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63 朝な夕なに旅の宿(最終回)インドネシア

 今回は、インドネシアのロンボク島から小さなボートに揺られ、港が無いので膝まで海に浸かって上陸したギリ・トラワガン。

 ここへは、前章インド(後編)、ダージリンの旅の終盤にやって来た。
 で、行程その他諸々を確認するため当時の日記をめくり、ついでにインド辺りまで遡って読んでいたところ、記憶違いを発見して青ざめました。すみません。
 カンチェンジュンガを見たのは、ダージリンの BUDDHA LODGE ではなく、ガントクの HOTEL MIST TREE MOUNTAIN の窓からでした。
 このnote、古い旅の話なので必ず日記を読み直して書いているのだけど、カンチェンジュンガの感動はダージリン、と思い込んでいて、ノーチェックで公開してしまい・・・猛省。
 記憶は、感動ですら勝手に上書きされる。
 今後気をつけます。

 というわけで、ギリ・トラワンガン。
 バリ島の端から(ぼろぼろの)フェリーでロンボク島に渡ってマタラムで1泊、翌日、沖に見える小島、ギリ・トラワンガンにバックパッカーばかりを積んだ小舟で渡った。
 1999年当時は、ボートの発着地周辺にレストランやホテルが数軒、ビーチに土産物店が何軒かあって賑やかなのはそこだけ。未舗装で、エンジンの付いた乗り物はなく、移動は徒歩かレンタル自転車か、馬車(!)。
 バリ島で聞いてきた、BINTANG TRAVANGAN を目指して砂地の道をよろよろ歩き、島の南西端でやっと見つけた。

 門をくぐって正面がレストラン兼レセプション、敷地内に4つか5つコテージが建っていて、全部空いていると言われた。おしなべてツーリストは、便利なビーチ周辺に泊まるらしい(ひとりで若干心細かったけど、翌日、イスラエル人の女の子がチェックインしてちょっと安心した)。
 レストランにいちばん近い端のコテージを選ぶ。テーブルと蚊帳つきのベッドがあるだけの古ぼけた質素な部屋で、シャワーの水はしょっぱかった。島だからしょうがない。
 宿泊料金(残念ながら日記に記録なし)は朝食込みなので、翌朝レストランに顔を出し、コーヒーとハニートーストを注文すると、濃いコーヒーとこんがりトースト、それと蜂蜜の容器1本が運ばれてきた。ハニーかけ放題だ。

 しみじみ美味しいわ。毎朝これ食べよ。と満足していたら、マネージャーと思しき青年に「泳ぎに行くなら、貴重品ロッカーを使って」と促された。で、見せてもらうことにすると、
「こっち、こっち」
 厨房に入っていく。と、隅っこに、い、いつから使ってるんですか、みたいな、銭湯の下足箱みたいな、一応錠前はついてるけど、フライパンでゴンってしたら壊れそうなロッカーが備えてあった。
 ここに預けるより、自分の頭にくくりつけて泳いだ方が安全ではないか。

 とりあえず、その日はコテージのレンタル自転車(無料)で島を半周して貴重品は預けずに過ごした。
 でも、この宝石のような海に入らずして島を離れることはできまい。

 コテージは二人の青年が仕切っていて、彼らはカップルのようであった。たぶん。昼頃になると島の若者たちが集まってきて、ギターを弾いたりお喋りしたり、
なんなんだ、このゆるい幸せな空気は。よそ者のわたしまで和む。

 ある朝、部屋のドアをノックされて何ごとかと思ったら、
「ドラえもん始まるから、一緒に見よう」
 日曜の朝はドラえもんの放送があるのだった。いつもの兄ちゃんたちも来ていて、レストランのテレビで見る。大人が集まって見るドラえもんは面白い。
 もうひとりの宿泊客イスラエル女子もやって来て「おー、ドラえもん、知ってる知ってる」とか言ってアハハと見ている。
 インドネシア語に吹き替えられているのだけど、大山のぶ代さんがインドネシア語で喋ってるんかと思うほどそっくりな声で、わたくし日本人としてはそれが可笑しかった。

 そんなこんなでこの宿に心を許し、ロッカーを使う決心がついた。
 マネージャーに申し出て、厨房の下足箱に貴重品を預ける。鍵失くしたらあかんよ〜と見送られて、自転車でビーチへ向かう。
 ああ今日の海も透明だ。きらきらだ。水着は持ってないのでタンクトップと短パンで水に浸かる。しあわせ〜・・・・

 宿に戻り、ロッカーを開けると、大事なモノはもちろんちゃんとそこにあった。
 いったいわたしは何を疑い何を恐れていたのだか。

後ろの扉の奥に・・・

 イスラエル女子に会ったので、ビーチ行ってきたよと挨拶すると、
「えー ビーチ遠い。めんどくさい。そこで泳いでるよアタシ(意訳)」と門の外を指差す。コテージの前の草むらの向こうは、降りられないことはないけどちょっとした崖で、砂地は無く、ごつごつの岩むき出しの海やんか。ツワモノ。
 ついでに、貴重品はどうしてるのか尋ねると、
「部屋に置いてる」
・・・ツワモノ。

 そんな感じでゆるゆると、みんな自由で気持ちいい、小さな島の古びたコテージだった。のらりくらりと5日ほど滞在して、ある夜、さて寝ましょうかというときに小さな地震があった。 
 カタカタカタ。 
 すぐ収まったし1回きりだったのだけど、地震とか雨風とか、自然の荒ぶりが異常に苦手なわたしは、このお好み焼きみたいなぺたんこの島でこれ以上の地震に遭うのが恐ろしかった。 
 それで、翌朝あたふたと島を出る手配をし、その翌日、コテージのみんなと握手して別れ、ボートにバス、ふたたびボロフェリー、さらにバスと乗り継いでバリ島のウブドへ帰ったのだった。

 何ごとにもどんと構えていられる性格だったなら、もうしばらくギリ・トラワンガンにいたのに、小心者で心配性の自分が情けなかった、長い長い旅の終盤。

エブリデイ、ハニートースト


次のエピソードへつづく


 
 


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