にれぶかみさち

猫と温泉と食べるのが好き。アロマ・ハーブ勉強中。岡村靖幸さん、岡田准一さん、藤井風さん…

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猫と温泉と食べるのが好き。アロマ・ハーブ勉強中。岡村靖幸さん、岡田准一さん、藤井風さん推し。好きな超人はアシュラマンさん。尊敬する人は植木等さん。マイブームは大河ドラマ。

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  • 【自伝】生と死を見つめて【全16話】

    自分の半生を描きました。自伝を書くのは昔からの夢でした。「note創作大賞2024」の「オールカテゴリ部門」に応募しています。一人でも多くの方に読んで頂ければ幸いです。

最近の記事

【自伝】生と死を見つめて(16)エピローグ〜生〜

結婚して、私にも大切な「家族」ができた。 もう家にいてもビクビクしなくていい、心からくつろげる居場所ができた。 あんなに死にたがっていた私にも、生きる希望が生まれた。 他人から見れば、障害を抱えて、大変な生活をしているように見えるかもしれないが、私は今、幸せだ。心からそう思える。 私はこれからも、死なずに生きてゆく。命ある限り。 完

    • 【自伝】生と死を見つめて(15)自伝に寄せて

      昔から「自伝を書いてみたい」という夢があった。それこそ、20年前から思い続けてきた目標だった。でも、試しに自伝用のブログを作って書いてみたけれども続かないし、なかなか実現が出来ないでいた。 そんなある日、夢を見た。パーティー会場のような広い場所で、私は皆に向かって、これまでの人生について熱く語っていた。周りの人達はそれを熱心に聞いてくれていた。 目が覚めてから、強く思った。「自伝を書こう」と。「その時が来た。今がその時だ。」そう思った。私は特定の宗教を信仰している訳ではな

      • 【自伝】生と死を見つめて(14)健やかに暮らす

        34歳の夏、たまたま宿泊した旅館で、温泉の素晴らしさに目覚めた。 その頃は、四六時中抑うつと怒りの感情に支配され、ひと時も心休まる暇がなかった。どんなリラクゼーション方法を試しても、効果が表れることはなかった。常に不眠気味で、ぐっすりと眠ることも出来なかった。 ところが、そこの温泉に入ってみると、心の中の雑念が消えて、頭が空っぽになったのだ。心身がすごく楽になり、夜も熟睡することが出来た。あんなにつらかった抑うつや怒りの症状から、解放されたのである。 そこの温泉は「源泉

        • 【自伝】生と死を見つめて(13)生活保護

          二人の出会いは、精神病棟だった。 その頃の私は、何度も自殺未遂を繰り返し、閉鎖病棟や隔離室に入れられ、睡眠も食事も満足に出来ず、生きているだけで精一杯の毎日だった。 少し症状が落ち着いてきた頃、ふとデイルームで夫と出会った。話しているうちにすっかり意気投合し、あっという間に両想いになった。でも病棟では恋愛禁止とのことで、二人揃って強制退院になってしまった。 そして、退院したその日から、二人暮らしが始まった。 二人で精神科デイケアに通ったり、障害者職業センターに通ったり

        【自伝】生と死を見つめて(16)エピローグ〜生〜

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        • 【自伝】生と死を見つめて【全16話】
          16本

        記事

          【自伝】生と死を見つめて(12)復興応援キャラクター

          37歳の頃、夫と二人で試行錯誤しながら、あるキャラクターを作り上げた。 夫がデザインを担当し、私が公式ウェブサイトやSNSを担当した。被災地の復興を応援したり、地元の名産品や観光地等を紹介する、というコンセプトだった。「地元に貢献出来る活動をしたい」というのは、夫の昔からの夢だった。また、「被災地のために何か出来ることをしたい」というのは、私がずっと願っていたことだった。 初めの頃は順風満帆だった。ありがたいことに、応援して下さるファンも増えて、全国各地のイベントに呼ばれ

          【自伝】生と死を見つめて(12)復興応援キャラクター

          【自伝】生と死を見つめて(11)大震災

          2011年3月11日14時46分。その時は突然やってきた。 ゴゴゴという巨大な地鳴と共に、物凄い揺れが襲ってきたのだ。想像を絶する激しい揺れに身動きがとれず、夫がすぐに私の上に覆いかぶさった。 始めは絶叫をあげていたけれど、あまりの恐怖に、だんだん声が出てこなくなった。ふと右手に強い痛みを感じた。無意識のうちに、夫の服を物凄い力で握っていたからだった。 「天井もってくれ!」夫が叫んだ。この天井が落ちてきたら、二人共きっと死ぬだろう。部屋中の家具が倒れるガシャンガシャンと

          【自伝】生と死を見つめて(11)大震災

          【自伝】生と死を見つめて(10)精神病棟

          A病院に入院していた頃、色々なことがあった。 まず、この病院の基本方針が「グループミーティングへ出ること」だった。当時の主治医は、ことあるごとに「ミーティングで話しなさい」と語っていた。「眠れない」と訴えれば「話しなさい。そしたら眠れるようになるから」、「過去の記憶で怒りが収まらない」と言えば「話しなさい。そしたら楽になるから」といった具合に、グループミーティング絶対主義者だった。 しかし、何故グループミーティングが精神疾患に効果があるのか、その説明がまったくなかった。医

          【自伝】生と死を見つめて(10)精神病棟

          【自伝】生と死を見つめて(9)自殺未遂

          異変が起きたのは27歳の頃。留学中に住んでいたシェアハウスで、死ぬことばかり考えるようになった。 私の部屋は半地下で、天井が高くて配管がむき出しになっていた。「あのパイプにロープをぶら下げて、首を吊ったら死ねるかなぁ」毎晩寝る時に天井を見上げて、そんなことばかり考えていた。 「次のテストが終わったら死のう」、「今度のリサイタルが終わったら死のう」、それの繰り返しだった。「でもルームメイトに迷惑をかけてしまう」、そう自分に言い聞かせて、なんとか自殺を思いとどまっていた。

