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私のダンスヒストリー①

旅の始まり

28歳の頃、ダンス一本で生きていきたくて舞踊ともっと深く繋がって、舞踊とは何かを確認したくて、派遣社員とかバイトとかダンスやヨガの教えの仕事とかを全部やめて日本を飛び出した。




ドイツから始まり、トルコ、エジプト、エチオピア、ジンバブエ、インド、オーストラリア。インド、タイ、韓国、カナダ、インド、中国。
結局4年弱。

路上パフォーマンスを足がかりに、なんとか仕事を繋ぎ、暮らしを繋ぎ、芸を磨いた。出会うミュージシャンとセッション。その中で音楽と踊りのリアルな関係性を体感していった。生音で踊ることの意味が身体に浸透していった。



各国の舞踊や祭りに導かれ、儀式なんかに参加できたことや
インド古典舞踊の先生の家に住み込んで、付き人をしながら、インド舞踊の哲学や
技術の稽古
をつけてもらっていたのは本当に貴重な経験だったと思う。




トルコで発見した東洋人としてのアイデンティティー

この写真は旅を始めて4ヶ月目くらい。まだ2カ国目のトルコ。

毎日、即興パフォーマンスをしていたのだけれど、イスラム国のトルコでは
ちょっと肌が見えてしまうと、悲鳴が上がり、ペットボトルの水を投げつけられた。文化の徹底的な違いと常識の違いを体験。ライセンスをとって、パフォーマンスをしていたものの、英語が通じない路上警察とコミュニケーションがうまく取れず、アンプを取られて、警察に取りに行くやりとりに追われ、泣きながら裸足で駆け巡る日々だった。権力の絶対性は国によって温度が違う。




ドイツではコンテンポラリーなものが好まれたけれど、トルコでは長袖を着たり
着物を着たりして民族的な踊りを踊るようにしてみたら、だんだんとお客さんが着くようになり、商店街のお店の人たちも応援してくれるようになった。

しまいには目が合うと合掌して拝まれるように。中国の巫女かなにかと勘違いされていたな。自然とこの頃から踊りながら祈るようになる。

西洋人が東洋人の中に見る、スピリチュアルな期待やイメージを知る。
そうか、東洋人はスピリチュアルな存在なんだ。」
を知り始める。外から見つけた私のアイデンティティー。


移住民族の暮らしの中で見つけた舞踊の魂


トルコでの暮らし。「ロマ」というトルコ語すら通じない移住民族が住むスラム街のアパートで暮らしながら、古典で有名な先生のベリーダンスの稽古に通う中、ロマの伝統的な祭りにたまたま行き当たる。


彼ら独特の5拍子のダンスに出会った。

爆音の中
飛び交う指笛と独特な喉声。

世界的に有名なベリーダンスの先生の振り付けより、ずっとずっと痺れて感動した。ものすごい柄が悪くて、怖い雰囲気の祭りだったけど、かっこよすぎて祭りの中で泣いていた。探していたものを見つけた気がした。

いつだって路上裏に潜んでいるものは本物で鳥肌ものである。

本物の舞踊への好奇心と探究心は恐怖に勝つのだ!笑

そしてどこまで行っても私は裏が好きなのだ。

10年前のアイフォンで撮った写真。画像悪いのはご愛嬌。

ドイツの石畳の上で踊り、弱った身体。

この後、まさか自分がアフリカにまでいくことになるとは知る由もない。笑



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