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私のダンスヒストリー③

エジプトへ。



トルコで3か月ほど暮らした後は、ロマの足跡をたどり、エジプトへ。
ちょっと振り返ると、2010年前後当時、スマホというものは珍しいものだったので海外の道端で出して使うなんてことは治安上危険なことでもあり、気軽に写真を撮るということはありませんでした。ということで、ここで紹介させていただいているのはお客さんがとって送ってくれた写真と、安全を確認してとった少ない写真のみ。SNSもまだ英語でfacebookをやっていた時代。濃密でリアルなつながりの旅のエナジーを受け取ってもらえると嬉しいです。

エジプトのカイロではロープ式のエレベータに驚き。エジプトの独特の雰囲気の中で、人生初めての幽霊を見てちょっとビビりながら、カイロは路上パフォーマンスできる雰囲気ではないのでイスラエル人の保養地と言われているダハブヘ。

パスポートを取られたダハブ


トイレの壊れた格安バスを乗り継いで、ダハブについて早速バスキング。確かその時はハンドパンが壊れて修理に出していたので、太鼓とギターと一緒にダンス。すると人が集まってくる。喜んでもらえている雰囲気を感じていたところで突然、警察が乗り込んできてパスポートを没収される。英語は通じず、あまりの急展開にびっくりしていると、お客さんだった商店の人たちが警察に交渉してくれ、「彼らは素晴らしいパフォーマンスをしてくれていたんだ!」とかお話ししてくれて、なんとかパスポートを取り戻してくれる。だけど、「ここでは警察がうるさいからやめたほうがいいよ」とのことでエジプトでのバスキングは諦めつつ、海辺の街、ダハブで美しい時間を過ごす。

音楽家に圧倒されたカイロ

カイロに戻って観たのは、エジプトの古典音楽とスーフィーのショー。エジプトのミュージシャンもスーフィーの踊り子(私にとっては神聖な身体ワークをする人々は踊り子)たちも、陶酔の中で奏でる。自我を超えて、陶酔状態に入り、五感が全開の状態で、その行為に没頭する。そして巧みがゆえに、その中で表現しエンターテイメントする。音楽そのものとして、私たちの前に存在し、喜びとハーモニーをそのまま見せてくれる。

「こんな国に生まれて、こんな風に音楽漬けで生きてきたかった!」
あっさりと日本の義務教育の中の隙間時間の中でだけ、踊りや音楽と触れてきた自分の人生と器の小ささにがっかりして、嫉妬のような感情が生まれるくらい、音楽家と舞踊家の力が凄まじかった。

おそらく当時私たちが見たショーの中から、タンヌーラの動画を発見したのでシェアしますね。

スーフィーとの出会い


スーフィーはかなり興味深かったのだけれど、エジプトは男性の世界といった感じで解放されている感じはなく、女1人で学びに入ることは難しく、見るにとどまり。逆にベリーダンスは男性にために作られたエンターテイメント性が高い感じで、あまり共鳴することができず、ほんの数週間でアフリカへ移動することに。


今思うと、女神信仰から男神信仰の流れで、エジプトでは特に強く女神の力が封印されたが故の、今の王宮での見せ物として発展したベリーダンスの流れにあったのだろうと思うのです。古代のエジプトのベリーダンスはきっと、女性の女神としての力を讃え、産む力を讃える、解放的なエネルギーだったのだろうし、そのような女神エネルギーの中心地だったのだろうな、と今になると見えてきます。

このとき気になったスーフィーとも後々、繋がってくるのですがそれはまた別のお話。

男性的な世界観のエジプトにあまり溶け込める感じがしなかった私たちは、1か月も立たないくらいで移動を考え始めたのではないかな?

エジプトからエチオピアへ



リサーチしていくうちに、エチオピアには80以上の少数民族がいて、その数だけ民族舞踊や音楽があるという話を聞き、エチオピアに行くことを決意。

ロマの足跡を辿るたび。ちょっと脱線してアフリカ編に続きます。

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