アナログ派の愉しみ/音楽◎貴志康一 作曲『竹取物語』

かぐや姫が
含み笑いするように


森鴎外(1862年生まれ)、滝廉太郎(1879年生まれ)、山田耕筰(1896年生まれ)、東山魁夷(1908年)……といったお歴々には共通点がふたつある。ひとつはドイツ留学を経験したこと、もうひとつはかれらの文学、音楽、美術の作品が日本的な情緒をクローズアップしていることだ。大雑把な印象に過ぎないのだけれど、近代以降、ヨーロッパやアメリカの他の国へ留学した文化人・芸術家がとかくバタ臭い雰囲気をまとっているのに較べて、わたしはいささか不思議な気がするのだ。ドイツの文化に自己のルーツを見つめさせる働きがあるのか、そもそもそうした資質の持ち主がドイツを留学先とする傾向があるのだろうか。

 
貴志(きし)康一も、明らかにこの系譜に属する人物だろう。1909年に関西の裕福な商家に生まれたかれは、幼くして音楽の才能を発揮するとカネに糸目をつけない英才教育を授けられ、世界恐慌の時期に三度にわたってヨーロッパ留学を果たす。とりわけ、その三度目の、ヒットラーのナチス党が台頭しつつあった当時のベルリンでは、作曲家ヒンデミットや指揮者フルトヴェングラーといった錚々たる音楽家たちに師事して、名門ベルリン・フィルを相手にタクトを揮ったばかりか、自作の交響組曲を演奏してレコードに録音するという、まだ20代早々の留学生としては驚天動地の活動を繰り広げている。

 
そんな貴志がベルリン滞在中の1934年にビルンバッハ社から出版したのが、六つのヴァイオリン曲だ。『月』『水夫の唄』『竹取物語』『漁師の歌』『花見』『龍』と名づけられたそれらは、いずれも日本的な情緒を持ち味とする演奏時間5分前後の小曲だが、自分自身がヴァイオリンの名手だっただけに、高度な技巧を凝らしながらものびのびとした音楽風景が広がっていく。こと作曲に関しては、フルトヴェングラーを凌ぐほどの天分に恵まれていたのではないだろうか。なかでもひときわチャーミングなのが『竹取物語』で、日本最古のファンタジーが目の前に浮かんでくるようで自然と口元がほころんでしまう。

 
ヴァイオリンがピアノ伴奏にのってたゆたう旋律をうたいだすと、竹のなかから月の世界のお姫さまが出現するという、他愛もないストーリーに早くも心の琴線がかき鳴らされるのがわかる。その大らかな雰囲気が中間部でさらにユーモアの色合いを帯びていくのは、かぐや姫が自分に求婚してきた5人の貴公子に対して、それぞれ難題を突きつけテンテコ舞いさせるエピソードを表しているからではないだろうか。

 
たとえば、藤原不比等がモデルとされている庫持(くらもち)の皇子には、「蓬莱の珠の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の樹木の枝)」を持ってくるように告げたところ、ものぐさな皇子はハナから中国の蓬莱くんだりまで出かける意思はなく、近場でくつろぎながら職人にそれらしい工作物をつくらせると、歳月を見計らってかぐや姫のもとへ立ち返り、これを手に入れるためにはるばる仙境の地まで往復した波瀾万丈の冒険譚を語り聞かせたうえで差しだした。ところが、そこへ工作物をこしらえた職人どもやってきて報酬を求めたせいで事態が露見して、姫はこんな歌を返すのだった。

 
 まことかと聞きて見つれば言の葉を
 飾れる珠の枝にぞありける

 
なるほど、ここに描かれたのは不届きなウソ偽りと発覚後のしっぺ返しではあるけれど、しかし、おたがいの人格を貶めてまで我意を押し通そうとする傲慢さはない。しょせんすべてはゲームと割り切って、ことがなってもならなくても、かぐや姫は含み笑いして受け流しているかのようだ。そこには、はるか極東の島国からヨーロッパ大陸へ留学してきて、あれこれのカルチャー・ギャップに見舞われつつも、したたかにやり過ごして前向きに進んできた実体験と響きあうものがあったのではないか。どこまでものびやかに屈託のないヴァイオリンの音色を耳にしていると、そんな想像を働かせたくなる。

 
もうひとつ、つけ加えておかなければならない。六つのヴァイオリン曲を出版した翌年、長らくの留学生活を終えて日本へ帰国した貴志は、さっそく新交響楽団(現・NHK交響楽団)の指揮者などとして本格的な活動をスタートさせたものの、不意の病気のためにあっけなく命を落としてしまう。華々しい才能を撒き散らしながらわずか28歳の若さで世を去った姿もまた、天皇の懇願すら振り切ってたちまち月の世界へと帰っていったかぐや姫と重なるようで、この小さな曲がひときわ愛おしく思われてくるのである。
 

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