

画像7

「一番搾り とれたてホップ」は全国で販売されるビールですが、遠野では発売日の前日に「初飲み会」と称して関係者で発売を祝う会合が行われています。この会合の様子も報道され、「一番搾り とれたてホップ」の認知度を高めているともいえるでしょう。

「一番搾り とれたてホップ」の認知度を高めているということは、遠野のPRにもなっているということでもあります。

「『一番搾り とれたてホップ』は非常にいい味。しかも、自分たちの育てたホップが入っているというのは誇りだよね。ラベルにも『岩手県遠野市』って入っているし、いい宣伝になる。遠野市が同じような宣伝をしようと思ったら、いくらかかるかわからないよ」

「一番搾りとれたてホップ」は、遠野にとって最高のPRツール。「一番搾り とれたてホップ」も含めて遠野のホップの魅力を知ってもらい、そして、ホップ栽培の体制も整える。それが、遠野がこれからも取り組んでいくことであるといえます。

画像6

遠野にはホップがある。ホップがあることで遠野のあらゆることに対して相乗効果が現れて来ています。そんな遠野を見て、「遠野でホップ栽培をやってみたい」と思って就農してくれる人が増えれば……。菊池のみならず、遠野のホップに関わる人たちはそう思っています。

菊池のように、若い人たちの可能性を信じることができる年配者がいるのは、地域にとって非常に重要なこと。若い人たちにとっても心強い存在のはずで、だからこそ遠野のビールの里プロジェクトは前に進んでいくのでしょう。


ホップの里からビールの里へ VISION BOOK


富江弘幸
https://twitter.com/hiroyukitomie

企画
株式会社BrewGood
https://brewgood.jp/
info@brewgood.jp

内容全ての無断転載を禁じます。
2020年8月時点の情報につき内容が変更されている場合もございます。予めご了承ください。

遠野市の個人版ふるさと納税で寄付の使い道に「ビールの里プロジェクト」を指定いただけると、私たちの取り組みを直接支援することができます。

寄付金は下記に活用されます。

・新規就農者の自立に向けたサポート
・老朽化する機械や設備のリニューアル費用
・イベントの開催などサポートの輪を広げるまちづくりの施策

詳しくは下記のビールの里ふるさと納税特設サイトをご確認ください。応援のほどよろしくお願いいたします。

<ふるさとチョイス>



サポートしていただいたお金は全てビールの里プロジェクトを推進する費用として使用させていただきます。