前回 感謝することを習慣にした記事を書いた いつの間にか感謝することが習慣化され、当たり前になった。 習慣化して いくつか変化があったかので紹介したい。 変化1:目の前の困難にひどく動揺しなくなった 生きていれば いいことばかりではなく 大なり小なり困難なことが起きる。 例えば この間 相手の不注意により 猛スピードで車の側面に追突されそうになったのだが 以前だったら 相手の運転手への怒りが収まらず その後の私の運転が荒くなったり イライラが続いていたが 今は 無事
以前に息子のクラスメートやその家族が素晴らしくて感謝の気持ちが溢れてくるという記事を書いた。 昔「感謝」とは 誰かにしてもらったことに対しての気持ちだけだと思っていた。 でも大人になってから、 自分の身の回りの状況も全て「ありがたい」ことなんだと気がついた。 食べ物があること。飲み水があること。温かいお風呂に入れること。 寒さや暑さから身を守る家があること。 自分を助けてくれる家族、友人がいること。 あって当たり前のようだけど、これを失ったらとても辛い。 だから今ある状
私のコーチが 「目の前にいる人は自分の鏡」と おっしゃったのを聞いた時 分かったような 分からないような感じだった。 目の前にいる人が 私と同じ動きをしている訳でもないし、 その「鏡」は 何を写し出すのだろう。 壁に掛かった鏡は私の顔を写している。 他人は自分と違うのに どうやって「私」を写し出すのか? それを意識して生活し始めると 自分が人に与える影響に目が行くようになった。 例えば朝 子どもの登校前の支度中 私がとても不機嫌な場合と 私がそうでもない場合 掛ける言葉
毎日noteに書きたい書きたい、と思って ずっとそのままになっていたので今日は書きます(笑) 行動しないと 何も変わらないから。 週末に息子の同級生のお母さんがパーティーを開いてくれました。 参加メンバーは息子の同級生+その家族。 キンダーガーテン(年長)で知り合って みんな そこからのお付き合い。 子ども達も8歳になり、 自分達で遊べるし、親が四六時中 様子を見ておく必要もない。 子どもたちはそれぞれ仲良く遊び、 大人達はお喋りを楽しめました。 ママたちもその旦
昔 辛かった経験をブログに書いていた時 その頃は 「母にこう言われて辛かった」 「こういうことがイヤだった」 みたいなのを書きたい気持ちがあったんだけど noteを始めて いざ 過去について書こうと思ったら 過去について 書くことが思いつかない(笑) ないわけないんだけど いちいち過去を振り返る必要がなくなっていた。 あの頃は また自分を癒したり 許したりする途中だったのかな。 後ろばっかり みて生きてたんだな。 今は 前見て生きてまっせー。 今
「お願いやから あなたが (負の連鎖を) 断ち切ってちょうだい」 これは母が私に泣きながら言った言葉。 離乳食を食べない娘にブチ切れ、 この世に産まれてまだ1年も経たない娘に向かって 怒鳴っていた時のことだ。 その時の私は 「そんなもん知るか」 「お前(母)のせいじゃ」 とか思っていたかもしれない。 でもそれと同時に その一言に納得していたのかもしれない。 今 振り返れば この一言が今の自分になれた 原点だった。 自己肯定感低め 悩むことばっかりしていた私が スッ