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私にとどまっている、という感覚。

おはようございます。

来週の月曜日、
小学校で読み聞かせ。
今回は支援学級で、
1年生~6年生がいるので、
何を読もうか迷う・・・。

あまり深く考えず、
きいてほしいお話を読めばいいっか。

この本を知ってほしいという思いが、
空回りしてしまうこともあるけど、
たくさんあるお話のなかで、
ひとつでも心に残ってくれたらうれしい。

ここで、最近読んだ本について。

『「利他」とは何か』

ちょっと難しいところもあって、
さらっと読んだところもあるのですが、
「利他」について、
さまざまな角度、見方で書かれています。

利他的といえば、
自分のことよりも、
他人のしあわせや思いを考えて行動するというイメージ。

これって、
むずかしい。
どこかで見返りを求めたり、
自己満足でやってしまったり。

相手が本当に求めていることでないと、
ただの押しつけだけで、
一方通行になる。

子育てでも、
ひととの関わりのなかでも、
気をつけないといけないこと。
あぁ、反省。

『・・・「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには、「相手は喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は安易に相手を支配することにつながってしまいます。
利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」というこなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。・・・』

「利他」とは何か: 第一章「うつわ」的利他-ケアの現場から 伊藤亜紗

そして伊藤さんは、
利他とは、
相手のためにしていることも、
相手が入れ込める余白、
自分が変わる可能性としての余白を持った
「うつわ」のようなものであるのではないかと書かれています。

もうひとつ、
印象に残ったところを。

「利他はどこからやってくるのか」中島岳志さんの章。

・・・ヒンディー語では、「私はうれしい」というのは、「私にうれしさがやってきてとどまっているという言い方をします。「私は」ではなくて、「私に」で始まる構文のことを、ヒンディー語では「与格」といいます。・・・「私は」というのは私が行為を意思によって所有している観念だと思いますが、「私に」何々がやってくるというのは、不可抗力によって私に何かが生じているという現象のときに使います。・・・「私には思える」と「I think」のあいだにはちょっと距離がありますよね。「私には思える」というのは、私が何かを思っているというよりは、「思いが私に宿っている」という感覚。

「利他」とは何か:第2章 利他はどこからやってくるのか 中島岳志

自分で自分はこうだからこう思っていると、
あれこれ理由づけするのではなく、
意味、理由はないけど、
なんとなくそういう風になっていた。
そういう思いがどこからかやってきて、
私のなかに宿っている。

なんかそういう感覚って、
いいなと思う。


今していることも、
先が見えない、
どう転がるか分からないから、
人生おもしろいし、
先に進んでみようとするのかもしれません。


今日はちょっと長くなりました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


昨日のおやつ。
オートミールクッキー、せんべい、鶯ボール


今日もよい一日を。











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