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【ネタバレあり】すずめの戸締まり感想〜あなたにとって〓〓とは何か〜

すずめの戸締まり、2回観ました。30年弱の人生で観た映画の中で、いちばん泣きました。

どうしても語りたいので、ネタバレをふんだんに含んだ形で感想を書き記します。大まかに言えば「個人的にはめちゃくちゃ心を動かされたが、面白かったかどうかと言われるとわからないし、試みとしては失敗なのかもしれない」という感想です。


〜以下ネタバレあり〜


【追記】
はじめの投稿で鑑賞テンションのままに失敗とか成功だとか書いていたが、
適切な表現ではなかったような気がします。
監督は面白いアニメを世に生み出しそうとしただけであって、
その意図や目的を想像することまでは批評の範囲であっても、
想像(か、邪推か)を基に何かしらの判断を下すのはちょっと信念と異なるかも。
あくまで「みんなの感想が私が思ってたんと違う!」と
私自身が困惑しているにすぎないんだと思います。
【追記ここまで】



■感想執筆者のバックグラウンド

感想を記す上で大事な気がするので、書き記しておきます。
・東北生まれ東北在住(ただし所謂”被災地”ではない)、かつ首都圏在住経験あり
・地球科学をちょこっと嗜んでいる


■私が受け取った映画の主題


記事の副題は「あなたにとって東日本大震災とは何か」です。

この映画は、東日本大震災(らしき災害)で大きな傷を負った主人公・すずめが、自然災害を機に廃墟となった全国各地の土地を鎮めつつ、閉ざしていた過去の自分の悲しい記憶を鎮める物語だと思っています。

監督が映画に込めたものは何か。
私が理解したのは、自然災害が頻発する日本列島で、気まぐれな地球に翻弄されながらどう生きていくのか、希望を持って生きていくにはどうすればいいのか、というところです。

その意味で、猫は神様であり、「気まぐれな地球」のメタファーなのだと感じました。

地学を勉強していると、地球の動きは科学の理論で説明できるはずだという信念は持ちつつ、勉強すればするほど「地球、全然わからん」という気持ちになります。46億年の歴史を振り返っても全然仕組みが理解できない(まあちょっと嗜んだくらいでは到底わからないのだと思いますが)。

そうした地球、特に海外の人に「よくそんな自然災害列島に住めるね…」と言われるプレート境界・日本に住む我々が、いかに災害と付き合って生きてきたか、今どうやって生きているのか、その現状が詰まった映画だと思います。

自然災害を引き起こす「ミミズ」という得体の知れない、迷信に近いものがある、過去の書物に描かれる存在。気まぐれに開く後ろ戸。軽めの揺れはちょこちょこ起こるけれど、暴発しそうでしない災害(要石になったそうたさんに守られている)。その辺りが日本に生きるものとして、まさにその通りだと共感して、フィクションとリアリティーの織り交ぜ方に感動しました。


■東日本大震災への思い


ただ全国各地の災害を描いているとはいえ、監督自身が話している通りやはり「東日本大震災」を真っ向から描いているという印象はありました。すずめと椅子になったそうたさんが神戸を出たあたりから、「あ、最終地点は東北なんだろな」と身構えました。

せりざわくんが「車で7時間かかる」と言った時点で、目的地は岩手か、と思いました。「東北道」の標識、今でも行き交う大きな工事トラック、福島の規制区域の看板、放射性廃棄物の黒いゴミ袋、巨大な防潮堤、基礎だけが残る家、炎に包まれた住宅街。すべて、東北で見たことがある、もしくは聞いたことがある情景でした。あまりのリアルさに、見ているだけで辛くなりました。

「死ぬのは怖くない」「それでもやっぱり生きたい」。津波後の気仙沼などの火災を思い起こす「常世」の情景を見ながら、すずめとそうたさんが掛け合う場面では、きっと「生きたい」と思いながら死んでいっただろう、2万人以上の震災の犠牲者のことを思い浮かべて、泣かずにはいられなかった。「行ってきます」「行ってらっしゃい」が最後の会話だった、突然の津波に全てが攫われた、という人がどれだけいるか。
(なんだかそれも、外から震災を見ているだけの自分自身のエゴな気もするのですが)

と、東北に住む者として、九州や四国、神戸、首都圏を巻き込みながら、東日本大震災の被災地の現状をうまく伝える映画だな、と思っていたのです。


■ところが、むしろ断絶を生んでいる?


