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13 国境越え アメとムチ 前編 (チベット→ネパール) 

 神戸から天津へ船で2泊3日、さらに北京、蘭州、西寧、ゴルムドと列車で移動して、家を出てから2週間ほどでチベットのラサに着いた。そして、1週間ほど滞在するうちに、知り合った6人で四駆をシェアし、何箇所かに泊まりながらネパール国境の町まで行く話がまとまった。6人の中には、船で知り合ってラサで再会したK君がいる。

*K君は【1 手紙は届く(旅先→旅先)】に登場するので、ご覧いただけると嬉しい。

 というわけで、わたしを含む6人でドライバー付き四駆をチャーターし、大揺れの悪路をがたごと進み、サキャ、ロンボク寺、ニェラムと3泊4日でネパールとの国境の町、ダムまで下りてきた。その悪路の、だけどブリリアントだった旅はまた別の項に書くとして、今回は国境越え。

 ネパールへ抜けるのはわたしとK君だった。4人はラサへ戻り各人の旅を続ける。朝ニェラムを出てダムに着いたのはお昼頃。お別れ会だねと中華食堂で久しぶりのご馳走を食べ、4人に見送られて中国のイミグレーションから出国した。
 ネパール側はここから未舗装の山道をくだり、谷を越えた先にある。歩いて行けない距離ではないが、トラックなり何なり乗り物が通ったらヒッチするつもりで歩き始めた。
 が、しかし。
 車なんて1台も通らない。
 ダムの町にはネパールのトラックが何台も停まっていたので、頻繁に往来があるものと思い込んでいたが、違った。時間帯が悪かったのかもしれない。
 人も通らない。
 しんとした山道を汗だくでくだる。イミグレーション・オフィスは夕方5時に閉まるから、それまでに着かないと野宿だ。それは怖い。

 つづら折りの道を30分ほど歩くと道端に、地図上のショートカットらしき茂みの切れ目を見つけた。「グミコさん、ここから行けますよ!」K君は嬉しそうである。
 が。
 いや、これ、わたしは無理。・・・それは道というより崖で、ほぼ垂直の溝、にしか見えない。
 それでもK君は「大丈夫、荷物、ぼくが持ちますから、グミコさんゆっくり下りてきたらいいですよ」と、自分のが背中にあるのに、わたしのバックパックを引き取ってお腹側に掛けた。そして、崖をずんずん下りていき、木立へ消えてしまった。
 
 わたしはほとんど座った状態で、草や木の根にすがりながら、じりりじりりと少しずつ滑り降りる。
 これ、ショートカットでなくただ道に迷っただけだったらどうしよう、と不安になったところへ、下からポーターと思しきネパール人が登ってきた。息を切らせながらも「ハロー!」なんてにっこりするものだから、ああこの道(崖)で正しかったんだと安堵した。じりり。

 そうして滑り降りることおよそ1時間。やっと本道と、休憩しているK君が見えてきた。ああああああ ごめんねごめんねお待たせしました。荷物ありがとう。

 K君は疲れたふうも見せず、前方を指差した。
「あんなんでいいんですかね」
 小川に小さな橋が架かっている。それが国境だった。

 橋を渡るとすぐに山小屋のようなイミグレーション・オフィスがある。
「ハロー」
「ハロー!ジャパニーズ?」
「イエス」
 イミグレーションたらしめる緊張感はまるで無い。
 前年、中国新疆からパキスタンに入ったとき、あるいはさらにその前の年、カンボジアからベトナムに入ったとき、いずれもイミグレーションは、なんというか禍々しさに満ちていて、なかなかの緊張を強いられた。

 でも、ネパールはじつにラブアンドピース。

 係員はにこやかで荷物はノーチェック、パスポートには速やかに60日ビザのスタンプが押され、正規料金の30ドル(US)を支払うとあっけなく入国完了だった。
 そのうえ、イミグレーションを出ると、カトマンドゥ行きのバスが停まっていた。嘘やん。そんな都合のいいことがあるものか。今日はもうこの辺りの商人宿で1泊の覚悟なんだけど。
 運転手に確認すると、カトマンドゥ行きのダイレクト・バスだと言う。
 ううううう。
 こうして、旅にはときどき、なんの褒美かと思うような出来事がある。

 バスは途中何度か停まって乗客を拾いながら、およそ4時間半走って夜のカトマンドゥに到着した。花のような、お香のような、いい匂いのする街だ。

 身体はくたくただったけど、気持ちは元気で明るかった。2年前に来れなくてよかった。ネパールには、今、こうして、こうやって来るように設定されていたのだ、旅のカミサマに。たぶん。

 


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