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でも終わりがあるからこそ、日々はきらめくの

世界中で大量のいちごが消費されるだろう今日はこのBGMで。

のっぴきならん事情によりおうち時間が長くなっている我が家では、不意にテレビを観てしまう時間もどうしようもなく発生してしまう。

それは紛れもなく消極的選択以外の何物でもなく、その日もウンコみたいなクイズ番組や、他人の褌で相撲を取る見本みたいな素人の動画を下痢ピーウンコみたいに垂れ流す番組を回避したら、残ったのは、歌番組の特番だったというだけの話。

しかし、最初のうちこそ、みんなであ〜だ、こ〜だと必死に盛り上がろうとしたけど、いつしか味がしなくなったガムを永遠に噛んでいるような心境になって、一時間足らずで、みんな無言になって気づいたらテレビの電源をオフにしていた。

そして、こんな感じで惰性でやり続けるなら、テレビ(N○K、民放キー局)なんかもはやなくなればいいのに、と割と本気で願っている自分に気づく。

つーか、ケンシロウなら間違いなくこう呟いているだろう。

「おまえたちはもう死んでいる…」

しかし、これはもしかしたら何もテレビに限った話ではないのかもしれないのが怖いところだ。

たとえば、あなたは心がビタ一文も動かないような退屈なTV番組みたいな日常を過ごしてはいないだろうか?

という質問に明確に

NO!

と答えられる人が果たしてどれくらいいるだろうか?

ちなみに僕はNOときっぱり言い切れるけどね。

それがいいのかどうか分からないことは度々あるけど(苦笑)。

というか、不思議と年を取れば取るほど、どんどんそんな気持ちに拍車がかかっている。

それはいつか僕の生命が燃え尽きてしまうという事実を絶えずどこかで意識するようになったからかもしれない。

そんな僕からすると、くだらないテレビ番組を作り続けたり、前例踏襲で何も考えずに同じ仕事をただ繰り返している人たちは、まるで

永遠の命を与えられた機械人間

のようにさえ見える。

たぶん退屈な日常だからこそ彼らは永遠を感じられるんだろうけどね。

まあ価値観なんて人それぞれだから、本人がそれでいいならそれで全然構わないけど、実はいつ終わりを迎えてもおかしくない有限の生命だからこそ、どうせなら僕はヒリヒリとワクワクと

自分が生きていることを

絶えず感じていたいのだ。

だからこそ、なにか心をザワザワさせる出来事が起きたとしても、大人の振りして華麗にスルーするのではなく、真正面で受け止めて

大人気なく真剣に悩み続けられる人

でありたいと思うのだ。

そんな僕は、

たぶん死ぬまで答えは見つからないままなのだ、という確信の中、

だからこそ僕の日常はたくさんの冒険に溢れているのだ

と今も電車の中でひとりほくそ笑んでいる。

しかし、話は変わるけど、さとうもかが、なんで紅白に出ないのか本当に不思議で仕方がない。いつまでもユーミンに頼っている場合じゃないだろうに。


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