この映画を見た東北の外の複数人から、「東北の人には共感できるかも知れないが、not for meだ」というような感想をもらいました。福島や宮城、岩手のことを描いているなんてわからなかった、という声もありました。

衝撃でした。ここまで感じ方が違うのか、と。

自分ごとではない、と捉えられてしまうのであれば、震災の記憶をつなぐ映画として決して成功してはいないのではないか。何のためにここまでリアリティーを持って描いているのか。思った以上に「伝わっていない」ということが分かって、なんだか悲しくなりました。

説明不足だったのか、でもこれ以上説明しても野暮ったいだけだよなあ、と思いつつ。ただ「あなたにとって東日本大震災とは何だったのか」を語り合う上では貴重なたたき台になる映画なのかな、と思っています。


■その他細かい諸々の感想



・「日常」と「非日常」が重なり合う描き方の秀逸さ
この映画では、平穏な日常と、非日常である「災害」が重ね合わせて描かれています。象徴的なのは東京で巨大なミミズと戦う中で、それに気づかずに人々が普通の日常を送っているシーン。
自然災害は非日常だけれど、いつどこで襲ってくるかわからない。常に死と隣り合わせであるという現実を、ものすごく丁寧に、繊細に描いているような気がして、感心しました。

魲まりえさんが以前テレビで語っていた「いつか死ぬけど、明日じゃないといいなと思って生きている」、まさにその諦念と達観と希望が同居する今を生きる人々の実感を描いているような、そんな印象を受けました。

・「この辺り、こんな綺麗な場所があったんだ」
せりざわくんが、福島の原発周辺で発するこんな感じの言葉は、すずめが「ここが、綺麗…?」と眉をひそめるところまで込みで、深く突き刺さりました。
今、津波被災地にはただだだっ広い草原が広がっている場所も残っています。そこを「綺麗だ」と称することは、これまでの東北沿岸部を知らない人の正直な感想であって、何も悪いことではないと思います。
だからこそ、「not for me」というようなことを言う人にとっても共感できるのかと思っていたのですが、逆に「こんなことを言って被災地の人がどう思うのか」というような映画評がたくさんあって、なんだかなぁと思っています。

この映画において、”当事者”でないところのせりざわくんの存在はものすごく貴重です。ある意味こんな「デリカシーのなさ」が、閉ざしていた心の扉を開き鎮めるきっかけにもなるのではないか、と思います。あとまあせりざわくん、浅薄で適当に見えていろいろ考えているので憎めません。声を当てている神木くんはさすがうまいですね、ドライブ中の80年代ソングのあたりは最高でしたね。


・なんで椅子だったの?
これはいまだに謎なのですが、何なら深い意味はないのかも知れませんが…。推しグループの一員であるところの松村北斗(いい声)が椅子になってちょこまか可愛らしく動いている、という点についてはなんか新しい扉が開きそうな感じでした。
監督も「無機質なものがキュートに見える表現を目指したい」と記していましたが、なぜ椅子と旅することになったのか…。誰か教えてください。



ということで、東北を知る者から見た「すずめの戸締まり」評でした。でもとにかく、いろんな人に映画館で観てほしい、語り合いたい作品です。
今後いろんな人と意見を交わしたり、もう一度見返したりする中で、また新たな考えが浮かんだら何かしら追記するかもしれません。



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