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2度目の就職の話 【薬局編 ⑧】

翌朝、私は職場へ向かうも、間近まで来て脚が駅方向へと引き返していました。
とりあえず落ち着こう…。
私は職場の人が通らないか気配を気にしながら、国道沿いにある横長い建物の純喫茶に入りました。
「いらっしゃいませ。」
木の扉を開けると60代と思われる気品漂うマスターが、真空サイフォンで先客のコーヒーを淹れていました。
飾りランプに灯された白壁には、世界地図のパネルが掲げられており、それぞれのコーヒーの産地に焙煎された豆が貼り付けられてあります。

紛れもなく詩が存在する空間。 
私はノートを取り出して、断片的な言葉をスケッチのように刻んでいきました。

壁掛け時計の針が、出勤予定の8時15分を過ぎました。
当時は携帯電話が普及していない時代であったために、やはり電話がかかってくるとしたら家で、専業主婦で在宅の母が取ることは間違いなかったのです。

おそらく、タイミング的に家には既に連絡がいってるだろうけれど、今からでも職場に電話をしてから出勤したほうがよいだろうな。
間違えて快速電車に乗ってしまって、市外まで来てしまった…職場も家も一貫してそう言い訳をすればいいだろう。

電話の後、職場へ向かうと、事務部長と技術部長がエントランスで出迎えてくれていました。
「何かあったのかと思って心配したよ。」
桐島さんや先輩方とうまくいっていないことを知ってか知らずしてか、心から気にかけてくれているような優しさのある表情に見えました。
薬局の中でも、桐島さんと蒔田さんに同様の言葉を掛けられ、そして用意していた言い訳を答えたのでした。

一方受付のほうではそれらのやりとりを窺いながら、連絡なしの遅刻は非常識だとざわついていました。
また、前日に上村さんのマグカップを壊してしまったことは気がかりだったものの「もういい。」と言われたことを鵜吞みにし、弁償品を用意できていませんでした。
そんな状態のまま、その後約一週間が経過するのです。

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