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59 朝な夕なに旅の宿③ パキスタン(前編)

 パキスタンでは行く先々で宿に恵まれ、インシャアッラー、次へ移動したくないぐらい気持ちよく滞在させてもらった。
 フンジュラブ峠を越えてパキスタンに入り、最初に泊まった宿がパスーの
BATURA INN
 そこでの素敵なエピソードは、以前4 のパスーの項で書いたのでいきなり省略しますが、ご了承ください。

 で、パスーから少し南下してグルミット。
 Gulmit Tourist Inn に木造のドミトリーがあるというので見せてもらう。と、ドミトリーの概念を覆す三人部屋だった。即決でチェックイン。

渋い。

 旅館の大広間みたいで、三隅に靴を脱いで上がるスペースがあり、それぞれ1組ずつ布団が敷いてある。欄間飾りや天窓なども日本家屋のよう。
 ワーヒー造りという、この辺りの古い民族の住まい様式とのことだった。頻繁に停電するのだけど、この部屋には蝋燭の灯りが合うので問題なし。

 グルミットを出てカリマバードでのんびりし、さらに南下してギルギット。ここからはできればシャンドール峠を越えるルートでペシャワールへ行きたい。

『アジア横断』(旅行人 1998年刊)の地図。ローカルワゴン利用の場合のメモ書きをしたけれど・・・

 が、苦難の匂いがぷんぷん漂うので、日本人青年SEくんと折半してジープをチャーター、というラクな道を取った。5日ぐらいでチトラールに到着という予定。

 ギルギットを出て1泊目はパンダールの、 TOURIST INN PHANDAR  。

 灌木の茂み、麦畑、花畑。湧き水、そこから始まる幾筋もの澄んだ小川。
 怖いほど美しい村だった。店などはなく、宿が食事処を兼ねてある。で、夕食。ベジタブルカリーとチャパティ、それから、プレーンライスね。
 ところが「ソーリー、トゥデイ、ノーライス」
 な、なに?
 えええっっっっっ ごはん 無いのぉぉぉぉっ!?
 
自分では覚えていないのだが、食堂中に響き渡るような大声(日本語)だった、と後からSEくんに言われた。いや、だってさー、もうカリーと白ごはんの口になっててんもん・・・。
 チャパティもロティも美味しいけど、カリーはできれば米(長いぱらぱらのやつ)で食べたい。
 無いものは仕方ないので、チャパティで食べる。米無しでも旨かった。
 それにしてもパンダールはあまりにも美しく、もう1泊することにした。そして翌日の夕食時、テーブルに着くとスタッフが、今日はライス炊いたよ、といそいそ告げに来てくれた。恥ずかし〜。山盛りのごはんとベジ・カリーをチャパティで包んでいただきました。

 シャンドール峠 SKY HOTEL のエピソードは、11 に書きました。すみません。↓

 峠のテントで一夜を過ごし、そろりそろりと南下を続けて次はマスツージで1泊の予定だった。が、ドライバーのヤクブさんが、マスツージを過ぎると道が良くなるから暗くなる前にチトラールに着けると言う。ならば、と、そうしてもらうことにして頑張る。
 頑張るのはドライバーであってお前とSEくんは乗ってるだけやろ、とお思いでしょうが、ヒンドゥークシの山道は険しくて、乗ってるだけで体力・気力を消耗するのです・・・

 けっきょく " 道が良くな "ったのはまもなくチトラールという地点で、ある瞬間、ふっと体がラクになり、思わずSEくんと「アスファルト!」と顔を見合わせた。山道を4日間、がっつんがっつん揺られ続けて初めてわかる舗装道路の有り難さ。

 そうして1日早く目的地に着いたわけだが、ヤクブさんは道中、恐ろしい崖っぷちを何度も神業のハンドル捌きで乗り切り、無事に送り届けてくれたので、予定通り5日分の料金を渡して握手して別れた。

 そして、まだ揺れてる感覚のカラダでチェックインしたのが、
 AL FAROOQ HOTEL 。

 ここがまためちゃくちゃ居心地よくて、宿だけじゃなくチトラールという町が心底気に入って、ずいぶん長居してしまった。
 ここからカラーシュという地域へ祭りを見に行くつもりでパーミットも取ったのに、チトラールを好きになりすぎてカラーシュ行きが面倒になり(もう辛い移動はしばらくしたくなかったし)、けっきょく行かずにペシャワールへ南下してしまうのだが、思い出すままつれづれに綴っていたらずいぶん字数が多くなったので、このへんで一旦終わっとこ。
 宿のエピソードのはずが、パキスタン旅日記になってしまってるし。

後編は AL FAROOQ HOTEL から始めてビシっと締めます。
④パキスタン(後編)へつづく

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