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会社員でよかったこと~会社員だからできた経験やエピソード~

素敵な企画を見つけたので、「会社員だからできた経験やエピソード」を中心に書いていこうと思います。今回は若手の頃の経験を書いてみます。
中堅になってからは需要があったらにしようと思います。


・1年目。衝撃の上司の発言とシフト勤務

衝撃の上司の発言

 懐かしい1年目。1.5か月の研修を経て今の事業所に配属されました。
配属先は新製品開発で当時8名ほどのチームでした。今でも忘れられないのは配属1か月後に上司が全員を招集した時のことでした。
「この中に辞める人がいます…私です!!」
突然上司はそう告げました。誰も知らなかったことなのでバタバタとなっていたのをよく覚えています。
周りは引継ぎをしている中、仕事の進め方について尋ねるといつも言っていました。
「情熱をもってできることを探してください。」
今もこの言葉を常に思い返し、時間を割きたい業務に時間を当てる工夫をしています。

シフト勤務デビュー

 工場勤務の新製品開発なので避けては通れない道、シフト勤務。
デビュー戦では眠さあまりに立ったまま眠ってしまい、そのまま計器盤に突っ込むという失態を犯してしまいました…
今では笑い話で後輩によく話す鉄板ネタになっていますが、危ないので二度とやりたくありませんね…
 三日目には同僚が誕生日だったので夜勤で誕生日になった瞬間にみんなで買った不二家のケーキでお祝いしました!事務所で歌うバースデーソングはシュールそのものでした。

 別の試作では無事に1週間の長丁場が終わり、お疲れ様会が開催されました。好きに場所を選んでいいと言われたので、食べ放題じゃない焼肉を選びました。たくさん食べてやるから覚悟しておけ!と宣言したのですが、当日幹事のおっちゃんが持ってきたのは50万円の札束でした。
「もう食べないの?」
ニヤニヤしながら見てくるその顔はとても憎たらしい笑顔でした。

テニス実業団デビュー

この頃はテニスにひたすら打ち込んでいる時期でもあり、ちょうど運と縁があって実業団に誘っていただき、全国大会デビューを果たしました!
結果は惨敗でしたが、他部署のメンバーと交流ができ、今でもその関係は続く大変良いものになっています。

・3年目。地獄のメカランと試運転

3年目にもなるとあっという間に独り立ち、この時は10年後を見据えた新設マシンの立ち上げが始まりました。
初めての経験だったのでとても楽しみにしていたのですが、実際は死ぬような経験ばかりでした…

高さ20mでの高所作業。命綱はどこに…

 最初に納入された設備の点検からスタート。確認箇所を同僚と確認し、いざ現場に…来たのですが、いきなり大問題。設備に上ったのはいいもの、足場はないし、手すりもない、おまけに命綱の支給もなく凍り付きました。
その頃は暗黒の時代だったので、結局排気ダクトの上を匍匐前進で移動して点検を済ませました。

殺人ガス

 ネタの宝庫であるメカラン・試運転ですが、最後に書きたいのは殺人ガス事件です。紆余曲折あり、何とかメカランを完了した僕たちを待っていたのは試運転でした。
この頃から勤務状態がおかしくなっており、平日は12時間交代の試運転を行い、土日で自分のテーマの実験をするというハードなスケジュールを過ごしていました。
 事件が起きたのは最初の試運転です。この時はオペレーターとして全設備の遠隔操作を一人で担当していました。
この時設備の初稼働を無事に決め、安心して設備を眺めているときに事件は発生しました。突如として設備の両側から黒い煙が勢いよく噴出し、けたたましい警報の音と嗅いだことのない激臭が漂っていました。噴出したのはシアン化水素、余裕で致死量を超えていました。みんなでギャーギャー言いながらあれこれ試した結果、直らないので停機処置をしました。
これ以外で死ぬような経験はしたことがなかったです。全ての経緯を説明し、帰った次の日、さすがにもう点検が入るだろと高を括っていた僕の前に置かれたのは一つのガスマスクでした。
「煙が出たらこれをかぶってね」
そんなとんでもない一言を残して。昔は本当に安全とかなかった…今はほんとに良い時代だと思います。

・5年目。異物とクモと早朝出勤

カメラに写っているのは…クモと作業者の手のひら

 若手最後?の5年目に待っていたのは異物流出問題でした。
当時先方より求められていたのは、カメラによる検反でした。当時はまだ自
動判定の技術が進歩しておらずAIでの自動判別は難航していました。まずは画像の確認ということで、全部ひっくり返すとなんと1日の撮影枚数は1000枚以上。自動撮影にしても多すぎる!ということで一から確認していくと大変なことになっていました。
出てくる写真はだいたい作業者の手の写真!こんなところに手を突っ込んで作業するな!という苦情を上げ、無事になくなりましたがほんとに何やってるんですか…となりました。
また別の写真では超巨大なクモが画面いっぱいに写ってました。防虫対策…してるよね?という問いかけは闇の中に消えていきました。誰か答えて…

生産を繋ぐのは…スタッフの努力

 そんな中で米国での21日間連続生産でのカメラ検反がミッションとして正式に決まりました。苦肉の策として考えられた方法は以下の通りです。
①米国で生産開始後、毎日決まった時刻にカメラ画像の抽出、日本への送信
②日本人が明け方に出社して、気合と根性で全部の画像を検反し、仕訳をする
③上司に提出し、承認・申請フローを流す。
問題は②の人、つまり私です。一日も休むことなく、米国と日本の勤務時間の狭間で生きていくことを余儀なくされました。4時頃には出勤しており、ちょうど年末だったこともあって、初日の出を事務所で拝む羽目になりました。1秒でも楽するためにこの頃は死ぬほどVBAとPythonを勉強し、気が付けば半自動化に成功し、無謀な早朝出勤をせずとも対応できるようになりました。頑張ればなんとかなるものです…

・最後に

ダラダラと社会人だからこそできた経験、エピソードを書いてみました。
楽しいこと、とんでもないことたくさんありましたが、それら全てが今の私の価値観を形成しています。
何が良い経験かなんてわからないので、これからも全力ぶつかっていき、困難を突破できればと思っています。


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