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紙の書物を哲学する (読書論エッセイ)

私たちが普段、何気なく目にしたり、図書館や書店などで手に取る書物というもの。それは四角い形で、開くと文字がびっしりと並んでいる。何が書かれているのか、それを知りたくて、あるいはただ読むことの快楽を求めて、その箱を開ける。

それは人類が生んだ驚異的なテクノロジーの一つである。

書物とは一体何なのか。このブラックボックスはなぜこれほどまで強大な威力を持っているのか。読むという行為とは一体何なのか。
私は書物に魅せられているからこそ、このような問いに関心を持った。つまり、書物に関する哲学的思索を探したいと思うようになった。

文献を探すうちに、この上なく素晴らしい2冊の、key BOOK に出会った。書物への問いを書物のなかに見つけたと言える。

まずはこの一冊から、レビューしたい。


この本の著者は、図書館の歴史に関する世界的権威として知られている、ベネズエラ出身の図書館学者・作家・反検閲活動家、フェルナンド・バエス氏である(本書の略歴を参照)。


内容を簡単に、以下に綴ってみる。

 書物は長らく神聖視されてきた。民族や国家や宗派や信仰者のアイデンティティのシンボルとなってきた。書物は人工記憶装置であり、人類が発明したテクノロジーのうち、これ以上改良の余地がないほど完成されている。グーテンベルクの活版印刷発明以来書物の形式はほとんど変わっていないという。
 文字の発明は階級化をもたらした。読み書きの能力、すなわちリテラシーは知識へのアクセスを左右し、階級分化がおこり、文明が誕生した。書物は特権階級の宝物だった。
 書物の破壊者、すなわち、ビブリオクラスタはなぜ故意に書物という紙の発明品を消そうとするのか。それがなぜ歴史上、そして現代にさえ、起こってきたのか。そもそもビブリオクラスタとはどのような人々なのか。本書はその問いに挑んだ。
 著者は書物を人類の記憶そのものであると定義し、古代メソポタミアや古代ギリシャから、古代中国、中世やルネサンス最盛期、そして近代から現代に至るまで、古今東西の事例や文献を博覧、列記し、分析しながら、書物を、つまりは人類のかけがえのない記憶を受け継ぎ、守ろうとする強い意志をあらわにする。

告白すると、この一冊には、魅了された。この本を読んでみて、悲しい思いになったという感想を教えてくれた知人がいた。確かにそれはわかる。本書でこれでもか、これでもか、というほど列挙される書物の破壊にまつわる事例や文献を読んでいると、永遠に失われてしまい、もはや戻らない膨大な遺産に対する空しさや痛みを感じる(と同時に書物の破壊というテーマにとても惹かれる)。

だが、同時に書物が他の文化的遺産と同じく、いかに脆い存在であり、慎重で細心の注意とたゆまない努力を払ってでも、後世に伝えていかなくてはならないのだという、著者の大きな使命感と、そして、悲劇が幾度も繰り返されることに対する失望がひしひしと伝わる。

書物は立派な文化的遺産である。それは初期のインキュナビュラや稀覯書や古書だけでなく、私たちが普段読んでいる書物も同じことである。

古代中国に、「書は人に貸さず」という名言があるけれど、書物は大切に、優しく扱わなければならないというあたたかい声が感じられる。それは、図書館の蔵書だけでなく、個人の蔵書でも同じである(といっても、個人が自分で買った書物にマーキングをするのは別に問題は感じない)。

最古の書物は文明誕生の地、シュメールで数千年前に生まれた。それは人類史のスケールのうち、残りのたった1%に過ぎない瞬間であるという。人類史の大半は先史時代だったけれど、最後の1%の時間で、文明が誕生、書物の原初形態が生まれた。
そして、5世紀ほど前にグーテンベルクが活版印刷技術を発明し、インキュナビュラが誕生した。現在私たちが読むような書物は、ポスト・インキュナビュラ  であると次に紹介する本で、エーコはいう。

本書を読むまで、ビブリオコーストビブリオクラスタという言葉をまったく知らなかった。ビブリオコーストは「書物の大量虐殺」を意味する新語で、後者は「書物の破壊者」を意味するという。

ネタバレしないように肝心なところは伏せた。興味を持っていただけたなら、嬉しい。

さて、本書と併せて読んだのが、次の本。

『薔薇の名前』の著者である中世学者・記号学者ウンベルト・エーコが共著者の一人である本書は、装丁のデザインからして、魅惑的な一冊である。

エーコとカリエールの博識ぶりはさることながら、著者二人の書物愛がなんとも、あたたかい書物讃歌の観を呈している。教養に溢れた知の巨人二人が、人類の芸術や歴史や哲学に対する深すぎる造詣をおしみなく披露しており、読んでいて知的に刺激的過ぎた。歴史好きの自分には、たまらなかった。
エーコは一冊目の本を絶賛し、本書の中でも、取り上げた。

以上の二冊は図書館で貸し出した。最後にテーマが近い、購入した一冊を紹介したい。

この本については、興味深かった。書物も、貨幣も、コンピューターも、そして世界や宇宙までもがブラックボックスであり、入れ子のようになっているという観点。ブラックボックスという視点から、書物の破壊について捉えられるかもしれない。


私は、読書が決して得意なわけではない。読書家ではいうまでもなく、あえていうなら、遅読者である。しかし、それが生きがいなのである。


ご清聴ありがとうございました。




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