アナログ派の愉しみ/音楽◎ハイドン作曲『時計』

そこに刻み込まれた
時間の足取りが意味するもの


クラシック音楽において最上段の座を占めるのは交響曲のジャンルだ。オーケストラのコンサートがほとんどの場合、だれそれの交響曲第ナン番をメインのプログラムにしていることからも明らかだろう。そんな今日の交響曲の基本的なスタイルを確立して「交響曲の父」と呼ばれるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、77年の生涯に番号つきの交響曲だけでも第1番から第104番までの膨大な作品を残している。

 
18世紀なかばのウィーンで音楽家の活動をスタートさせたハイドンは、もっぱら富裕な貴族階級のために作曲の筆をふるったが、長年にわたって仕えてきたハンガリーのエステルハージ侯爵家の当主が死去すると、名うての興行主ザロモンの依頼によりイギリスでの演奏会を目的とする交響曲を手がけることに。それが最後の第93~104番の「ロンドン・セット」12曲で、いかにもキャリアの掉尾を飾るにふさわしい傑作揃いとなっている。

 
それらのなかで、わたしと前後する世代にとってはとりわけ第101番が有名だろう。ソナタ形式にもとづく全4楽章構成のうち、第2楽章で二拍子のリズムが振り子のように規則正しく刻まれることから『時計』のニックネームがついたこの交響曲は、かつて極東の島国で旺文社のラジオ講座「百万人の英語」のテーマ音楽として使われたせいで、われわれはあのリズムの反復を耳にすると懐かしさとともに、大学受験が刻々と迫ってくるおののきをよみがえらせるのだ。『時計』の愛称は作曲者の与り知らぬところで生まれたらしいが、当時の人々もそこに時間の容赦ない足取りを聞き取ったからではなかったか。

 
実は、ハイドンが「ロンドン・セット」に取り組んだのは1791年から95年にかけてで、『時計』はこの間の1793~94年に作曲されている。すなわち、フランス革命がヨーロッパ全土を震撼させたまっただなかのことだった。この歴史的な政治劇は、たんに国家の主役を王侯貴族や聖職者から一般市民へと移行させたばかりでなく、キリスト教世界にあっては天地創造以来、神が支配してきた時間を人間の側に引き渡そうとするものでもあったろう。だから、ジャコバン党の革命政府はただちに時刻表示を改めて、1日を10時間に、1時間を100分にする旨を宣言したのだ。こうして、望むと望まざるとにかかわらず、人間は時間に対してみずから責任を背負い込むことになった。

 
フランス革命の思想的なバックボーンを準備したとされる、哲学者であり音楽家でもあったジャン=ジャック・ルソーは著書『エミール』(1762年)のなかで、そのあたりの人間と時間の関係をつぎのように要約している。

 
「わたしたちはこの地上をなんという速さで過ぎていくことだろう。人生の最初の四分の一は人生の効用を知らないうちに過ぎてしまう。最後の四分の一はまた人生の楽しさが感じられなくなってから過ぎていく。はじめわたしたちはいか生くべきかを知らない。やがてわたしたちは生きることができなくなる。さらに、この最初と最後の、なんの役にもたたない時期にはさまれた期間にも、わたしたちに残されている時の四分の三は、睡眠、労働、苦痛、拘束、あらゆる種類の苦しみについやされる。人生は短い。わずかな時しか生きられないからというよりも、そのわずかな時のあいだにも、わたしたちは人生を楽しむ時をほとんどもたないからだ。死の瞬間が誕生の瞬間からどれほど遠く離れていたところでだめだ。そのあいだにある時が充実していなければ、人生はやっぱりあまりに短いことになる」(今野一雄訳)

 
もはや神への信仰によって平安を得ることなどは想定されず、だれもが苛烈な人生を自力で切り開いていかなければならないことが語られている。こうした人間と時間との関係はそのまま、21世紀のいま「人生100年時代」を迎えた現代の日本社会に生きるわれわれにも当てはまるのではないだろうか?

 
わたしがこれまで最も親しんできた『時計』は、アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカのレコード(1972年)だ。ブダペストで勃発した民衆運動をソ連軍が蹂躙するという「ハンガリー動乱」(1956年)によって、祖国を逃れた演奏家たちがウィーンで結成したオーケストラが、名指揮者ドラティのタクトのもとで成し遂げたハイドンの交響曲全集録音という空前の偉業に含まれるものだ。その第2楽章で刻まれる厳かな二拍子のリズムに、わたしはやはりフランス革命が解き放った時間の容赦ない足取りを聞き取らずにはいられないのである。
 

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