グミコ

1995年から2005年頃まで一人旅を繰り返していました。バックパッカー時代のエピソー…

グミコ

1995年から2005年頃まで一人旅を繰り返していました。バックパッカー時代のエピソードと写真を残しておきます。2009年に小川ちとせの名で短歌を始め、現在「かばん」所属。夫・久保茂樹とのユニット『ふたり歌集 箱庭の空』(青磁社)。旅は熱く短歌は緩く。いずれ短歌のことにも触れます

最近の記事

69 丈夫なお腹で旅すれば

 旅先でお腹をこわしたことがない。  屋台で何やかや食べるし、生野菜も果物も食べる。ジュースやアイスコーヒーには氷を入れてもらう。  サトウキビジュース、スイカジュース、ライム水・・・・。  肉類を食べないので(宗教的な理由とかじゃなく、物心ついたときから嫌い)、食あたりの確率は低いと思う。生焼け、生煮えのお肉って危なそうですもんね。  けど、とにかく丈夫な胃に産んでくれて父さん母さんありがとうなのだった。  ミャンマーの麺屋台では、矢庭に素手で具材を混ぜ始めたので「おお

    • 68 旅に歌えば

       旅を始めて間もない頃、クアラルンプールのドミトリーで知り合った日本人ナントカくん(お名前失念)は列車移動が大好きなのだと言っていた。 「発車すると必ず脳内にゴダイゴの " 銀河鉄道スリーナイン" のイントロが流れて、声出して歌っちゃうんですよね〜」  へえ。そうなのか。楽しそうだ。  わたしは歌うという行為を滅多にしない。音楽は好きだし聴くけど、自分では歌わない、カラオケ行かない、ひとりで何か口ずさんだり鼻歌を漏らしたりもしない。  が、旅の途中、やむなく歌ったことはある

      • 67 おみやげの記憶

         2024年1月初旬の  あらためましてわたくしごとですが  父が亡くなってひと月余、淋しくて仕方ないのです。  わたしの旅と父とはなんの関係もないけれど、父に買って帰ったお土産のことなんかを書いたらどうかと思った次第で、ならばまずTシャツか。    そもそも長旅バックパッカーだったので、荷物を増やさないよう土産というものはほぼ買わなかったのだが、放浪のお土産というよりはお詫びの印に、親にだけは軽くて薄くて小さいもの・・・母にはアクセサリーとか伝統刺繍の何かとか、父にはTシ

        • 66 問題は起こるが解決もする (後編) KLダウンタウン→ 空港

           極度の心配性なので旅先でも何かにつけ心配しているのだけど、心配事はおしなべて杞憂に終わり、代わりに予想外のトラブルが起こるのである。しみじみ。  衝撃の到着を遂げたペナン島では、ジョージタウンに2泊した後ビーチエリア、バトゥフェリンギに移動し、4日間、日焼けに勤しんだ。KLへ戻るバスはスーパーデラックスなどではなく普通のダイレクトバス(学習、学習)で、朝出て昼過ぎにはブドゥラヤ・バスターミナルに問題なく着いた。  後半のKLも楽しかった。毎日スコールの時間帯があり、出先

        69 丈夫なお腹で旅すれば

          65 問題は起こるが解決もする (前編) KL→ペナン島

           日本語学校の非常勤センセイは夏、冬、春にそれぞれ2週間ほど休めるところが何よりも良い。    2008年の春休みにマレーシアへ行った。10年ぶりぐらいに訪れたクアラルンプールは空港から鉄道で直行できたり、モノレールみたいなので市内を楽に移動できたり、" KL "とおしゃれに略されていたり、でもアジアのカオスはしっかり残っていてすごくいい感じだった。  何の計画も立てずに来たので、とりあえずチャイナタウン近くのゲストハウスにチェックイン。それから、さてどこへ向かおうかと巨大

          65 問題は起こるが解決もする (前編) KL→ペナン島

          64 幸福のジャラン・マリオボロ(インドネシア)

