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遠野の内外をつなぐハブとしてのコミュニティブルワリー #017太田睦 #018袴田大輔


太田睦
Ohta Mutsumi
株式会社遠野醸造 代表取締役

プロフィール
大阪府豊中市出身。日本電気株式会社(NEC)、パイオニア株式会社で研究開発などに携わる。2015年に退職、東ティモール民主共和国でのボランティアなどを経て、2016年10月からビールプロジェクト担当としてNext Commons Labに参加。2017年6月、遠野市へ移住。同年11月に株式会社遠野醸造を設立し、共同代表取締役に就任。醸造も担当。遠野市在住歴3年。

袴田大輔
Hakamada Daisuke
株式会社遠野醸造 代表取締役

プロフィール
青森県青森市出身。大学卒業後、株式会社ファーストリテイリングに入社。店舗マネジメントや新店舗立ち上げなどを担当。その後、ビアバー、醸造所での業務を経て、2017年4月に遠野市へ移住。同年11月に株式会社遠野醸造を設立し、共同代表取締役に就任。2018年5月に醸造所併設のパブ遠野醸造TAPROOMをオープン。主に経営計画、店舗運営、人事、経理などを担当。遠野市在住歴3年。


「ホップの里からビールの里へ」を掲げる遠野市にとって、その情報発信地のひとつともいえるのが遠野醸造。そして、遠野駅から徒歩5分ほどの場所に、醸造設備と店舗の両方を兼ね備えた遠野醸造TAPROOMがあります。

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遠野醸造の共同代表取締役である袴田大輔の言葉を借りれば、遠野醸造TAPROOMは「ビールを核とした結節点のような存在で、地域内外をつないで新しいものを生み出す場所」

また、袴田と一緒に遠野醸造共同代表取締役を務める太田睦は、「遠野が進めている活動をしっかり下支えする」店だとも言います。

市の内外からビールを飲みに人が集まり、ビールを造ることで遠野の今を発信しているリアルな場所。それこそがコミュニティブルワリーとしての遠野醸造なのです。

研究者、海外ボランティア……そして醸造家に

「その時々で必要なことをやっていたら、こんな経歴になったんです」と話す遠野醸造共同代表取締役でもあり醸造長も兼任する太田。

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以前からビール醸造に携わっていたわけではなく、遠野醸造が醸造家としてのスタートでした。太田はもともと動画信号処理が専門の研究者。動画圧縮方式であるMPEGの規格を策定するという、今の時代になくてはならない技術を開発していました。

また、太田は民間企業で初めて育児休業を取得した人だとも言われています。1992年4月に育児休業法が施行されたのですが、太田はその年の3月から取得。

「保育園の関係もあって、3月から休まないといけなかったんですよ。必要だから休んだんです」

そして育児休業から戻り、また仕事を続けた太田ですが、しばらくするとプラズマディスプレイを作る部署に管理職として異動することに。しかし、2015年には退職。

マネジメントなのでおもしろくないんです。電気業界自体もシュリンクしていましたし、50歳を過ぎたときから退職して何をやろうか考えていました

そこからの太田の活動は、とても意欲的なものでした。退職直後には、東ティモール民主共和国へボランティアに行き、日本ではバイクに乗って日本各地をツーリング。そして、会社員時代から加わっていた全国床張り協会の活動にも、積極的に参加するようになります。

その全国床張り協会の活動で訪れた遠野が運命の地でした。「ビールを造る人が必要なんですけど、やってみませんか」と声をかけられたときに、太田の心が動いたのです。

「アメリカのポートランドでクラフトビールの味を知ってしまった後だったので、声をかけられて『日本で自分がビールを造ってもいいんだ』と思ってしまって。遠野に来たらそれができるんだと思うとワクワクしてきたんですよ。それが運の尽き(笑)」

そのワクワクを抱きながら応募し、地域おこし協力隊として採用。遠野での醸造所立ち上げを目指すことになります。

不安よりも楽しさや可能性が勝った

一方、袴田は学生時代にバックパッカーとして世界中を旅していました。その旅の中で気づいたのが、ユニクロの素晴らしさ。アメリカやイギリスの店舗に行ってみて、そのサービスレベルや品質の高さ、手頃な価格に魅力を感じていました。

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大学を卒業後、そのユニクロで店長として店舗に携わるだけでなく新店舗の立ち上げも経験した袴田ですが、30歳を目前にして自分の将来についても考えるようになります。ある意味で、消費社会に疲弊していた状況でもありました。

これからは、自分の手で価値あるものを造り、お客様と直接コミュニケーションを取りながら提供していきたい。そう考えてたどり着いたのが、ビールだったのです。

「バックパッカー時代に世界中のビールを飲んで楽しかったことを思い出しました。ビールだったら、こだわりを持って小規模でも届けられるんじゃないかと思ったんです」

退職後、ビアバーや醸造所で働いていた袴田。ある日、SNSから流れてきた情報に目が留まります。それが、遠野市での地域おこし協力隊の募集でした。袴田にとって、願ってもない募集だったと言えるでしょう。

