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人吉球磨ナウ③

人吉にいるのもあと1週間を切りました。

もう、終わりよければすべてよしに、みんな向かっていて、嫌なこともポジティブ変換し始めています。。それでいいのか?まあいいか。

ちょっと過激なのかな、嫌だと思う人もいたら気をつけてください。

明日は、合鴨の捌き方を教えてもらいにいきます。

4月に来た時、「前回の子もしたよ。あなたもするでしょ?」と聞かれ、、ああ、1年後にはきっと自分でしなくちゃいけないんだと思ったし、これから食に関わっていこうという人はやるべきだし。捌くってことを意識し始めてからは、この2.5ヶ月間もういろーんなこと考えたので、今日は取り組む前に書いてみます。

食肉について。今年に入ってから、お肉を食べる時に、自分が責任を持てる範囲のものを食べるべきでは?みたいなことを考え始めてました。
例えば、我が家では父が釣りをするし私も姉も小さい時からついて行ってたから、釣った魚を捌いて料理することは、躊躇することなく美味しく食べられる。それが自分の解釈の中での、責任を持てる、ということ。

牛、豚は責任を持てない。

あとは人吉球磨に来てから猪・鹿・鯨が食卓に並ぶことがあって、家で出たら食べないし出ないと思うけど、それが私の信念!というほどでもないし、その食事の時に、私はこれ要りません。というのは違うからすすめられたり、自分のお皿に乗ったら残さず食べる、というなんとなくのルールを持ってる。

そこで、鶏を捌く日常がやってくるかもしれない時に、自分はそれができるのか、ペスカタリアンとかベジタリアンの食事にシフトするのか、と聞かれた気分でした。

別に責任を持てないからって、じゃあ食べちゃいけないんだああああ、と思うわけじゃないし、そもそも責任ってなんだよって感じだから考える必要もないかもね。だけど、なんかよくわからんループに入ってます。
特にアバター2を観てから、鯨はかなり抵抗がある。大皿で出てきたら手をつけてない。(熊本は鯨を食べる文化が今もあって、スーパーにも何種類かの部位が売ってます。)観た人いるかな。
鹿・猪は、害獣じゃないけどそんな感じで言われてて、ジビエだからそれもまた根付いてて。

命をいただくということ。頭では「しっかり」わかっているつもりだったし、いただきます、って欠かさず言うのが美学みたいなところもあったんだけど、いざ明日を前にすると、絶対泣くってわかってる。生き物殺すってことだもの。魚とかでしてるし、蚊とかコバエとか何万匹と殺した?って感じかもだけど。トリって違う。でも覚悟持って、誠意を持って、臨みます。

一方で、、私の恋人に上記のことを話すと、合理的な考え方をしてるから、「現代ではお金を払ったら、その苦しみを味わわなくていいんだから、それを自ら体験しようとするのは時代に逆らってるんじゃない?」「自分がもしその立場だったら絶対したくない。でもしなきゃいけないという、私 が感じてる義務感はわかるよ。」とのこと。
パートナーさんは、
1、動物大好き 2、肉食べるの大好き 3、現代っ子でムシ無理(私もムシ無理)
みたいな感じ。だよね?笑

動物を食べるのが、「かわいそうだから」という理由だけで、ヴィーガンをはじめようというのはちょっと違う気がしてる。もちろんみんな一人ひとりがいろんな考えを持っていて、たくさん考えた上でそれぞれの選択をしていることはわかっているけど。

だから多分考え方色々ありすぎるし、結局自己満で、自分が罪悪感感じないとか、自分が美味しくお肉を食べられるように、「残さず食べる」とか、「いただきます、ごちそうさまと絶対言う」とか、「美味しく食べる」とか、言い出すんだ。きっと。私がそうしたところで何も変わらないのにね。

でもお肉って美味しいし、タンパク質としてもとてもよいよね。写真のラーメンもとても美味しかったです。

また経験し終わったら気持ちを書きます。
ふう。

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