           バリ島の一大祭事ニュピの間、避難のつもりでジャワ島のジョグジャカルタを訪れた。デンパサールからの長距離バスでバリの西の端へ。港からバスごとフェリーで海を渡ってジャワに上陸、さらに西へ西へ、そしてジョグジャカルタ。    ボロブドゥール遺跡に近い町としか知らなかったのだけど、バスで降り立った瞬間から魅了された。なんだこれ。東南アジア果汁濃縮還元みたいな、明るい混沌の街。  メインストリートのジャラン・マリオボロ(マリオボロ通り)は南北に伸びて全長(体感)2kmほどで、西側、

          64 幸福のジャラン・マリオボロ(インドネシア)

          63 朝な夕なに旅の宿(最終回)インドネシア

           今回は、インドネシアのロンボク島から小さなボートに揺られ、港が無いので膝まで海に浸かって上陸したギリ・トラワガン。  ここへは、前章インド(後編)、ダージリンの旅の終盤にやって来た。  で、行程その他諸々を確認するため当時の日記をめくり、ついでにインド辺りまで遡って読んでいたところ、記憶違いを発見して青ざめました。すみません。  カンチェンジュンガを見たのは、ダージリンの BUDDHA LODGE ではなく、ガントクの HOTEL MIST TREE MOUNTAIN の

          63 朝な夕なに旅の宿(最終回)インドネシア

          62 朝な夕なに旅の宿⑥ インド(後編)

           ムンバイからゴア、ハンピ、ウーティ、と少しずつバスで南下して、マドゥライにやってきた。バススタンドからオートリキシャでとりあえず鉄道駅まで乗ると、「チープホテル(まで行く)?」と言うのでそのまま連れていってもらったのが RAVI LODGE 。  チープだけれどまあまあ広くてきれい(個人の感想です)、マネージャーは感じよく、立地が良いのにすこーし路地に入ってるから静かで、良い宿だった。  マドゥライという町自体もすごく気に入って、かなり長居した記憶が。  その4年後、ふ

          62 朝な夕なに旅の宿⑥ インド(後編)

          61 朝な夕なに旅の宿⑤ インド(前編)

           ムンバイの Salvation Army は強烈だった。  1997年のことだけれど、デポジット100ルピーでドミトリーが1泊50ルピーか80ルピーか、それくらいだったと思う。男女別になっていて、女子部屋へ行ってみると、2段ベッドがいくつか並んでいて、昼間なのに閉めっぱなしのカーテン、どよよんと濁った空気。欧米人の女の子が二人、どよよんとベッドに腰掛けていて、目が合うと気だるそうに、 「ハ〜イ、ベッドはそこと、そこ、2つ空いてるわよ、でもバスルームの水は出ないわよ、でも床は

          61 朝な夕なに旅の宿⑤ インド(前編)

          60 朝な夕なに旅の宿④ パキスタン(後編)

           苦難の4日間を経て辿り着いたチトラールの AL FAROOQ HOTEL。  陽気な若いマネージャーに3階の東角部屋をあてがわれた。窓の外、メインストリートにゆっくり時間が流れ、正面の山から月が昇る。  町には大きな美しいモスクがあり、お祈りは1日に2回、正午と午後6時に行われる。  お昼が近づくと通りのどの店もがたごとと扉を閉めて施錠され、人々はモスクへ向かってゆるゆる歩いて行く。お祈りが終わるとまたゆるゆる帰ってきて、ふたたびがたごとと店を開ける。夕方6時には正午と同

          60 朝な夕なに旅の宿④ パキスタン(後編)

          59 朝な夕なに旅の宿③ パキスタン(前編)

           パキスタンでは行く先々で宿に恵まれ、インシャアッラー、次へ移動したくないぐらい気持ちよく滞在させてもらった。  フンジュラブ峠を越えてパキスタンに入り、最初に泊まった宿がパスーの BATURA INN。  そこでの素敵なエピソードは、以前4 のパスーの項で書いたのでいきなり省略しますが、ご了承ください。  で、パスーから少し南下してグルミット。  Gulmit Tourist Inn に木造のドミトリーがあるというので見せてもらう。と、ドミトリーの概念を覆す三人部屋だった

