なにもここにいる人たち全てがシドニィ•シェルダンになりたいわけではないと思うんだけどな…
昨年の秋に、noteの友人と軽く会食した際、その別れ際に、彼女がさりげなく言った一言がずっと僕の心に突き刺さっている。
そのとき彼女は、
「文章でお金を稼げない私たちなんて、しょせん、その程度の才能なのよ」
と言った後に、
「それでも私は、自分の書いた記事が一番好きだけどね」
と続けたのだ。
このときの彼女の眼差しや佇まいはとても凛としていて、とてもカッコいいと思った。
そして、なぜこのエピソードを今更ながら思い出したかというと、先日、本当にたまたま偶然にそんな彼女や僕と違って、自分の文章でちゃんとお金を稼いだり、ちゃんとした出版社から自著を出しているプロの作家さんの記事に目を通したからだ。
ちなみに今回のタイトル、すなわち
なにもnoteにいる人たち全員がシドニィ•シェルダンになりたいわけでもないだろうに
は、このときの彼、彼女たちの主義、主張に対して思わず感じてしまった僕の違和感を表したものである。
それにしても、かつてK氏も言っていたけれど、この手の人たちってどうしてみんな判を押したようにフォロワーが数千人いる一方で、フォロー数が数人という極端な比率の人ばかりなんだろうね(苦笑)
まるでその比率がプロとしての自分の実力の証明だとでも言わんばかりに。
まあ、そんな皮肉を言いながらも、
正直、僕自身に、そんなプロの書き手の人たちが僕ら素人に向かってたびたび懇切丁寧にそのノウハウを教えてくれようとしてくれている
noteでのマネタイズ
やら
華麗なる作家デビュー
と言った
スノッブな功名心や承認欲求
がないのかと問われれば、
めちゃくちゃある!
と答えるんだけどね(笑)
しかし、その一方で
これからの時代の作家像
として僕の頭に浮かぶのは、
そんな僕らのような
前近代的なサクセスストーリー
をどこかで夢見ている
シドニィ・シェルダン予備軍(別にスティーブン・キング予備軍でもいいけど)
ではなくて、
冒頭に紹介した彼女のような
純粋に、ストイックに、
文章を書くという行為を楽しめることが出来る人たち
なのではないか、と思っている。
まあ、これからの、なんて形容詞をわざわざ付けたけど、その作家像というのは実は今も昔もたいして変わってないんじゃないかな、とも思っている。
でも、20年前なら確実に出会えなかっただろうそんな僕が尊敬してやまない
作家、表現者の人たちに
今、こうやってこのnoteというプラットフォームを介して出会えている事実って
実はめちゃくちゃハッピーなことなんじゃないだろうか
って少なくとも僕は思っている。
おかげで、すっかり本も雑誌も買わなくなってしまったしね。
そう、時代は確実に変わってきているはずなんだよね。
それはもしかしたら他人のアドバイスに耳を傾けて最短ルートを目指すよりも、自分の直感だけを頼りにたくさん寄り道したほうが楽しいんじゃないか
っていう時代なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
まあ、それはさておき、僕もまたこんな自分の駄文を読んでくれている読者の皆様への敬意と感謝の気持ちを忘れずに、これからもっともっと純粋に、そして、自由に書くことを楽しみたいと思っている。
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