          【自伝】生と死を見つめて(9)自殺未遂

          【自伝】生と死を見つめて(8)アメリカでの手術

          「1000万円…とてもじゃないけど払える金額ではない…」手術費の明細を見せられて、諦めにも似た絶望感が私を襲った。 当時、私の足の病気を手術することができる医師が、日本では見つからなかった。東京の大きな病院に何ヶ所も行ってみたけれどダメだった。音大を卒業した私は、アメリカで手術してくれる先生を探すため、現地で様々な病院に足を運んだ。 最終的に私は、手術をしてくれる医師に巡り合うことが出来た。しかし、冒頭の通り、手術には莫大な費用がかかるということが分かった。私は「お金がな

          【自伝】生と死を見つめて(8)アメリカでの手術

          【自伝】生と死を見つめて(7)留学

          25歳の夏、私は留学のために渡米した。9月から始まる音楽大学の新学期に向けて、事前に語学研修を受けることになっていたのだ。 そこの語学研修では、私よりも若い学生が多く、東京で音楽の仕事をしていた頃は、周りがみんな目上の人ばかりだったので、非常に新鮮な感覚を覚えた。 英語の授業の他に、週に一度ジャムセッションの時間があって、それが楽しみで仕方がなかった。英会話が全然出来なくて苦労していた私にとって、唯一の楽しいひと時だった。 仲間のアパートで皆と一緒に料理をしたり、学生寮

          【自伝】生と死を見つめて(7)留学

          【自伝】生と死を見つめて(6)東京

          20歳の頃、国立高専を卒業後、上京して音楽の専門学校に入学することを考えていた。 両親に「東京の専門学校へ行きたい」と相談しても、どうせ反対されるだろうと思い、両親に内緒で東京に出向いては、体験入学に参加して学校選びをしていた。 ある学校の説明会の時、思い切って気になることを担当の人に聞いてみた。「足が悪くてもシンガーになることは出来るのでしょうか」と。 その人はこう言った。「スティービー・ワンダーも目が見えないけど歌っているだろう。あなたの気持ち次第だよ」と。 今に

          【自伝】生と死を見つめて(6)東京

          【自伝】生と死を見つめて(5)障害者

          私が10代の頃は、障害者に対する世間の理解があまり進んでおらず、あからさまに差別を受けることが多かった。 子供が松葉杖をついている私を見て、「ママ、あの人なんであの棒みたいなもの持ってるの?」と聞くと、一緒にいた母親が「しっ!見るんじゃありません!」と言って、子供を連れて足早に立ち去っていった。普通に「あの人は足が痛いのよ」と教えてあげればいいのに。それに、「見るんじゃありません」って…。あんまりだと思った。 このような経験を多数繰り返す中で、私の中で心境の変化が訪れてい

          【自伝】生と死を見つめて(5)障害者

          【自伝】生と死を見つめて(4)小・中・高

          小学校低学年の頃の私は、ものすごくきかん坊だった。 男子と喧嘩をすることもしょっちゅうだったし、帰宅して玄関にランドセルを放り投げて、物置からホウキを持ち出して、喧嘩をしに行くような毎日だった。でも、私は女子だから、やはり男子にはかなわなくて、よく泣かされていた。 小学校中学年になると、絵や漫画を描くことが大好きになった。放課後、宿題が終わった後、よく漫画やイラストを描いて楽しんでいた。当時流行していたアニメの絵を模写したり、漫画は鉛筆描きではなく、ちゃんとGペンやインク

          【自伝】生と死を見つめて(4)小・中・高

          【自伝】生と死を見つめて(3)足の病気

          小学校2年生の頃、走り方がおかしいと周りから言われるようになった。自分では普通に走っているつもりなのに、どうしても上手く走れない。やがてクラスでのあだ名が「ガニ股」になってしまった。色んな病院に行ったけれど、原因が分からない。 小学校5年生の春、学校の廊下を走っていたら、突然左足に強烈な痛みが走った。何ヶ所か病院で診てもらって、ようやく痛みの原因が発覚した。 病名は「多骨性線維性骨異形成症」だった。骨が非常にもろくなり、病的骨折を起こしていたのだ。すぐに入院し、母の骨を移

          【自伝】生と死を見つめて(3)足の病気

          【自伝】生と死を見つめて(2)毒親

          「死ね!死んで償え!」ビール瓶をテーブルに叩きつけ、私は絶叫していた。 29歳の時、祖父のお葬式の夜のことだった。 私は姉と二人で、父に向かって、幼少の頃から受けた精神的虐待がどんなにつらかったかを告白した。 しかし父は、それを受け止めて謝罪するどころか、逆に私達に向かって怒り始めたのだ。 「そんなこと今まで知らなかった」、「今初めて知ったのだからそんなこと言われても知らん」、「そんなことで俺を責めるな」耳を疑うセリフだった。 その瞬間、私の中で大爆発が起きた。物心

          【自伝】生と死を見つめて(2)毒親

          【自伝】生と死を見つめて(1)プロローグ〜死〜

          月だけが、私を見ていた。 満月の夜、森の中。まだ寒い北国の3月。私は凍えながら服を脱いで、木の根元に寄りかかった。 飲めないウイスキーを無理矢理ラッパ飲みし、その時を静かに待っていた。 そう、私は凍死自殺を図っていたのだ。33歳の誕生日だった。 全話まとめて読みたい方はこちら

          【自伝】生と死を見つめて(1)プロローグ〜死〜