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学び舎をふたたび復活させる!
現在、私が開拓を進めて
農場を再興しようとしている場所
三原村旧芳井小学校(正式には分校)
芳井分校は、戦後の昭和22年に
入植を開始した三原村大字下長谷地区
セキゼ(旧しゅりの里)・横山地区の子供たち
特に1~4年生にとっては南分校への
通学路が7.5~8.5キロと遠く、
甚だ危険なため開設された学校です。
![](https://assets.st-note.com/img/1720993259810-SmuSEaBy0C.jpg)
三原村史の芳井分校に関する記載によると
セキゼ・横山地区の両開拓地は、
昭和22年に入植を開始
入植当初世帯数15戸 人口61人
開拓地域からの南分校まで
小学1年生~4年生の児童にとって
通学するにはあまりにも過酷で
人家もまばらで山も険しく
川の断崖に挟まれた悪路が多く
南海地震後は雨季・冬季において
甚だ危険である。
と記載があります。
そのため村は、昭和28年に芳井分校を開設。
昭和28年 児童数17人
昭和33年 児童数35人
それからは、開拓地においての
離農などにより子供が減少・・・
昭和52年に南分校に統合され
24年間の分校の歴史を閉じました。
それから幾多の歳月を経て・・・
さらに高齢過疎化が進行・・・。
かつての学び舎は、
森の中に飲み込まれていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720993303775-F1ADMGJF67.jpg)
そんな学び舎を、しゅりの森として
ここに農場を開こうとしています。
入ってすぐの状態は、
校舎は崩れ落ち・・・
教職員住宅のみ、かろうじて残ってました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720993318986-M2iCvK9SDT.jpg)
床から竹が生えて天井を突き破り
天井を見上げると・・・
数か所、空が見えていました。
お金も全くなかったものですから・・・
廃材や資材をご近所さんからいただいて
腐った梁は、ジャッキアップして
つぎはぎして・・・
少しずつ 少しずつ・・・
外壁をあらたに貼りかえたり、
屋根(もはや瓦がない部分)を修繕
床を貼ったりしておりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720993430537-caTsBpaT6z.jpg?width=1200)
それはそれは 楽しくって!
生きてるぞ!やってるぞ!って
実感していたわけですね(苦笑)
う~ん この性格
う~ん この性分
治りませんねえ・・・(苦笑)
一気にフロンティア魂の火が、
ふたたび灯ってしまったわけですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1720993554811-RzxkPvYsqT.jpg?width=1200)
いつの日か・・・
たくさんの子供たちが遊び・はしゃぎまわる
学び舎をふたたび復活させたい!
そんな日が来ることを目指して
一歩ずつ歩み始めました。
みなさんこれからもしゅりの森開拓物語を
応援・ご支援 よろしくお願いします。
続きは次回
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