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今も増え続ける地雷とともに生きるアフガニスタンの人びと 〜AAR・紺野誠二さん〜

 映画『ブレッドウィナー』では、「世界中のパヴァーナのために」と題し、映画だけでは伝えきれない、今のアフガニスタンの人たち、世界中のパヴァーナのような女の子たち/こどもたち/女性たちのことも、このnoteでお伝えしていきます。

 今回は、AAR Japan[難民を助ける会]の紺野誠二さんに、アフガニスタンでおこなっている「地雷」に関連した支援事業についてお話を伺いました。

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 「地雷」は本作『ブレッドウィナー』のなかでも、何度か触れられていて、一つの「キー」になっているテーマでもあります。

 AARでは、主に①地雷除去活動、②地雷回避教育、③地雷被害者を含む障がい者の支援、の3つをおこなっています。

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AARさんは、どういう背景でアフガニスタンでの事業を開始したのですか?

 私たちがアフガニスタンに関わり始めたのは2001年なのですが、実は9.11米国同時多発攻撃よりも前なんです。アフガニスタンでは当時、数年にわたる干ばつで国内避難民がたくさん出ていたので、AARを含む複数の支援団体で視察に行っていました。そして、アフガニスタンで事業を始めようかという話になっていた矢先、9.11が勃発したんです。アフガニスタンからパキスタンへ逃れる難民の人たちがたくさんいるだろうと予測されたため、まずはパキスタンでの支援を開始しました。

 その後まもなくタリバンがアフガニスタンから出て行ったので、アフガニスタン国内に拠点を移そうという話になり、私は2001年12月に、初めてアフガニスタンの首都・カブールに入りました。以来4〜5年間、何度かアフガニスタンと日本を行ったり来たりしましたが、今は日本人がまったく入れないほど情勢が悪いため、日本から現地スタッフを指導したり、サポートしたりしています。

アフガニスタンに最初に入った時の印象はどうでしたか?

 私がカブールに入ったのは、タリバンが出て行ってまだ2週間程度の時期だったので、街はめちゃくちゃに破壊されていました。映画で描かれているよりももっとボロボロで、遺跡かと思うぐらいでした。当時もカブールに空港はあったのですが、まわりが地雷だらけなので、実質使うことができず、国連の飛行機で、パグラムという空軍基地に降り立って、そこから車で60kmほど走って、ようやくカブール入りしました。街には全然明かりもないので、夜は本当に真っ暗でしたね。

(紺野さんに教えていただいた、カブールの街の変化が写真と映像で見られるページ。かつての「遺跡」のような状態から、現在の車や人で賑わう街並みまで映されています→ https://spark.adobe.com/page/FAcs2qa7FIKQ8/ )

なぜ地雷に関わる事業を始めたのですか?

 アフガニスタンは、1979年からソ連が侵攻し、その後90年代には激しい内戦があったので、その間に埋められた地雷や不発弾がたくさんあるんです。その被害が多いことは、地雷の活動をしている人の間ではよく知られています。私ももともとコソボで地雷に関わる活動をしていたため、アフガニスタンに入った当初から、被害者の方の支援と、被害に遭わないための教育活動を行ないたいと考えていました。

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 地雷の撤去活動は、AARが直接行なっているのではなく、イギリスの非営利団体ヘイロートラスト(HALO TRUST。以下ヘイロー)に、日本で集めた募金を提供する形で、間接的に支援をしています。

 ヘイローは、1988年にアフガニスタンで立ち上げられ、以来ずっとアフガニスタンでの地雷撤去活動を継続しています。しかし1990年代後半には、タリバン政権下のアフガニスタンに対して国際社会が厳しくなり、支援が全然集まらなくなってしまっていたんです。

 AARは『地雷ではなく花をください』という絵本のシリーズを作っていて、その収益を当時はカンボジアでの地雷撤去活動に使わせてもらっていました。ただ、カンボジアはメディア等でもよく取り上げられ、様々な団体の支援が集まっていたため、絵本の収益やAARへのご寄付の一部を、ヘイローの地雷撤去活動のためにお送りさせてもらうようになったのです。

 今ではヘイローのアフガニスタン現地スタッフは約2500人と、大規模に活動を継続展開しています。

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地雷による被害の件数はどれぐらいなのでしょうか?

