アナログ派の愉しみ/映画◎大森立嗣 監督『MOTHER』

お母さんが好きなのも
ダメなんですかね


大森立嗣監督の『MOTHER』(2020年)が描いてみせたのは、おそらく日本映画史上最もおぞましい母親と息子をめぐるドラマだろう。しばしば目をそむけたくなるほどの不快感を覚えつつ、しかし、ふとこんな思いもよぎったのだ。ことによったら、これは美談なのかもしれない、と――。

 
埼玉県川口市で実際に起きた事件をモデルにしているという。ごくふつうの家庭出の三隅秋子(長澤まさみ)は、夫と離婚したあと、女手ひとつで息子の周平を育てていたが、まじめに仕事をする気はなく、生活保護の受給も長続きせず、周囲の人々に借金を重ねてはパチンコなどに興じるといった生活態度で、業を煮やした実家の父母や妹から義絶を言い渡される。そんな秋子は学齢期の周平を学校に通わせないばかりか、電気・ガスを止められたアパートの一室に置き去りにしたまま、ゲーセンで出会ったチンピラの遼(阿部サダヲ)と泊まりがけで遊び歩く始末。やがて妊娠したことがわかると、相手の男はさっさと逃げてしまった。

 
確かにだらしないこと夥しい。だが、わたしに言わせるなら、目下取り沙汰中の「異次元の少子化対策」はこうしたシングルマザー(ないしシングルファーザー)こそを対象とするべきだろう。でなければ、とうてい出生率のV字回復など見込めまい。

 
それから5年後。秋子は相変わらず浮き草のような生きざまで、いまは17歳になった周平(奥平大兼)と、のちに出産した幼い冬華とともに路上生活をしていた。そんなかれらの前に保護司の高橋亜矢(夏帆)が現れ、彼女の献身的な支援によって簡易宿泊所で暮らせるようになり、周平はフリースクールに通いはじめたが、平穏な日々もすぐに終わりを告げる。ふたたび姿を現した冬華の父・遼のヤミ金騒動に巻き込まれて夜逃げしたり、ようやく周平を雇ってくれた町工場で盗みを働かせて追い払われたり。もはやニッチもサッチもいかないどん詰まりまで追い込まれ、秋子は周平に向かって、実家の両親(周平にとっては祖父母)を殺してカネを奪ってくるように命じた――。

 
まさに天をも恐れぬ所業。のみならず、血なまぐさい事件のあとに逮捕されると、秋子はすべてを周平のせいにしたうえで「あれはあたしが生んだ子なの。あたしの分身、わかります? 舐めるようにして育ててきたの。あたしが自分の子どもをどう育てても、それはあたしの勝手でしょ。何か悪いことあります?」と開き直る。一方、周平は全部自分ひとりの判断で行ったと自供して、裁判では秋子が執行猶予3年となり、周平だけが懲役12年の実刑判決を受けて刑務所に服役する。こうした結果に納得のいかない保護司の亜矢は面会にやってきて、「ウソはダメでしょ」と迫ったところ、かれは口ごもってこう応じるのみだった。

 
「お母さんが好きなのもダメなんですかね」

 
この秋子と周平の態度の非対称性にわれわれは戸惑い、不快を催さずにいられないわけだが、果たしてここにあるのはたんにおぞましいだけの関係だろうか。それを「共依存」と分析してみたところではじまらない。実のところ、かれら親子にかぎった話ではなく、世間のたいていの母親は自分の息子を所有物と見なし、好むと好まざるとにかかわらず、たいていの息子もまたそれを受け入れているのが実情ではないか。

 
こう考えてみたらどうだろう。事件のとき、周平は17歳で、現在の法律に照らせば成人年齢の一歩手前だった。つまり、すでに社会的には大人に準じる立場にあり、だれよりも本人がその自覚を持っていたとすると、たとえ母親の命令には絶対的な重みがともなったにせよ幼子のごとく唯々諾々としたがうだけでなく、もうひとつの選択肢が目の前にあったはずだ。そう、秋子のほうを殺すことである。かくして、究極の局面で母親と祖父母のいずれかの二者択一を迫られた周平は、みずからの意思で前者を選び取ったことが保護司への「お母さんが好き」の発言につながり、この陰惨なドラマにわずかながらも美談の余地を残しているように見えるのだ。

 
むろん程度の差はあれ、こうした理不尽な「親孝行」を強いられている息子たちは思いのほか多いのではないか。わたしはそんなふうに推測している。
 

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