ホップの産地でビールが造れることと、ビールを通して街をもっとおもしろくしていこうという取り組みが魅力でした」

もうひとつ重要なのが、ビールの里を目指していく仲間の存在です。地方に移住して働くことは、想像以上に大変なこと。見知らぬ土地で知り合いもいないまま働くとなれば、精神的にもかなり辛い状況になっていたかもしれません。

しかし、遠野では浅井や吉田がある程度開拓していたということもあり、袴田をはじめ地域おこし協力隊として移住してきた人にとっては、多少の安心感はあったのかもしれません。

ただ、商売として成り立つかという不安はありました。それでも、不安以上に可能性や楽しさのほうが勝ったという感じですね

そして、袴田は地域おこし協力隊として採用され、2016年9月から醸造所の立ち上げ準備を進めていくことになります。

コミュニティブルワリーとしての活動は立ち上げ前から

地域おこし協力隊として、そして醸造家として採用された太田と袴田。採用後、いきなり醸造所を立ち上げるのではなく、まず全国の醸造所で醸造家としての研修から開始することに。

最終的には2人で約30カ所の醸造所を訪問。いきなり醸造所を立ち上げるのではなく、ビール造りを学びつつ、自分たちはどんなビールを目指すべきなのかを考えていったのです。

各地で研修を行った後、袴田が2017年4月に遠野へ移住。太田が移住したのはその年の6月でした。そこからは時間との戦い。2018年4月からは酒税法が改正されることになっており、ふたりはそれ以前に醸造免許を取得したいと考えていました。しかし、醸造所を立ち上げる物件がなかなか見つからない。

結局、デッドラインと考えていた2017年10月にいい物件が見つかり、そこから法人設立、免許申請、資金調達などをどんどん進めていきました。

その中でも、予想以上に良い結果になったのがクラウドファンディング。袴田は、その要因は2つあると考えています。

「ひとつは事前の種まき。クラウドファンディングを始める前に、ビールイベントを開催して周りを巻き込むような活動もしていたので、応援してくれる人たちもある程度いました。もうひとつは、ただ醸造所を造るというだけでなく、遠野市全体としてのチャレンジだったと理解してもらえたからではないでしょうか」

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これがコミュニティブルワリーとして、初めての成功体験だったのかもしれません。そして2018年5月、遠野醸造TAPROOMをオープンさせることができたのです。

新しい遠野を作るワクワク感

遠野醸造での役割としては、太田が主に醸造を担当。袴田も醸造することはありますが、基本的には店舗運営などを担当しています。

「ビールは簡単にできる」という太田ですが、それはもちろんただ造るだけならという話。1年半以上造り続けてきて、まだ全然思い通りに造ることはできていないと言います。

「造って飲んでを繰り返していると、自分の基準が変わっていくんです。味を覚えてくると、このあたりかなと思っていたゴールがもっと先に行ってしまう。造れば造るほどゴールが遠くなっていきますね」

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そうやって試行錯誤しながら造られたビールについて、袴田は「その背景も伝えたい」と考えています。例えば、遠野醸造でハードサイダーを造ったときは、台風で落下して出荷できなくなってしまったリンゴをどうにかしたいという思いがありました。それを店で直接お客さまに伝えたり、noteで記事にして発信したり。

マスに届けるのは無理ですし、役割ではないと思っています。密度の濃い体験をしてもらい、深く伝えるようにしています。届く人数は少ないかもしれないですが、その背景を知ってもらいたい

まだ設立して間もない遠野醸造ですが、目指すところははっきりしています。ひとつは、もちろんコミュニティブルワリーとしての存在感を強めていくこと。地域農家とのコラボレーションや、地域の人にビールをより深く知ってもらう機会を作ることで、その役割を果たしていきます。

もうひとつは、フードとのペアリング。地域の食材をビールに合う料理として提供し、その利益や知識を地域に還元することも考えています。

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そうやって進んでいく遠野醸造の力の源泉は、太田のこの言葉に凝縮されているようにも思われます。

「20代の頃は、いろいろな研究者と将来のイメージを共有しながら仕事をしていたワクワク感がありました。それと同じで、ホップとビールで新しい遠野を作っていくイメージをみんなで共有して、その一翼を担っているという、ワクワク感があるんです

ビールの里を目指すイメージが共有できていること。それが遠野醸造や遠野市の強みといえるのかもしれません。



ホップの里からビールの里へ VISION BOOK


富江弘幸
https://twitter.com/hiroyukitomie

企画
株式会社BrewGood
https://www.facebook.com/BrewGoodTONO/

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