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『池上彰の教養のススメ 池上彰』

私は子供の頃、死イコール無だと漠然と思っていた。
それ故に、死をとても恐れていた。

でも父が死んで、死イコール無だと認めたくないと強く思った。
父が無になったとも、自分がいつか無になるとも恐ろしすぎて、認めたくなかったのだ。

死イコール無ではないと言ってくれそうな本を読み漁った。
スピリチュアル、仏教、禅の教え、西洋哲学...

それらを読み進めるうちに、私の思惑通り、肉体はあくまで容器であって、容器というモノである以上、肉体はいつかは滅びるが、魂は滅びないのではないかと思い始めた。

思い始めたというよりは、正確に言えば、私はこの時、神様、仏様、キリスト様、誰かに魂は永遠だと言って欲しくて、そう導いてくれそうな教えや書籍を無意識に探していたのだとも思う。

人は耐え難い苦しみや悲しみに出会った時、信じられるものや、心の支えに出来る救いを求めるの
だろう。
それは、ごく自然な事で、だから諸外国では伝統宗教を信仰している人が多いのだ。

ところが日本人は、お宮参りや七五三から始まり、初詣をして、お守りを持ち、クリスマスを祝い、教会で結婚式を挙げ、お寺で葬式をして墓を建てる。
そして、多くの人は『自分は無宗教だ。』と言う。

これは私にも大いに当てはまる。

けれど、実際に耐え難い苦しみが訪れた時、お寺にも教会にも行くことはない。

何かが発端となって新興宗教に帰依する人の気持ちも、分かるような気がした。

本書では、日本から仏教などの伝統宗教の存在が薄くなってしまった要因として戦後、『会社』が信じれば救われる強固な共同体として、スタンダードになったからだとしている。

終身雇用、年功序列、給料は年齢と共に上がり、今の生活も未来の生活も保証してくれる。
まさに神様のような存在だったと。

しかしバブル崩壊と共に会社という神様は消えた。
にも関わらず、伝統宗教も影を潜めたまま。
何も信じられるものがなくなり、自殺者や、心の病を抱える人が増えたのではないか?と。

会社の神様を取り戻すことは、もはや不可能だ。
だからと言って、いきなり仏教を信仰しろと若者に説くことも無理があるだろう。

そんな時に役立つのが『教養』なのだと思う。

私は仏教系の私立高校に通い、大学では西洋哲学を少しだけ学んでいた。
しかし、当時は全く興味を持っていなかった。

たまたま入学した高校が仏教系だっただけなので、仏教行事をサボって1週間、朝の礼拝に通う刑に処された時には、絶望したし、大学の哲学の講義も訳が分からなかった。

でも父が死んだ時に、助けになったのは間違いなく、仏教や哲学の書籍たちだった。

仏教と哲学をかじったことがあったから、そこに辿り着いたのか、偶然かは分からない。

しかし、本書で繰り返し言われている
『すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる』
↕︎
『教養はすぐには役に立たないが、いつか役に立つ』

ということの意味が自分の経験を通して理解できる気がするのだ。

実用性ばかりが重視され、たくさんのものを生み出し、消費することが豊かさだとされてきた時代から、転換期が訪れていることに、皆気がついている。

そこで大学教育ではもちろん、一生かけて身につけるべき学問として、『教養』の重要性が改めて問われているのだろう。

私は学びに多くの時間を費やせる高校、大学時代に、これに気がつかずに無駄な時間を過ごしてしまったことを後悔している。

今からでも遅くはないと自分に言い聞かせ、教養を学び、『与えられた条件を疑う』考え抜ける脳を育てたいと思う。

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