見出し画像

ふとした瞬間思い出す。心にしまったはずの相談援助のこと。

福祉には様々な領域があることは知っていて。普段目にしない抱えきれない悲しみがそこにある。
これから先、福祉のことを考える機会はグッと減ると思う。
だから自戒を込めてnoteを作成してます🍀 ̖́-

私は数年前、引きこもり相談員をしていました。
引きこもり支援は福祉の全てを包括している。面接辞退しても良いし。この後も辛くなったらすぐ言ってください…
うん?なんだろう?
今となっては、この言葉の意味。重みが凄く分かる気がします。
大学生は私だけ。年齢が低い私に何かできることあるのかな?
でも仕事だから頑張らないとね!って。
先輩方は関連機関や、支援方法についてアドバイスして下さいました。
はじめは、ケース記録を見たり、同行を慣れてきたら、1人でも出来るように。
それぞれケースを担当し、家庭訪問や面談に行く形式で、先輩方は確かに優しかった。
ただ年齢は近くはないし。上の立場は上の立場の仕事もあるはずなので、私にとっては気軽に相談できる環境はありませんでした。
他の人達にはもっと言えない。
守秘義務もあるしね。
まぁ同じようなことをしている人がいないことを私は選択したし。悩み言ったら困らせちゃうし。共有出来ないのは仕方ないよね〜。

自分のやり方に悶々とする日々…
これで良いのかな?うーーん😔💭💭
若くして相談員は難しいのかなって。
それは当事者の方にとっても保護者にとっても支援者にとっても若いって経験不足を感じさせてしまう所があるから。
年齢を重ねないと見えてこない部分もあるし…
なんか、年齢が上の人を支援するの気を使うなぁ。
ずっと緊急事態が発生する緊迫感からの緊張。
支援の方向性が違っていたら別の結末があったのではないか?とピリつく雰囲気。
家族の悩みも和らげるという難しさ。
所属機関、先輩、家族、本人…色々な倫理的ジレンマもある。
当然、批判も出てくる。
他の機関のことや、債務整理・障害のこと…
専門的な知識も必要で夜遅くまで勉強してるのに、頑張っても感謝される訳ではない。
むしろ、心を閉ざされ拒否されることの方が遥かに多い。
浴びせられる罵声。怒声。キャンセル。
危険と隣り合わせ。
あれっ何のためにやってるのかな?
時間それなりに使ってるのに誰のためにもならないのかな…
でも、それは相手にとっても同じ訳で。
そこはフェアにいかないといけないし。
相手には一番しっくりくる選択を選んで欲しいな〜とは思ってて。
私の力の無さに申し訳なさまで感じた。

今思うと、相手の認識と私の認識のズレが原因だったのだと思う。
ここを乗り越えるのには私自身の強さが必要で、そこと向き合うことに苦しさと難しさを感じた気がします。
面談はもちろんのこと、経過記録(どのように支援するか。どんな機関に繋ぐのかを記入する)のも上手くいってるようには感じられなくて。
答えが見つからなくて。
同じ値段で働くなら他のことに時間使いたい。辞めたいって思ったことはあるけど。
でも、ケースを1度持つと簡単には辞められないから…
私がこれをやるって決めた意味をもう一度考えたい。そして、私はお金を貰うためだけに働いているのか?考えるようになりました。

相手の気持ちに集中しすぎると段々、自分の感情に半分相手の領域が入ってしまう。
世界が灰色に見えてくるようになりました。
私は多分、誰かの役に立ちたいと思ったから、これをやるって決めたのに、誰の役にも立ててないんだろうなと思う時もあったし。
利用者の話を聞いてから人生は怖いことばかりと思ってしまうようにもなった。
心理的に余りにも苦しいと体がなぜか動かなくなる時もあって、限界は確かにあった。
でも、先輩方は優しくてサポートして下さった。
プライベートでは今のままだと私が周りの人に気を使わせることも知っていて…
なんか、もう悩みは最小限にしたくて。
その時は人と話したい気持ちが湧かなくて、最低限の関わりしか持てなくなった。
ここも乗り越えるべき苦しさの1つだったんだろうけれど、当時の私には難しかった😢
だから先輩方の凄さと最初の言葉の重みが分かりました。
相談することは自分が考えている以上に難しい。(相談させるまで行かせない。悩みをヒアリングするか、悩んでそうなことを先に仮説立てて提供してみることの大切さを学びました。ありがとうございました🙇‍♂️)

これじゃ良くないと思って…
いつしか私はマイナスの気持ちが持つ役割を理解できるように工夫していきました。
支援者の年齢の低さからくる頼りなさ。
人生を預ける不安。社会への期待と恐怖。
そもそも支援を望んでない拒否感
支援という言葉への抵抗。
感情を言語化することの難しさ。
支援者に申し訳無い気持ち。
ストレングスに目を向けて欲しい承認欲求。
マイナスにどう対応するのかもセットで。

支援者自身の経験と重ね合わせそうになるけど、一人一人の思いも環境も少しずつ異なる。
気持ちと言葉は異なるかもしれない。
このサービス・機関に繋ぐのが一番良いかなと私と上司の中での正解はあったし、自分のことは即決するタイプだけど、人を介入させるからそうはいかない。
そういう時こそ、相手の言葉にならない気持ちも含めてもう何個か提案する選択肢を増やしてみる。
なんとか色々なジレンマとの折り合いを付けられるように感情に配慮する。
常識や論理は大切。だけど、感情の方をもっと考えてみることを学びました。

今考えたら、楽しいことは本当に少なかったし。同年代の仲間もいなくて心細かったな。
多分、この年で知らなくて良いことを知り、経験しておくことを飛ばしたことを知っていたから、時間を使う箇所を間違えた?とは思ったけど…
誰にも教えて貰えないような。
きっと今後も誰かから教えて貰って学ぶことは出来ないけれど、1番大切であろう人間の基礎的な部分を学べる良い機会だったなって。
これが時間の対価だと今は思っています☺✨️

あなたに出会えて良かったと言われた時、全てが報われた気がしました(*ˊᵕˋ*)
なかなか出会えて良かったって咄嗟に出ないと思うので。
前もって考えてくれていたのかなと思って。
嬉しかったです!!

きっと、自分の意識が内に向きすぎていると思った時は休息が必要な時なんだと思います。
もし、人と会いたくない時期だなと思ったとしても1人でも家でも出来ることはたくさんあると思うし。
それほど考えすぎず1歩ずつ!!
環境の変化で気持ちも体調も左右されるものだとは思うし、乗り越えたら強くなれること。
雲の上はいつも晴れなので☀️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?