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レインメーカー 第十八話(完)

「……ここは?」

 改が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。頭がボーっとする中、かすみ目を瞬かせて周りの様子を伺う。真っ先に視界に飛び込んできたのは、来客用の椅子に座る渚が、寝息を立てている姿だった。

「……渚?」

 眠りが浅かったようで、渚は呼び掛けに反応して、直ぐに目覚めた。最初は何が起きたか分からずに目をパチクリさせ、改と目が合った瞬間、感極まって大粒の涙を浮かべた

「馬鹿! 心配したんだから。改くんがこのまま目覚めなかったどうしようって、私、不安で不安で……」
「……ごめん。心配かけた」

 釣りあがった眉がすぐに八の字となり、渚は改に縋るように泣き続けた。どれだけ不安にさせてしまっていたのか、痛い程伝わって来た。

「俺は一体どうなったんだ?」

「着替えを持って改くんの部屋に帰ってきたら、改くんがベッドに倒れてて。どんなに呼びかけても目覚めなくて。慌てて救急車を呼んで。それから改くん、三日間も眠り続けていたんだよ」

「三日も?」

 夢の中で雪緒と対峙し、突然訪れた世界の終わりに飲み込まれたところで記憶は途絶えている。言われてみると体の状態は固く重く。相応の日数が経過していると実感した。ちょっとした浦島太郎気分だ。

「とにかく先生を呼ばないと。それから藍沢さんや連翹さんにも」

 改が目覚めたことを各所に報告しないといけない。渚は泣き腫らした目で手順を確認するが、そんな彼女を落ち着かせるために、改が優しく手を握った。

「心配かけたけど、ちゃんと戻って来たよ」
「改くん……」
「俺が大変な時。いつだって渚が一番近くにいてくれた。本当にありがとう」

 その手の温もりを感じた瞬間、渚は本当の意味で改が無事に帰って来たと実感出来た。再び涙が流れたが、今度は正真正銘の嬉し泣きだ。
 
 改は、医師による診察を経て、三日間眠り続けたことによる僅かな体力の衰えはあるものの、幸い健康状態に大きな問題はないと診断された。改自身が一連の事件の顛末を知りたがったため、その日の内は関係者が病室へと集合した。共に危機を乗り越えた戦友である茉莉とフェルナン。灰塚の意志を継ぎ、事件解決に尽力した瞳子。改が眠っている間に関係者と顔を合わせ、状況を把握している渚もこの場に顔を連ねている。

「薄墨くんが無事で本当に良かった。ニュースの直後に夢に向かったと聞いて、一時はどうなることかと」
「勇敢と言えば聞こえはいいけど、残される方のことももっと考えるべきだよ。恋人さんはもちろん、僕らも気が気じゃなかった……よくぞ戻ってきてくれた」
「藍沢さん、フェルナンさん。大変ご心配をおかけしました。お二人と再会出来て嬉しいです」

 仲間達とも再会の喜びを分かち合う。レインメーカー実写化のニュースを伝えた茉莉は改の状態に責任を感じていたし、落ち込む周囲を気遣い、必死に明るく振る舞っていたフェルナンもようやく感情を解放することが出来た。誰もがもうこれ以上犠牲者が出てほしくないと心から願っていた。

「連翹さん。事件はあれからどうなったんですか?」

「虹谷や水面は、桃園の死体遺棄や一連のナノマシンを使った人体実験について素直に供述していて、捜査は順調に進んでいる。実験に加担していた関係者に対する取り調べも並行して行われているわ。灰塚先輩の主治医だった亜麻井や、薄墨さんが通っていた緑川クリニックの院長はやはり、虹谷の協力者だった。信奉者と言い換えてもいいかもしれない。大学時代の先輩だった虹谷の理論や思想に魅せられた彼らは、見返りなど求めず、純粋な厚意で虹谷の実験に協力していた。より具体的には、実験に適した若くて健康的な人間を選別し、適当な理由をつけて、注射や点滴などで、虹谷から提供された実験用のナノマシンを体内に注入していたようね。医師としての倫理観よりも個人への羨望を優先する。彼らもまた狂気に囚われた者たちよ」

 透上先端技術開発機構のスタッフや本社の人間、外部の関係者など、実験に関わったとされる人間はすでに五十名以上に上り、まだまだ増える見込みだ。だれがどの程度実験に関わっていたのか、今後も時間をかけて慎重な裏付けが進められる。

