国技 相撲 と私

私は4歳の時から相撲を見ている。初めて見たのは平成20年の初場所だったらしい。(これは親から聞いた情報だが、私はそのときの記憶はない。)本格的に好きになったのは平成21年の初場所だ。日馬富士という力士が大関(横綱の次の位で1場所15日中平均11日勝つというのを3場所続けないと大関には上がれない)に上がった場所だった。私はこの日馬富士という力士が好きだった。理由は単純で私と名前が似ているからだった。この場所日馬富士は大関まで名乗っていた四股名(しこな)安馬から日馬富士という四股名に改名して初めての場所だった。本格的に15日間なったのはこの場所が初めてだったのでかなり運命的だったと思っている。4歳なんて名前が似ているぐらいの理由から好きになったりするものだ。しかし、その次の次の夏場所に日馬富士が白鵬を破って優勝してからは、私の日馬富士への熱は止まらなくなった。(という記憶があるだけでどうだったかはあんまり覚えていない。)私は日馬富士の取り口が好きだった。正々堂々と頭からぶつかって脳震盪を起こそうが相手を吹き飛ばす気迫があり、スピードで勝つのだ。幕内では130kgととても軽量なのだが(これでも軽量なのはすごい世界だとほんとに思う。)でかい力士でも何でもとにかく鋭く当たっていく。そしてとにかくあきらめないのだ。土俵際相手が全力で攻めてきても全力でしのぐ。安馬対若ノ鵬とyoutubeで調べたら、その日馬富士の粘り腰がいかにすごいものか出てくる。これは、相撲ファンでなくてもすごいというより他ないと思う。日馬富士を追って何年も相撲を見続けたせいで、私は当時いた日馬富士のライバルである白鵬、朝青龍をはじめとした横綱(言わずもがな1番強い人ら)大関達は敵としか思えなかった。ウルトラマンのゼットンみたいなもんかな。日馬富士が好きすぎて小1の自由研究は日馬富士についてした。友達からは「これお父さん?」と言われた。そんなわけあるかい。平成24年の秋場所日馬富士が全勝優勝して優勝を決めたときには感動しすぎて泣いた。千秋楽15日目に白鵬を倒すのだが、それまで14日間速攻の相撲で相手を倒していた日馬富士が、この日だけは勝負を決めるまでに1分以降かかったのだ。白鵬はやはり群を抜いて強いなと思う。しかし白鵬も頑張ったおかげもあり、あの熱戦は今でも私の胸に焼き付いている。その時の実況のアナウンサーの実況も素晴らしいので見てほしい。そんでいろいろあって日馬富士は相撲界を去ることになったのだが、そのあとはしばらく相撲を見ていなかった。こないだ大学に入って久しぶりに相撲を見た。日馬富士の弟弟子である照ノ富士が久しぶりに1場所通して出場して優勝した。他の力士も奮闘していて、日本人力士が特に活躍していたのに胸を打たれた。今場所はかなり負け越したけれど、前頭二枚目の翠富士は小兵ながら技で巧みに仕掛けるタイプで応援したいと思った。そして、勢いあまってそのまま両国のちゃんこ屋でバイトすることにしたのだった。こんなに長々と相撲のことを書いてもうしわけないです。でもこの熱量が誰かが相撲を見るきっかけになったらいいな。次の回はもうちょい普通に普段思ったこととかを書きます。

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