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【自伝】生と死を見つめて(13)生活保護

二人の出会いは、精神病棟だった。

その頃の私は、何度も自殺未遂を繰り返し、閉鎖病棟や隔離室に入れられ、睡眠も食事も満足に出来ず、生きているだけで精一杯の毎日だった。

少し症状が落ち着いてきた頃、ふとデイルームで夫と出会った。話しているうちにすっかり意気投合し、あっという間に両想いになった。でも病棟では恋愛禁止とのことで、二人揃って強制退院になってしまった。

そして、退院したその日から、二人暮らしが始まった。

二人で精神科デイケアに通ったり、障害者職業センターに通ったり、大震災の時も二人一緒だった。

避難所で不安な夜を過ごしたり、雪の中何時間もスーパーの行列に物資を買うために並んだり、つらい時も楽しい時も、いつでも一緒だった。

数年後、街中の夜の静かな公園で、プロポーズしてくれた。

あんなに死にたかった私が「夫のために、死なずに生きよう」そう思えるようになった。


結婚する時、夫と相談して、あらかじめ決めていたことがあった。

それは、「子供を作らない」こと。

理由の一つとして、双極性障害が遺伝性の疾患である可能性が高いということがある。

もう一つは、夫も私も「毒親育ち」だからという理由だった。

自分が精神的虐待を受けて育ってきたのだから、自分の子供には決してそんなつらい思いはさせたくないと思う。しかし、虐待を受けて成長した人は、その子供に同じことを繰り返してしまうケースが非常に多いのだそうだ。

子供は親の背中を見て成長し、色々なことを学んでいく。子育てについても、自分が実際に受けた子育てが、「子育ての正しいやり方」と思い込んでしまうのかもしれない。

私は自分の子供を幸せにしてあげられる自信がない。子供をもうける勇気もない。

だから子供を作らず、夫と二人で生涯を暮らしていくことに決めたのだ。


41歳の時、自己破産をし、生活保護を受けることになった。

夫と二人で個人事業を経営していたのだが、なかなか利益を上げることができずにいた。

いつも収支はマイナスで、赤字は増える一方。銀行やカードローン、クレジットカードから借金し、その借金額もどんどん増えていった。

そのうち仕事の激務がたたり、二人とも精神病を再発し、働くことが非常に難しくなってしまった。お金の問題で過度のストレスがかかり、耐えられなくなった私は、再び精神病院に入院することになった。

法テラスに行き、無料相談を受けた。そこから弁護士を紹介してもらって、二人とも自己破産をすることになった。手続きがものすごく大変だったけれど、これで借金からは解放された。夫は個人事業を廃業した。

さらに、弁護士の付き添いで区役所の保護課へ行き、生活保護の申請をした。病気で仕事が出来なくなり、生活していくことが困難になったからだ。審査の結果、ありがたいことに、無事に生活保護を受けることが出来るようになった。生活保護を受給していると車が使えないので、足が不自由な私にとっては生活が大変だったけど、二人で協力してなんとか暮らしていった。

夫は就労移行支援事業所に通い、障害者雇用での再就職を目指して、職業訓練を受けた。二年位経ち、努力の甲斐もあって、再び無事に職につくことが出来た。それと共に生活保護からも卒業出来ることになった。しかし、夫の体調は優れず、再び働くことが困難になり、一年程で退職せざるを得ない状態になってしまった。

現在は二人共、障害年金で暮らしている。私は身体と精神の障害、夫は精神障害で支給されている。これも認定されるまでの手続きが非常に大変だったが、幸いにも、二人共無事に受給することができるようになった。

しかし生活費にはそれだけでは足りないので、夫は就労継続支援B型事業所に通っている。今回は体調を崩すこともなく、マイペースで通所出来ているようだ。夫の負担が減って、なによりだと思う。

現在は、金銭的に余裕はないけれど、節約しながら、二人でのんびりと暮らすことが出来ている。この平穏な生活が、これからも続けばいいなと願っている。


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