          59 朝な夕なに旅の宿③ パキスタン(前編)

          58 朝な夕なに旅の宿② タイ

           タイランドで初めて泊まったのは、バンコク、カオサン通りの BONNY GUEST HOUSE 。路地の奥にあってしんと静かだった。  掘立て長屋のような建物に、蚊帳付きベッドがあるだけ部屋だったけれど、まあ眠れればいいのだし、庭に洗濯物を干せたし、母屋の冷蔵庫を自由に使っていいことになっていた。中年の夫婦が経営していて、雇われ人は少女がひとり。無愛想でひと言も喋らず、いつも不機嫌そうに空き部屋のマットレスを干したり、いい加減な掃除などをしていた。  ある日、彼女が、いつもの

          58 朝な夕なに旅の宿② タイ

          57 朝な夕なに旅の宿① バリ島

           旅の夜の数だけ宿がある、はずなのだけど、機内泊、列車泊、バス泊、空港泊、舟底泊など宿以外の泊もあったので若干、数は合わない。けどまあ思えばじつにさまざまな宿で眠ったわけだ。  旅人生(半生)でいちばん泊まった宿は、バリ島ウブドの ABing House だと思う。訪えばまるまる1ヶ月、それを4、5年続けたわけで、本当にお世話になりました。  最初は1999年。チベット、ネパール、インドを廻ってバンコクへ飛び、帰国便の予約に行った旅行代理店で、デンパサール経由関空行きチケ

          57 朝な夕なに旅の宿① バリ島

          56 旅の夜には本を読む(番外編) とくべつな1冊

           旅先で巡りあった運命の本ではあるが、できるかぎり荷物を少なくしたいので、読み終えたら宿に残すか誰かに譲る。  でも、唯一、手放せずに持ち帰ったのが、 Everyday Indonesian PHRASEBOOK&DICTIONARY  英語 → インドネシア語のフレーズブック。前編で書いたバンコク、カオサン通りの古本屋の、日本語本専門の3階ではなく、1階、欧米語版ガイドブックコーナーで見つけた。インドネシア語はわたしも勉強していたし、バリにもジャワにもよく行くし、これ

          56 旅の夜には本を読む(番外編) とくべつな1冊

          55 旅の夜には本を読む(後編) ネパール、インド

           というわけで、旅先で思いがけなく出会って心に残る本がある。安宿のロビーや、旅行者向け古本屋に、ひっそりと。旅人から旅人へ渡ってゆく本。 【ネパール】  カトマンドゥのツーリストエリア、タメル地区の雑居ビルに入っていたブックショップには比較的興味深い本が置かれてあって、湯川秀樹のエッセイなんかを買ったのだけど、ある日、見つけて思わず「うわ」と声が出てしまったのが、 下村湖人「次郎物語」。  遡ることおよそ20年、小学校を卒業するときに担任のH先生に勧められた『次郎物語』では

          55 旅の夜には本を読む(後編) ネパール、インド

          54 旅の夜には本を読む(前編) タイ、バリ島、マレーシア 

           旅にはガイドブック以外の本を持って行かない。重いから。  夜の宿で日記やポストカードを書き終えて、まだ8時、寝るにはちょっと早いよなあというとき、活字中毒者はガイドブックをひたすら読む。これから行く場所、もう行った場所、基本情報、豆知識、欄外コメント、奥付、広告、編集後記・・・  まだスマートフォンなどがこの世に無かった時代、バックパッカーの集まる場所には古本屋があり、旅人が本を売ったり買ったりしていた。ガイドブックを売り払って帰国する欧米人が多いのか、ロンリープラネット

          54 旅の夜には本を読む(前編) タイ、バリ島、マレーシア