EP.33 YUKI aka EARTH(ゆうきa.k.a.地球)
【BREAKIN DOCUMENT 挨拶】
この度は、「BREAKIN DOCUMENT」~Learn for various bboys life~にアクセスいただきありがとうございます。こちらでは、日本中の多才なbboy(ブレイクダンサー)たちのインタビュー記事を掲載していきます。
私が出会った中には、サラリーマン・医者・農家・フリーランス・公務員など様々な方々がブレイキンというダンス・カルチャーを生活に取り入れています。彼らは、それぞれ美学をもちブレイキンをライフスタイルとして取り入れ、今もなお踊り続けています。
私は、彼らが何を思い踊り続けているのか、ブレイキンが彼らの生活の中でどういった位置づけにあるのか興味があり、このプロジェクトを始めることにしました。
本ブログでは、ライフスタイルにブレイキンを溶け込ませ今も踊り続けているbboyたちに焦点を当て、彼らの生きざまを記録し、発信していきます。そして、購読者様の「bboyマインドの形成及びライフスタイルを充実させるための考え方の引き出しとなること」、「これからブレイキンを始めてみたい人たちのバイブルとなること」を目的とし、協力者様の貴重なインタビュー記事を掲載させていただきます。
この活動を通じて、関わってくださった皆様の生活が豊かになることを願っております。
※なお、活動で得られた収益は、「BREAKIN DOCUMENT」の活動・イベントに使わせていただきます。
※ 記事内で使用させていただいている写真に関しては、インタビュイー様から承認いただき、ご提供いただいた写真を使用いたしております。
1. プロフィール
・bboy名:YUKI aka EARTH(ゆうきa.k.a.地球)
・職種:ラジオパーソナリティ、地方タレント、ダンススタジオ副代表、農業
・年齢:37歳
・ダンス歴:20年
・レペゼン:ninestatesbboyz(大分県にて結成)、福岡県大牟田市
※YUKI aka EARTH(ゆうきa.k.a.地球) インスタアカウント
※ダンススタジオ「SPROUT.PRODUCTION.」
アニメーション、HIPHOP、HOUSE、フリーススタイルを教えるダンススタジオ
2.ブレイキンを始めたきっかけは?(経歴)
もともと野球や格闘技を経験して、高校の時にJOCジュニアオリンピックカップという大会で敗れてから、大学をスポーツ推薦で行こうと考えだしました。
その時は、東京の大学にいくならお金もかかるな〜と思っていました。
当時は、ずっと部活で丸坊主で過ごしてきたので、もっとモテたいなという気持ちがあって、お金もかけずに自分の身体能力も生かしながらモテるものって何だろうと考えました。そして、当時流行っていたダンスをやってみるかと思ったのが初めの動機でしたね。
ちょうどテレビでナインティナインの岡村さんやRAVE2001(レイブ2001)というテレビ番組を見ていたのでやってみたいと思っていました。
あとは少年チャンプルが始まって、あのクルクル回るのはどうやるんだろうって思うようになりました。
あと、パワームーブができる環境が整っていたことも始めた理由としては大きかったです。レスリングのマットがあったので、そこで練習していました。条件的にもしやすかったところは多分大きかったですね。
なので、入りはガチガチブレイキンです。当時は、ブレイキンの4要素も何も知らないような状況でした。
その時はyoutubeもありましたけど、そこまで映像が出ている時代ではなかったのでダンス友達から借りたビデオを、見よう見真似でやって自分の中のこだわりを見つけていきました。
それに伴って先輩たちにも会いに行きました。研究することが好きで、自分にできないことが好きなので色々な人に会いに行きましたね。博多に行けばbboy kouskeさんや、haruhiko(watchmen)さん等々ですね。
あとダブルアーツという大学のサークル(モスクライマーズとfkcというチームが合体したサークル)の人たちにも会いにいって練習していました。
その時は素人で、スタジオ文化もない中で、「トーマスってどうやるんすか。」とか聞きにいってましたね。笑
先輩に対して、生意気小僧でした。笑 本当に知らぬが仏でした。w
当時すごい方たちって知っていたら、声かけれなかったと思うんですけど、本当に知らなかったので、「うわ!あの人うま、あの人に聞いてみよ!」ぐらいの感じで話しかけたのを覚えています。
一方、地元の小倉では、Gコントロールやミトコンドリアというチームがあって、可愛がってくださる先輩たちに囲まれて育ちました。
その時は、若気の至りで先輩たちに平気で声かけて、「これどうするんすか!」とか言いながらね。笑
当時は、本当に可愛がられる才能だけで、何も知らない子でした。横で勝手に練習して、 仲間に入れてもらってって感じはありましたね。それが大体19、20歳の頃でした。
周りのbboyからすると、あの変なやつ、なんであんな大先輩たちと一緒に練習してるんだろうって思われていたでしょうね。
当時僕はパワームーブがかっこいいと思っていたんですけど、手首を怪我してしまったんです。これはパワームーブを続けられないなと思った時に、大阪のNew Black-izmのknitさんやsigeさんがされている芸術的なスタイルのDVDを見て、これもブレイキンとしてありなんだって感じました。その足ですぐ大阪へ行きました。今で言うコンテンポラリーブレイキンのようなニュアンスです。
自分自身飛び抜けてる才能とかはないと思うんですけど、ミックスさせたりとかいいとこ取りは上手なのかなって思いますね。
どこか行きすぎてしまうと批判されてますし。それはブレイキンではないとか、ヒップホップではないとか言われながらね。
それから大阪に行って、ブレイキンへの他ジャンルの混ぜ方等々色々影響を受けました。
1か月スパンで行ってました。大阪、東京、名古屋に行っては戻ってバイト代を貯めてみたいな武者修行な生活をしていました。ここが結構ターニングポイントになりましたね。
当時は、あまり外に行く方が多くなかった時代だったので、行くと意外と評価してくれました。大会で少し成績を残すだけでも、九州の田舎に帰ってきたら大ヒーローというかね。
「大阪どうだった?東京のbboyシーンはどうだった?」、「すごいね!その中で頑張ってきたんだね!」みたいな感じでね。その時はそれで浮かれてました。笑
披露する場が少なかったので、バトル1つ1つ濃かった印象です。bboy商店街やAD-HIPのバトルイベント、Bebboyやbattle of the yearもそうです。今と比べると逆にプレミア感があった気がします。
ninestatesbboyzは当時kyohi2やayumuが若手で頑張っているメンバーを集めたことがきっかけです。
当時の僕はがっつりhouseをしていたんですけど、「ユウキさん、ブレイキンから逃げないでくださいよ!」って言われて、入ったことを覚えています。笑
この3人で「今こういう子たちが頑張ってるよね!こうじゃない?」って言い合いながらメンバーが増えていったイメージです。
寄せ集めチームというよりは、昔から戦っていたライバルを集めました。僕の立ち位置的には、スペシャリストたちが際立つように、色々役目を果たしていた感覚です。
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