思索メモ 1. (テーマ・知性改善論) 

日常の自分のちょっとしたアイデア、着想をメモする「思索メモ」という創作を始めることにしました。学術的に必ずしも正確だったり、整合性が取れているものではない。いわば、エビデンスをとる前のアタマの中の仮説を具象化するアイデアノートです。

最近、『知性の正しい導き方』という書物を読んでいる。知性改善論という古典のジャンルに含まれる、18世紀イギリス経験論の啓蒙思想家ジョン・ロックの著作である。


以下に綴るのは、その知性改善論という古典ジャンルにまつわる着想である。

思索メモ

知性改善論という古典のジャンルについて、次のような疑問が、浮かんだ。
西洋近代の啓蒙思想家の知性改善論、例えばロックやスピノザの著作などの他に、東洋の古典にも知性改善論と言いたくなるような作品があるのではないか。
例えば、孔子の『論語』やヒンドゥー教の聖典、『バガヴァッド・ギーター』はまさに知性改善論だと思える。
知性を西洋的な意味での理性の他に、例えば、前者では仁や徳を、後者では、放擲することの知を説いている点で知性改善論と言いたくなる。
知的生活論の元祖ハマトンは知的に生きること
(≒知性)をすなわち" 徳" を意味すると定義していた。徳が知性の根幹の大きな柱の一つだとしたら、この仮説は説得力をある程度持つかもしれない。
知性の定義や本質は、古今東西の哲学者が思索してきた不朽の問いなのかもしれない。

視点1. 知性改善論という古典の適用範囲を、東洋古典にも拡大してみる。
視点2. 徳は知性と言えるか?
視点3. 知性とは何か?
視点4. 知恵と知識と知性は何が異なるか?
視点5. 知性という概念は西洋由来か?
視点plusα 書物というメディアはプラマイトータルで人類の進歩にどれほどの貢献や影響をおよぼしたのか?知性改善論という古典ジャンルは人類の進歩を目的としてデザインされたのだろうか?


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