「そういえば、俺達の体内にあるナノマシンはどうなってるんですか? 害などは?」

「その点は安心して。例のナノマシンはすでに薄墨さんの体からは排出されている。もちろん、藍沢さんとフェルナンさんもね。科学的調査や開発者である虹谷の証言によると、既存のナノマシン同様に、一定期間が過ぎると役割を終え、新陳代謝によって自然と体外へと排出される仕組みとなっているみたい。その期間はおよそ十四日で、投与された時期で多少は前後したけど、この場にいる全員から、この数日中で体外へ排出された模様よ。そもそもが違法な実験で、虹谷のしたことは許されないけど、実験が本来の想定通りに進んでいれば、夢の中で被験者が死んでも現実ではそうはならず、一定期間の実験が終わった後、被験者の体内からはナノマシンが自然に排出される。証拠は残らないし、被験者も一時的に変わった夢を見ていたのだとしか思わない。人知れず、穏便に終了するはずだった。平和的というにはあまりに過激だけど、一応は虹谷も人が死なない想定で始めた実験ではあったようね。過去の実験では危険な例もあったようだし、このような実験に踏み切った時点で、十分狂気的だけど」

「過去の実験?」

「それについては僕から。初めて現実で顔合わせをした時、僕がネット上で語られている夢に関する都市伝説の情報を持ち込んだのを覚えているかい?」

「確か、夢の中での赤いレインコートの男の目撃証言ですよね」

「全てがそうというわけではないけど、これらの一部は虹谷が、今回の大規模な実験に及ぶ以前に行っていた、前段階の実験であると判明した。明晰夢を生み出し、そこに特徴的な姿の赤いレインコートの男を登場させることで、被験者の反応を見ていたようだ。ネット上の目撃証言は、僕らのように知らず知らずの内にナノマシンを投与され、人工的に夢を見せられていた人々から飛び出したものというわけさ。これらの実験はそれぞれ一夜の夢で終了しており、ナノマシンは問題なく体外へ排出。明確な健康被害などはなく、単に気味が悪い夢を見た、という程度の印象で落ち着いていたようだね。ちなみに、この時のレインコート役は桃園だったようだ。改めて確認してみると、出回っている人相書きは桃園と似ている部分も多い」

 桃園はその頃から実験に加担しており、今回のレインメーカー事件にもそのまま虹谷に採用されていたわけだが、その采配は誤りだった。一晩、誰かの夢の中で印象を残す程度の初期の実験では粗暴さが露呈することは無かったが、より長期的かつ繊細な計画の中でそれが露呈し、大きな弊害を与えることとなった。

「危険な事例というのは? 違法性はともかく、この時点では大きな被害は出ていないようですが」
「薄墨くんは、納戸機知之助という国会議員が少し前に亡くなったことは知っている?」

 捕捉したのは茉莉だった。茉莉は捜査に協力しつつ、独自のルートでも一連の事件の経緯を追っている。

「ニュースで見た記憶があります。もしかしてその方も実験で?」

「虹谷の証言で判明した事例だけど、虹谷はあたし達に課した恐怖実験に取り掛かる以前には、夢の中で快楽を得る実験のデータを得ていたようなの。早い話がエロい夢を見せる実験ね。それに納戸議員も参加していたみたい。議員として何度も透上先端技術開発機構の視察を行い、虹谷とも近しい間柄だったこともあり、進んで実験に参加したようね。故人の秘部を晒すのは気が引けるけど、納戸議員はご高齢ながらも性的にはお盛んだったようでね。人に言えないような倒錯した性癖も持っていたみたい。そんな彼にとって、何をしても許される夢の中で快楽は好都合だったのでしょうね。だけど、悲劇は起きてしまった。元々ご高齢で心臓が悪かったことが災いし、性的興奮による血圧上昇などの影響を受け、納戸議員は突然死してしまった。一種の服上死ね。今回の事件のように夢の中で殺害され、現実でも肉体が死亡してしまったケースとは異なるけど、すでに夢に関する実験で死者は出ていたというわけ」

「それにも関わらず、虹谷は今回の実験を強行したというわけですか」

「一応、納戸議員の反省を踏まえて、被験者は突然死のリスクが限りなく低い、若く健康的な人間に絞ったようだけど、結果は御覧の有様。虹谷はリスクを承知したうえで、自分の知的好奇心を何よりも優先するようなマッドサイエンティストだったということね」

 狂気の科学者虹谷忍弘。だが狂気とは時に魅力的にも映るものだ。だからこそ、同じように狂気を抱えた雪緒や水面のような人材が周囲に集まり、彼に魅せられた多くの協力者によって、とんでもない人体実験が成立する環境が整ったと言えるのかもしれない。それでも、狂気で突き進むにも限界はある。

