アナログ派の愉しみ/本◎宮沢賢治 著『注文の多い料理店』

「正しいものゝ種子」の
手招きに導かれて


宮沢賢治が生前、世に送りだした本はふたつだけだ。詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』で、いずれも1924年(大正13年)、28歳の年に自費出版に近い形で刊行されている。前者では妹トシの死を看取った自己の荒れ狂う内面を凝視しようとし、後者ではそんな自己を外部に押し開こうとした試みと見なせば、両者は正反対のベクトルを持つ産物と言えるだろう。『注文の多い料理店』の発売予告にあたって、賢治はこんな宣伝文をしたためた。

 
「これは正しいものゝ種子を有し、その美しい発芽を待つものである。而も決して既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を色あせた仮面によつて純真な心意の所有者たちに欺き与へんとするものではない」

 
わたしはこの本のオリジナルを再現した復刻版を古書店で(500円で)手に入れたが、濃紺色の堅牢な表紙にイラストや飾り文字をあしらった装幀からも、賢治の意気込みがひしひしと伝わってきた。ここで、ちょっと立ち止まって考えてみたい。わたしはいま本という言い方をしたけれど、そもそも本とは一体、何を意味するのだろう? 紙のページにインクで印刷して束ねて綴じたものをわれわれは本と呼び、ありふれた教養や娯楽の糧としているが、ときには途轍もない、まるごと世界と対峙するほどのものともなりうるのではないか。少なくとも、賢治にとって『法華経(妙法蓮華経)』の本はそんな存在だったようだ。

 
その『法華経』には、仏教の教えを伝えるための多彩な説話が盛り込まれているが、なかでも「火宅」のエピソードは広く知られていよう。インドのある町で、長者の屋敷が火事となり、燃えさかる家のなかには幼い子どもたちが取り残され、ただならぬ不幸が襲いつつあるにもかかわらず、かれらは遊びに夢中になっていっかな逃げようとしない。そこで、主人は珍しい車のオモチャを運んできてこんなふうに呼びかけた。

 
「汝等が玩(もてあそ)び好むべき所は、希有にして得ること難し。汝、若し取らずんば、後に必ず憂悔(うけ)せん。かくの如き種類の羊車・鹿車・牛車は、今、門の外に在り。もって遊戯(ゆげ)すべし。汝等は、この火宅より宜しく速かに出で来るべし。汝の欲する所に随って、皆、当(まさ)に汝に与うべし」(坂本幸男読み下し)

 
こうして子どもたちを無事救いだすことができたとして、一般大衆に対して大乗仏教が果たすべき役割に譬えるわけだが、わたしの目には、先の賢治の宣伝文に言う「正しいものゝ種子」とはこの「羊車・鹿車・牛車」と重なりあい、かれが童話集で意図したことを暗示しているように見えるのだ。

 
表題作の『注文の多い料理店』は、だれでも読んだことがあるのではないか。英国風の装いをしたふたりの若い紳士が山奥へ狩猟にやってきたところ、連れていた猟犬は死に、案内人の猟師ともはぐれてしまって、空腹を抱えてうろうろしていると、目の前に立派な造作の「山猫軒」という西洋料理店が立ちはだかった。大喜びしたふたりはさっそく入って、通路の扉に掲げられた指示にしたがって上衣を脱いだり、肌にクリームを塗ったりしながら進むうち、どうやら自分たちは料理を食べる側ではなく料理となって食べられる側らしいと気づき、まるで紙屑のような顔になって泣きだしたとき、死んだはずの猟犬が現われて高らかに吠えたとたん、幻は消え去り、ふたりはぶるぶる震えながらもやっと安心した。最後はこの一行で結ばれる。

 
「しかし、さっき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした」

 
かれらが出くわした状況も「火宅」と見なせるのかもしれない。都会から動物を殺しにやってきたブルジョア青年どもがしっぺ返しを食らって逆に殺されかけたという、ただならぬ不幸も。だが、子どもたちはおそらく、そのぶざまなありさまにニヤニヤしながら読み終えることだろう。そして、賢治が蒔いた「正しいものゝ種子」の手招きに導かれて、この現実世界の不幸から逃れるためにも、自分のなかに曇りのないまっすぐな心を持っていることの大切さを思い知るはずだ。そう、とっくに忘れてしまったにせよ、われわれもまた、かつてこの童話と初めて出会ったときに学んだように――。
 

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