アナログ派の愉しみ/本◎有吉佐和子 著『恍惚の人』

いつかは自分も……
畳の上の黄金色の衝撃度


「婆さんが起きてくれないもんだから、私は腹が空いてかなわんのです」。人並み以上に気難しかった84歳の舅・茂造の口からその言葉が洩れたとき、長男の嫁である昭子の生活は一変した。寝床の姑はとうに脳内出血でこと切れていて、それを伝えても茂造は「はあ、はあ、そうですか」と繰り返すばかり……。発表当時、空前のベストセラーとなった有吉佐和子の長編小説『恍惚の人』(1972年)の導入部だ。いま読み返してみても、じわりと冷たいものが背筋を這いのぼってくる。

 
戦後四半世紀を経て、作中の解説によれば日本人の平均寿命が男性69歳、女性74歳になったという、そんな時代を背景に「老人性痴呆」をめぐるドラマが幕を開ける。昭子は商社勤務の夫と結婚して20年がたち、一人息子は高校2年、東京郊外の住宅地の戸建てに舅姑と同居して、みずからも弁護士事務所で働いていた。すなわち、『サザエさん』のような大家族から、夫婦共稼ぎの核家族へと移っていく、過渡期の都市部の家族形態と言っていいだろう。そこにいきなり想定外のアクシデントが出来する。

 
茂造は姑の葬式に集まった親族もわからず、しきりに空腹ばかりを訴えて周囲をうろたえさせる。やがて失禁を繰り返したり、夜中に大声をあげたりする一方で、夫は仕事にかまけて逃げ腰のために、すべての負担が昭子の一身にのしかかってくる。さらには、ひとりで出歩いて警察の厄介になったり、風呂場の浴槽に沈んで危うく溺死しかけたり……と、ひとときも目を離せない状況へと進んでいくが、昭子は特養老人ホームなどの施設に預けることには抵抗感が強く、夜は布団を並べて、あくまで自宅での世話を続ける。そうこうするうち、茂造の徘徊もようやく止まり、日々の落ち着きが戻ってきたかと安心しかけた矢先、クライマックスの場面を迎えるのだ。

 
 が、昭子の幸福感が、ある日の未明に破られることになった。同じ部屋に寝ていた昭子は、異様な臭気に気付いて目を醒ました。なぜか悪臭が鼻でなく耳を貫いた実感があった。咄嗟には何が起ったのか理解できなかった。とにかく起き上って見渡してみると、ワンルーム式になっている一階の一隅で、茂造が四つン這いになって蠢いている。何をしているのか分らなかったが、悪臭がその方向からたちこめているのは確実になったので、昭子は起き上った。
 「何をしてるの、お爺ちゃん」
 声をかけて近づいた途端に、ぎょっとなった。
 茂造は右掌をひろげて畳の目なりに左から右へ、左から右へと緩慢に撫でていたが、その畳の上には黄金色の泥絵の具に似たものが塗りたてられていたのだ。〔中略〕左官屋だったわけでも畳屋だったわけでもないのに、何から思いついて茂造は畳一面に自分の排泄物をなすりつけたのだろう。

 
こちらの鼻もひん曲がりそうな描写を前にして戦慄を禁じ得ないのは、いつかわたしも恍惚の境地にさまよってこうした振る舞いにおよぶかもしれない恐怖からだろうか? あるいは、そのとき自分にはとうてい昭子のような献身的な身内を望めないことへの絶望からだろうか?

 
もっとも、現行の介護保険制度に照らしてみれば、こうした「不潔行為」の開始は要介護5段階のうちの「3」相当で、日々苛烈な現場でケアにあたっている介護者たちにとってさほど大騒ぎする事態ではないらしい。日本人の平均寿命が男性81歳、女性87歳という世界に誇る長寿社会を迎えた今日、老人性認知症はありふれた「日常」の光景に過ぎず、有吉佐和子が頼山陽の『日本外史』から借用した「恍惚」というネーミングのインパクトも、すでに遠い過去のものとなりつつあるようだ。それだけに、老人性認知症がまだ「非日常」だった当時のこの作品ほど、畳の上の黄金色の生々しい衝撃度を伝えるものは今後われわれの前に現れないのではないだろうか。
 

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