見出し画像

聖なる性に意識を向ける①



「性」という言葉に対して沸き起こるこの過剰な拒否反応の根源はなんなのだろう?

性と音


「性」「聖」「精」「星」「生」「静」「声」・・・
サンスクリットにおいて Sの音は「微細なもの」「精妙なもの」つまり形のなきものに付けられている音だという。サンスクリット語と作りが似ていると言われる日本語も同じように「微細なもの」「形なきエネルギー」にこの「セイ」という音が付けられているのは、つまりこれら同じ音を持つものたちは、同じ性質を持っているということだと思う。

私たちが生まれる前に起こったこと

つい5年前まで、私には「性」と「精」が同じであるということが感覚的にわからなかった。タントラヨガとか学んで実践的に生きていても、それでも「性」は肉体のこと、「精」はエネルギーのこと、と思っていて、それらが同じであると思えなかったのは、ひとえに私の感性の未熟さまだ知らぬ体感領域があったというだけこと。

私たちはもれなくセックスから生まれてきた。男と女が感じ合い、愛しあいそしてその想いの強さゆえに引き合い、男性器を女性器に入れ、深いところで繋がり、その結果として精子と卵子が結ばれ、新しいひとつの命となり、もれなく誰もがその愛の結晶として生まれてきた。

それが私たちの命の源であること。

なのに、私たちは性に対して嫌悪感や背徳感を抱く。

どの先住民族も性器を崇め奉っていた時代があった。リンガムやヨニ。それらは命の尊厳を象徴する大切なもので、私たちは性行為をエネルギーを高めるための聖なる行為として、神事に利用し、エネルギーの調整や活性に利用してきた。

日本と性の歴史


こちらの本にも日本における様々な「性」のことが記載されている。日本ではつい100年前まではあたりまえに、性の儀式が村々で行われ、聖なる性の伝授ということがあたりまえに繋がれていたらしい。警察に取り締まられる中で村の人々は「これの何がいけないんだ??」と首を傾げ、その中で取り締まり取り締まり、やっとここ数十年でそれなりに消えた、と、そういうことらしい。

メディアは人々の思想をコントロールする。プロパガンダの影響を最も受けている領域が「性」なのでは?と思う。それは「性」というものを貶めることが、人間の持つ本来の力を封じ込め、コントロールしやすくなる、という支配層からのメリットがあるからに他ならない。

・性行為は肉体的快感を得るためのもの。
・低俗な野蛮な人が好んでやるもの。
・いやらしい、卑しいもの。
・痴女や風俗嬢は危険というイメージ
・キリスト(救世主)はセックスから生まれていないというイメージ
・汚れている
・聖職者は性行為をしない。

あとなんだろう?
私はそんなに性に対する偏見や先入観もなく、性も愛おしみ楽しみ、健やかに育ってきた方だけれども、私が現在、全国でシェアさせてもらっているダーキニーブレスという子宮のための呼吸法の元になるワークを初めて体験した時に、自分の中に「父親と母親のセックスによって生まれてきた私は卑しい」みたいな概念があったことに気がついて驚いた。深い深い呼吸のワークの中で、それに対する嫌悪感のようなものに触れ、「だから自分は神聖な存在ではない」という思いが、自分自身の存在は価値のないものだと思い下げていることに気がついた。

これは単にプロパガンダ、「性は卑しいもの」「隠すべきもの」「性器は汚いもの」「なんなら性器は排出器官」というここ数百年でボチボチ人類を捉え始めていた概念に所以する。体験を通してそれは確信となった。

ダーキニーブレスを通して、性と精の一致、性と愛の一致を体験するようになってから、私の中で「性」という言葉の概念、価値が変わった。
それは「私が女である」ということに対してもそうだし、「人間である」ということに対してもそうだし、「性行為によって生まれてきた」ということに対してもそう。それはつまり「肉体を持つ人間としての私を愛する」「穢れ」「死」と言われるものも全て包括して愛する、ということ。

そして、それが最近は「表現」というところにもつながってきてびっくりしている。そもそも私が「性」という世界の奥行とも言える領域に行き着いたのは「舞踊」という表現の活動の延長線上から。ここにきて、古代の日本で、舞踊や音楽といった表現は、ご神事として執り行われ、それは性と切り離して語れるものではない、ということがわかってきた。

「表現」に携わる人は皆、きっとDNAのなかにこの「性にまつわる体験的・感覚的記憶」が眠っている。その記憶と繋がった時に発動する、日本人独特の「能力」というものがある。今、日本人の中で戦後、完全に封印されたその民族的な記憶を思い出し、その能力を発動させる時が来ているのではないだろうか。 日本人が性を敬い、生命を敬い、見えない世界と繋がって生きていた、そのことを概念としてではなく、体験として思い出して行った時に、私たちはこの日本という土地に眠る潜在的な意識、記憶を解放することができる。それはこの地球全体の潜在的な意識とも繋がっていて、それを呼び覚ますことができる。人間が作り上げた社会が崩壊を迎えていく中で、地球意識、生命意識と繋がって、地球と共に人間が作り上げていく、全く新しい地球文明の時代へとシフトしていく、そのタイミングが来ている気がしてならない。そのタイミングに「性」の意識変革は必須なのであろうと、体験するたびにそう思う。

性について伝えることはとても難しい。たくさんの偏見と思い込みに溢れた世界で、その言葉だけで拒絶反応が起こる人もいるし、そのように仕組まれている。強い拒絶の裏には必ず、何かしらの大きな抑制や、制圧が隠れている。自分の中に生まれた強い拒否反応、卑屈さ、悲しさ、嘆き、怒りが現れた時、そっと胸に手を置いてほしい。「私は本当は何を求めているのか?」と。ハートと繋がり、言葉を発する。ハートからの声を表現する。「性」の意識変革はそこから始まり、そこがゴールでもある。

私たちがただ感じたことを表現する、そのその状態に還っていけますように。



「性への意識」が変わる1day リトリートを開催しています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?