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エキセントリックな人たち

朝のホームで、ぼんやり線路向こうの道を見ていたら、

おばさんが、
ピンク色のランドセルと手提げの袋を持って、
すごい形相で走っている。

その後ろに娘。
慌てるふうもなく、ふつうに歩いている。

娘の服装は、ワンピースの下から白い綿レースのボトムがのぞいていて、
「大草原の小さな家」を思い出した。

お母さんの趣味なのだろうか。
ローラ、、、。
優雅に歩くさまは、お姫様。
下僕にすべて持たせて。

同じ町に住む、ちょっとエキセントリックなお母さん。
娘の送り迎えをひりひりとした表情で頑張っていて、
でも少しバランスが微妙で、
電車に乗り込んだらランドセルと手提げを通路に投げつけ、
首の汗をしつこいくらいにぬぐう。

娘が小さい頃は、
そばでもの言わず座っていたが、もう小学校3、4年生くらいか?
母を疎んで反発し、距離を置いているように見えた。


エキセントリックといえば。
わたしは20代の頃、グラフィックのデザイン事務所で働いていた。

ひとつめの会社はスーパーのチラシがメインで、
ふたつめの会社は小さな個人事務所で、
従業員がたったの5人だった。

ふたつめの会社の社長がなかなかの人だった。

美意識が強くて、駆け出しのわたしをまったく認めてくれず、
提出物が気に入らないと、語気を強めてしばらく罵った。

たぶん、今だったらパワハラでひっかかるレベル(残業代もなし)だが、
案外当時は怒られたりすることは普通だったので耐えていた。

けれど、
あるときあまりに罵られる時間が長くて、
3階から2階に降りたとき、貧血で気を失った。

時間してはほんの数秒だったけど、そのとき気を失ったのははじめてで、
隣にいた同僚をかなり驚かせた。

昔の外国のコメディドラマで、
よくおばさんが「ふー」っと気を失うシーンがあったが、
まさにあんな感じ。

あんなになる人、現実にいるんだ、わたしか!と自分つっこみをいれたことを今も思い出す。

また月日がめぐり、確か秋になる頃。

3階の社長の部屋は夜風でカーテンが少し揺れていた。
その美しい秋の夜に、またわたしは罵られていた。

「あんたさ、服のセンス良いかと思ったけど、グラフィックのセンス、まったくないよね!」

印象に残っているセリフだけど、
わたしは立ったまま聞いていて、やべ、また貧血きた、これ我慢してたら、また気を失うよ?どうする?わたし?

と、自問自答したとき、
早口で罵るのが止まらない社長を手で制し、

「あ、ちょっとすみません。貧血がきたので少し休ませてもらっていいですか?」

と、その場にゴロンと寝ころんでやったのです。

社長はあっけにとられ、
何も言うことができず、自分の机に向き直り、仕事を再開したけれど、
今思えば、心中いかがだっただろう?笑

怖い怖い怖い、何?何?何?
と思っていたのかもしれない。
きっと仕事は手につかなかっただろう。

数分後、少しましになって起き上がり、

「あ、だいぶましになりました。続きどうぞ」

と言ったら、背中を向けたまま、

「もうえい」

と言った。
え?いいの?
きょとんとするわたし。

確かに、怒る気力もなえたことだろう。
しめしめ、勝った、と思ったことを覚えている。

ある日、取材撮影で仁淀川の河川敷に二人で行った。
社長の運転するパジェロからおりて、
イライラさせないよう、素敵なトリミングができる光景を探していた。

ふと振り返れば、
社長はひざまずき、
川辺に咲く小さな花を

「かわいい」

と、ちょんと触り、目を細めて見ていた。

これは川辺の花でなくシロツメクサ。イメージです

タイミングが違えば、
ああ、社長もこんな、小さな花を愛でる、優しいところもあるのだな、と思えたと思うが、
当時思えるわけもなく、
ドン引きしてるわたしに、

「おい!今気持ち悪いと思うたやろ!」

と言われ、どうしても否定することができず、

「へへ、、、」

と笑いでごまかした若き日のわたし、、、


グラフィックでは怒られっぱなしだったけれど、
絵を描くスキルだけはこのエキセントリックな社長も認めてくれていて、

下描きなしで2メートル超えのパネルを一気に描き上げたときは、
驚きの表情で賞賛の声をかけてくれた。

すごいね、すごいね、と、

真っ白な頬を少しピンク色に紅潮させながら。

そのときわたしは、
絵も、この会社も、
もういい、と何の理屈もなく、直感で辞めた。

何かひとつでも、社長に認めさせたかったのかもしれない。

「昔取った杵柄」
と、よく言われるけれど、どうだろう?

わたしはそれから関西に出てきて、
一時大阪の広告代理店に派遣で入った。

そこで、MACのイラストレーターを立ち上げて、
白いまっさらの画面が出てきたとき、わたしはすーっと背筋が寒くなって肩に力が入り、

「自由にデザインできない」

と思った。
もう、無理だ。

そのとき、グラフィック業界は去ろうと、決心したのだった。
今はまったく関係のない、繊維の仕事でお給料をいただいている。

今、過去に思いをはせ文章にしたとき、涙がふき出したから、
若い頃のわたしがきっと喜んで昇華されたのだと思う。
たぶん。


ところで冒頭のエキセントリックなお母さん。

最近一人でいるのをちょくちょく見かける。

送り迎えは一人で平気だとか、
娘はお母さんから自立したがっているのかもしれない。

たまたま電車で一緒になったとき、
オレンジ色の夕暮れの車窓をながめながら、
ぶつぶつ何か言っている一人ぼっちのお母さんは、
少し寂しそうに見えなくもなかった。










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