「連翹さん。施設の責任者とはいえ、虹谷一人の権力で、これだけの実験が成立するもなんですか?」

「当然、透上コーポレーション本社の関与も疑われる。あくまでも狂気の研究者虹谷忍弘と一部の関係者の暴走であり、本社は一切関与してないとの姿勢だけど、それは正直疑わしい。ひょっとした現実で人が死ぬことまで織り込み済みだった可能性だって否定出来ない。夢の中にもう一つの世界を生み出す今回の実験は、見方によってはとても革新的よ。虹谷自身はあくまでも自身の探求心を満たすためだけに続けていたみたいだけど、上層部ではもっと様々な利用方法を考えていた可能性だって考えられる。納戸議員の例のような、性的な利用方法も大概だけど、それこそ今回の事件が物語っているような利用法だって考えられる。図らずも灰塚先輩が初期に抱いていた感想だけど、この技術は使い方によって、現実で手を下さずとも相手を殺すことが出来る、究極の暗殺兵器となる可能性だって秘めている。そうなればもはやこれは兵器よ――この辺は全て憶測だけどね。いずれにせよ、本社の関与の疑いについても徹底的に追及するつもりです」

 今後、体内にナノマシンを常駐させていく人の割合はどんどん増えていくことは間違いない。その中に、今回の実験に使われたようなナノマシンがもし混ざっていたとすれば、気に入らない人間を夢の中で意のままに殺害したり、夢というもう一つの世界を悪用した洗脳教育のような使い方だって出来るかもしれない。もしそうなっていたら、新たな独裁的支配体制が構築されたとしてもおかしくはない。透上コーポレーション本社がどこまで関与していたか定かでないが、この技術の悪用を避けるためにも、疑惑は徹底的に追及しなくてはいけない。

「詳細はまだ捜査中の情報もあるし、今提供出来る情報はこんなところかな。ここからは薄墨さんにも話を聞いてもいいかな? 夢の中で未咲雪緒と接したあなたの証言は貴重だから」
「もちろん、俺が話せることなら何でも話しますけど、本人からは何も情報を聞き出せていないんですか?」

 その場にいた全員が、気まずそうにお互いの顔を見合わせた。

「薄墨さんが未咲雪緒と夢の中で対峙したあの日、現実の彼女はスタジオで大量の睡眠薬を飲んで倒れているのが発見されたの。病院に運ばれ処置が施され、一命は取り留めたけど、意識は未だに戻っていない。医師の診断によると、ずっとこのままの可能性も考えられるそうよ。全ての真実が明るみとなったことで、自殺を図ったというのが捜査一課の見解」

「……つまり、あの日から彼女は目覚めていない」

 あの日、未咲や現実で大量の睡眠薬を飲んで夢の中へとやってきた。もう現実へと戻るつもりがないからこそ、こちらに残るというような言葉を残したのだろう。

「それだけじゃない。奇妙なことに、とっくに稼働時間は終了しているはずなのに、彼女の体内からは実験用のナノマシンが排出された形跡がないの。水面によってサーバーがダウンさせられ、すでにあの世界は存在していないはずだけど、ナノマシンは今も稼働を続けている。まさか、今でも夢の中に存在しているということはないだろうけど……」
 
 ※※※
 
「……あれ? 私、眠ったはずだよね」

 少女は見知らぬコテージで目を覚ました。直前まで友人とメッセージのやり取りをし、そのままベッドで眠りについたことまでは覚えている。体感にしてものの数分。そんな短時間でまったく異なる場所で目を覚ますはずがない。

「これってもしかして、噂の明晰夢って奴?」

 意のままに体が動くことを感じ、少女は感覚を確かめるように軽くラジオ体操のような動きをした。普通、このような状況になれば困惑するものだが、少女の場合は好奇心の方が勝っていた。ネット上で話題になっている夢に関する都市伝説を友人に語り聞かせるのを日課としている少女にとって、この体験は願ってもない機会。最近めっきり聞かなくなった、ある都市伝説の舞台にどこか似ている。

「明日のネタは決まりだね」

 怖がる様子もなく、少女はコテージの外へと出た。全部で七軒のコテージが立ち並んでいるが、他に人の気配はないようだ。少女は好奇心の赴くままに、当たりを興味深そうに散策している。物に触れた感覚、肌を抜ける生温い風、自分自身の鼓動に至るまで、何もかもが現実と遜色ない。

「新しいお客様とは珍しいですね。候補者の一人だったのでしょうか」
「えっ?」

 不意に女性の声と、一号コテージの扉が開く音が聞こえた。
 流石の少女も驚き、恐る恐る背後へと振り返った。すると、一瞬で目の前にまで赤いレインコートを羽織った人物が接近していた。

「……レインメーカー?」

 あまりにもリアルな恐怖感に少女の全身が粟立つ。

「さて、どうでしょうか。さあさあ、いつ殺人鬼に狙われるか分かりませんから、早く怖い夢からはお目覚めなさい」

 フードから女性の微笑みが覗く。その顔は最近事務所が無期限の活動休止を発表した、一人の俳優によく似ていた。
 
 
 
 了

第一話


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