 昔は統計がないのですが、2001〜2002年頃から国際的な支援がたくさん入り、除去活動が活発におこなわれたことによって、一時期、地雷被害者数はものすごく減ったんです。でも2014年ぐらいからまた急増してしまったんですよね。2017年にはカウントされている数だけでも2300人の死傷者が出ています。昔より増えてしまったぐらいです。

地雷

*「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)と「クラスター爆弾連合」(CMC)が2011年に統合して発足したICBL-CMCが出している報告書「LANDMINE & CLUSTER MUNITION MONITOR」をもとに作成

 この被害の増加は、一時期落ち着いていた情勢が再び悪化してしまったことに起因しています。地雷には、埋められている対人地雷や、車両等を狙った大型の地雷、不発弾など、様々なタイプがありますが、近年増えているのは、英語でimporvised mineと言われる、仕掛け爆弾のようなものです。かつて埋められた地雷は、ある程度除去が進んでいる一方で、戦闘が激しくなったことによって、またあらたに仕掛けられてしまっているんです。アフガニスタンの政府自体は、ちゃんと地雷に関わる条約に加盟していて、国際的なルールは守っているので、新たに埋めているのは大抵、反政府の人たちですね。

 一方で、国際的なルールとしても、例えばオタワ条約で禁止しているものは対人地雷のみですし、オスロ条約で禁止しているのはクラスター爆弾だけです。戦争では普通の爆弾は普通に使われますし、それが爆発せずに残ったら、のちのち事故が起きるのは当然ですよね。そこまでは条約でも取り締まりきれないのが実情です。

地雷回避教育については、どんな活動をしていらっしゃるんですか?

 地雷の危険性や、どんな場面で気をつければいいかなどを映像やラジオ、ポスターなどを使って発信しています。

【アフガニスタンで使用している地雷回避教育映画】

 国際的に地雷回避の教育において伝えるべき内容とされているポイントは8つあります。

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 このポイントのなかから、伝える相手やケースによって、盛り込む内容を選んで制作しています。

 ただ、地雷除去活動をするスタッフは別として、一般の人にとっては、種類が大量にある地雷の色や形を一つ一つ覚えるのは困難です。それより大事なのは、地雷がある可能性が高い危険な場所には近づかないとか、動物が死んでいたら、近寄らないようにするとか、行動のほうをより重視して伝えていくようにしています。

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(地雷の危険がある場所を示す、赤く塗った石のライン)

ホームページに、「最も安い地雷は1個3ドル程度で作れますが、1個の地雷を除去するのに必要な経費は、場合によっては1個当たり100ドルを超えてしまう」と書かれていましたが、それは撤去作業に時間がかかるため、人件費が高くかかるということでしょうか?

 これは支援者の方が2003年頃にご寄付で買ってくださった、実物の金属探知機です。見てください。こんな小さなゴミでも、反応して鳴るんです。

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 感度が高い分、いろんなものに反応してしまうので、ひたすら掘り起こさないといけなくなります。こうした金属探知機を買う費用や、作業をおこなうスタッフの人件費が、まずはかかります。大型ブルドーザーのような機械で、一気に掘り起こす場合もありますが、それも1台あたり2000-3000万円ほどかかります。

 また、紛争後の場所に行くので、インフラ等も整っていませんし、大抵は都市部から離れています。そのため、例えば私がかつて活動していたコソボでは、自動車の修理工場のようなものも自前で構えていましたし、タンクローリーを買って、そこにディーゼルを入れ、事務所の一角で毎朝車に燃料補給をしていたりしました。

 このように、作業そのものの大変さだけでなく、物理的なコストもかなりかかるんです。

ヘイローの地雷撤去活動には、現地アフガニスタンの人たちが携わっているということですが、命がけの仕事に就く理由は何なのでしょうか?

 仕事に就ける、お給料がもらえる、まずはそこだと思います。でも実はこれはすごく大事なことだと思っているんです。もちろんいろんな人がいるとはいえ、やはり、養うべき家族がいるけど仕事がない、お金がないという状況が、原理主義的な活動に走りやすくしてしまうと思うんです。毎月安定した現金収入があって、大事な家族を養うことができる。その状況をわざわざ投げ打つ人は、多くないと思います。しかも、地雷を探すだけの仕事であれば、技術的にそんなに難しくなく、3週間程度の研修でできるようになりますしね。これは、地雷撤去活動のもう一つの意義だと思っています。

障害者支援の活動についても、教えてもらえますか?

