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8月6日               戦争とは程遠いものだと思っていた

私がたしか15歳の夏休みに戦後50年のドキュメント番組をしていた。
その時の私はなぜか漠然と戦争に興味を持っていて家族が寝静まっても
一人茶の間でテレビを見ていた。
50年前にこんな恐ろしいことが起きていたのにおじいちゃんもおばあちゃんも全く関係ないような経験していなような顔をして日々を過ごしていた。(その後、おじいちゃんは南の国に出征していたこと、おばあちゃんが満州にいたことを知る)
誰も話さないし聞いてはいけないようなそんな雰囲気があった。
こんなひどいことがあったのに。

広島は遠い。
いつか原爆資料館や原爆ドームを見たいと思っていた。
ただ完全なる私の偏見だが広島にはまだ放射能があるのではないか?
住むところではないだろう。怖い。
と中学時代に漠然と思っていた記憶がある。

数年して広島に住むことになった。
そして今、戦争の話を聞く事がある。
息子は原爆の日や時間をしっかり記憶していて他の子と同じように
8月6日に登校した。今年もじりじりと暑い日だった。
数十年こっちにいるが私の記憶では雨になったのは1度だけ。「原爆が落ちて広島は燃え上がるように暑かった。思い出すように原爆の日は暑くなって雨が降ることはないよ。」被ばく経験がある人に教えてもらった。その人は爆風で飛んできたガラスが百か所くらい入っていて90代になったその時も体の中に取り切れていないガラスがあると言って頬を触らせてくれた。

たまたま今年聞いたお話は学童疎開中に広島に原爆が落ちた経験をしたという話。山奥に疎開する際、お母さんが駅まで送りに来てくれた。奥の山寺で子供たちで協力しあって生活をしていた。過酷な環境だった。市内に原爆が落ちたのを知ったのは5日後。迎えに来てくれたのも5日後。お母さんは即死で白骨化していたそうだがなかなかその事実を親戚も言わなかったし、自分も聞かなかったと言っていた。でも知っていた。嘘じゃないか、今もどこかで生きているんじゃないかと100歳近いその人は笑っていた。悲しい。

強烈な経験をした人が身近にいたこと。
自分と同じような年や子供の年に戦争時代を過ごしていた。
どの人もたくましく、優しい。
戦争がなかったら亡くすことがなかった人。失くすことがなかった経験。
私はただ聞いたことを忘れずずっとその人の事を思いたい。
一生懸命生きることは難しいけれど一生懸命生きていけないといけない。
そう思った8月6日。
戦争はいけない。


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