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遠野のホップだけを使ったビールと向き合い続ける日々#016坪井大亮

坪井大亮
Tsuboi Daisuke
上閉伊酒造株式会社 醸造士

プロフィール
遠野市出身。高校卒業後、県外の大学へ進学。2006年に遠野へ戻り、上閉伊酒造でビール醸造を担当。以降、ほぼひとりで、遠野のホップだけを使ったビールを醸造している。遠野市在住歴32年。

上閉伊酒造の醸造設備を前に、ひとりで黙々とビール造りに取り組む坪井大亮。上閉伊酒造は歴史ある酒蔵ですが、日本酒だけでなくズモナビールというビールを1999年から造り続けています。坪井はそのズモナビールの醸造士。

ビールは非常に楽しくおいしいお酒ですが、ビール醸造は決して華やかな仕事ばかりではないということを、坪井の仕事を見ているとよくわかります。常に清掃が欠かせず、仕込みの間は何時間も麦汁との対話が続くのです。

そんなビール醸造の日々を、坪井は十数年の間ほぼひとりで続けてきました。

「上閉伊酒造に入社した当初は、ビールの醸造担当者がもうひとりいました。でも、その後1カ月で退職してしまって。そこからはほぼひとりで作業しています。瓶詰めの作業のときなどには清酒担当に手伝ってもらうこともありますけど」

ひたすらひとりでビールに向き合い、ズモナビールを造り続ける毎日。「職人」ともいえる仕事ぶりですが、この仕事をするようになったのは坪井は偶然だと言います。

ビール造りとの出合いは偶然から

坪井は遠野市の生まれ。高校卒業後に大学進学のため遠野を出て、2006年に大学を卒業してまた遠野へ戻ってくることに。しかし、特に遠野で就職が決まっていたわけではなく、戻ってきたのは実家があるからというだけ。

遠野へ戻ると同時に、坪井はアルバイトを始めます。その伝手から、たまたま上閉伊酒造で人を募集しているという話を聞き、上閉伊酒造に就職。

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「そのときに同じタイミングで入った同期がいました。当時は、清酒とビール両方の作業をできるようにするという方針で、同期が先に清酒を担当して自分はビールを担当。でも、結局そこからずっとビール担当なんです」

上閉伊酒造に入ったのも、たまたまその時期に募集があって話がまわってきたから。そこでビール担当になったのも自分が選んだわけではありません。そもそも坪井自身もビールに対して興味はさほどなかったのです。

クラフトビールという言葉が徐々に認知されるようになってきている昨今では、ビールに対する熱い思いを持ってビール業界に入ってくる人も多くなっています。しかし、坪井が上閉伊酒造に入った頃は、クラフトビールという言葉もまだ知られておらず、地ビールブームも終わって国内の醸造所も減ってきている時代でした。

その当時は他の醸造所ともあまり交流はなく、ビールイベントに参加するようになってから、徐々に交流が増えるようになってきました。最初に参加したイベントは10年ほど前。一関で開催されている全国地ビールフェスティバルin一関でした。

意地と継続とビールと

「意地みたいなものですよね」

入社当時はそれほどビールに興味がなかったにも関わらず、ここまで続けられている理由を坪井は「意地」だと言います。坪井の性格としても何かを始めたら長く続けるタイプで、その意味ではビール醸造のような職人的業務には向いていたのかもしれません。

「自分が造ったビールに対していろいろ言われたら『次こそは』って思いますし、周りの人に意見を聞いたり、技術コンサルティングの方に相談したり、クオリティを上げるために必要なことはしていました」

坪井が入社した当時のズモナビールは、いかにも土産物としての扱いで、売れる時期もほぼ春と夏のみ。もともとは、ホップの産地である遠野に醸造所を、ということで始まったズモナビールでしたが、それほどうまくいっているという状況ではありませんでした。

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しかし、坪井の積み重ねていったことが、徐々に成果として現れるようになってきます。坪井が他の醸造所の話を聞いたり、イベントに出たりすることで、出荷量も増加。坪井のビールに対する考え方も「ビールを造っておもしろいと思えるようになったのは幸せ」と変わっていったのです。

加えて、坪井はビールを取り巻く外部要因が変わってきたと感じています。地ビールブームが終わった時代が過ぎて、いまはクラフトビールとして注目されている時代。そして、遠野市やキリンビールも、ここ数年でよりホップに力を入れるようになってきています。

「こうやって続けてきたのは意地もあったし、辞めてしまったら教えてくれた人たちの意味もなくなってしまうし。続けていればいいことあるだろうなって」

続けていればいいことがある。意地と継続。もしかしたら、その考え方はズモナビールの味にも影響を与えているかもしれません。

遠野のホップだけを使う独自性が武器になる

坪井が10数年ビール造りを続けてきて、いま考えていることは「1杯で終わりではなく、2杯、3杯と飲んでもらうにはどうしたらいいか」ということ。

続けて飲んでもらえるようなビールを造りたいと考えるようになりました。そして、自分の造るビールの量が増えていけばいい。生産量が増えているということは、それだけ手に取ってもらえているということなので」

しかし、続けて飲んでもらうという以前に、遠野市の知名度はまだまだ低いことを実感しているのが現状。イベントなどで遠野の外に出てみると、遠野でホップを栽培していることも知られていない上に、関西以西では遠野市自体の知名度が低いのです。

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さらに、遠野市内に目を向けても、坪井の子どもの頃に比べると街なかの店も減り、寂しくなってしまっている状況。それをどうにかして変えていきたいという気持ちもあります。

年間通して地元の日本産ホップを使って醸造しているのはズモナビールだけなので、ホップ農家の方には頑張ってもらいたいなと。そして、いつか有名な醸造所にも負けないくらいになりたい。いつかは、いつかは、と」

ビールの生産量が増えれば、会社の状況も変わる。そして、遠野の雰囲気も変わる。そのためには安定した品質のビールを造り続けなければいけないと考えていますが、それにはやはり確かな「腕」が必要。

「でも、他の醸造所からいろいろアドバイスを聞いても、遠野のホップを使ってい醸造所のは他にないんですよ。だから、アドバイスをそのまま受け取るんじゃなく、解釈して試すしかない」

そうやって、坪井はひとり、今日も遠野のホップと麦汁との対話を続けています。



ホップの里からビールの里へ VISION BOOK


富江弘幸
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企画
株式会社BrewGood
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