 まだ2校のみですが、インクルーシブ教育を広めるための活動をおこなっています。もともとAARはカンボジアでインクルーシブ教育をやっていたのですが、アフガニスタンでも、地雷の被害者をはじめ、身体的な障害をもった人たちへのサポートにも取り組むようになりました。

 正確な統計はないのですが、アフガニスタンでは障害がある子どもの多くが学校に行っていません。一説には障害をもった子どものうち95%が学校に通っていないとも言われています。

 日本であれば、盲学校やろう学校などの特別支援学校か、一般の学校に通わせるか、大きく2つの中から親御さんが選択すると思うのですが、アフガニスタンの場合、盲学校とろう学校を合わせても10校程度しかなく、しかも都市部にしかありません。そのためAARでは、地域にすでにある学校に、障害をもった子どもたちも通えるように、ハード面・ソフト面の環境整備を行っています。

 ハード面の環境整備では、スロープを設置したり、あと、トイレは重要ですね。トイレの問題は尊厳やプライドに関わるものなので、想像されるよりもずっと重要だと思っています。ソフト面では、学校の先生たちが手話や点字を子どもたちに教えられるように研修をおこなったりしています。

 ただ、まだ全然取り組まれていないのが知的障害ですね。アフガニスタンには、視覚障害や身体障害、地雷の被害者などの当事者団体は結構あるんですよ。でも、知的障害の人の親や家族の会のようなものは、全然見つかりません。そちらも取り組んでいきたいと思い、人材を探しているところですね。

数十年にわたって、紛争が続いていて、地雷による被害者数も増えていたり、復興しようとしても、再び破壊されるようなことが起きていると思いますが、アフガニスタンはいい方向へ向かっているのでしょうか?

 向かっていると思いますよ。もちろん、今も学校が爆破されてしまったり、爆発事件が起きたりはしていますが、それでも、全体的な識字率や医療・保健の指標等は、着実にあがっています。街中にもマーケットができていたり、車もたくさん走っていて、活気もありますし。逆に、良い方向に向かっていると思わないと、頑張りつづけられないとも思います。

 アフガニスタンの人たちは、真面目で親切な人が多くて、あそこに飾ってあるカーペットも、アフガニスタンの現地スタッフが、東京での研修のために来日したとき、プレゼントで持ってきてくれたんですよ。今回の映画や原作からも伝わってくると思いますが、アフガニスタンの人たちは国に対するプライドが強い人も多いので、よりよいアフガニスタンを作っていくために、これからも彼らと一緒に、頑張っていきたいと思います。

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最後に、映画『ブレッドウィナー』の感想と応援メッセージをいただけますか?

 映画を拝見して真っ先に思ったこと、それは「本当のアフガニスタンが、本当のカブールがこの映画にはある」ということです。映画の中のカブールの風景。そのざらざらとした空気感が画面から伝わってきます。アニメーションでよくここまで再現できているな、と感心するばかりです。

 また、「自分がタリバンだったら、どうしていただろう?」とも考えました。タリバンの人にだって家族はいますよね。その家族はいったいどうしていたのでしょうか?そもそも、タリバンになりたかった人ってどれくらいいるのでしょうか?もし、主人公の父親がタリバンだったら?その家族は、その子どもたちはどうしたのでしょうか?

 この映画は本当にいろいろなことを考えさせてくれます。平和とは。家族とは。自由とは。社会とは。そして、生きるとは。

 アフガニスタンからは今でも残念なニュースばかり届けられます。でも、そこで暮らしている人々は本当に心優しい人々です。この映画には、アフガニスタンで暮らす人々の喜びも悲しみも苦悩も、そして、たくましさも凝縮されています。人間って何なんだろう、って考えさせられます。人間ってすごいな、って思います。

 遠いアフガニスタンに思いをはせながら映画をご覧になってください。ご覧になられた後には、きっと身近に感じられると思います。

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☆AARのアフガニスタン事業を応援するためには☆

https://www.aarjapan.gr.jp/activity/afghan/

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