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「考える」とは何か② 探究学習から見えること

 「考える」とは何か——。

これを最近は常に考えています。前回は、新課程科目「歴史総合」とAIから考えてみました。


「歴史総合」とか、「公共」とか、一つの教科だけで、世の中の求める資質を網羅できるわけではありません。だからこそ、教科を横断して世の中の求める人材として成長させたい。そんな思いは、「探究学習」にも表れているんです。

 前回の「歴史総合」を踏まえつつ、「探究学習」をもとに考えてみます。

 「総合的な探究の時間」という教科は、「総合的な学習の時間」が改編されたものです。「総合的な学習の時間」は「ゆとり世代」を象徴する科目として界隈では有名です。(私はゆとり世代です笑)
 その「総合」の時間が「探究」の時間として変化しました。何をするかということは、学習指導要領に書かれていますが、端的にまとめると

学校に任せる!課題解決学習をしてくれ! 

ということです。課題解決学習なので、手順としては「課題の設定」→「情報収集」→「整理分析」→「編集まとめ」といったものが一般的になります。

 「課題解決学習」は、前回ピックアップした「歴史総合」とは大きくテイストが異なる。ただ、相変わらず「思考力・判断力」を求めていることに変わりはない。

 私は高校の教員として、2年生の探究学習のカリキュラムを作っています。課題解決をさせるということで、どんな課題にしようか、どうすれば色んなアイディアが出てくるだろうか、なんて考えながら授業を作るます。
 その中でふと気づいたんです。探究学習のような課題解決学習ってどこかでやったことがあるな。大学の卒業論文だ…。って。

 高校で、各校でできる課題を設定して、「研究」の真似事をする。それが「探究学習」です。だから、学力的に高い学校では、各個人で自由に課題を設定し、各自で探究学習を行なっています。理系なら科学的な内容、文系なら文学や政治学的な内容で卒業研究のような形で成果をまとめるなんて方法もとられています。

 私の学校では、地域探究を行なっています。地元の地方自治体から課題を提供してもらい、それをグループ活動を重ねて解決策を提案するというものです。とにかく一般的な内容です。


「この街の課題はなんだろう?さあ、考えてみよう!」なんて問いを仮に出すとすると、たちまち生徒たちは机の上のタブレットで検索をはじめます。

 「〇〇町の課題」 ポチッ

「さぁ、考えてごらん!」っていうと、たちまち「わかんなーい」って返ってきます。

「正解はないから、とにかく思いついたことを言ってみて!」
「探究学習は、考えてなんぼ!」
「話してみよう!」

なんて声掛けが授業の大半です。

とにかく考えられないのです。
タイトルにある「考える」とは何か。という問い。実は、この考えられない生徒を目の当たりにして、湧いてきた問いでした。


「考える」って何なのか。
私たちの時代(ゆとり世代)は、「考えろ」って言われることはあまりなかった気がしています。

これも、世の中の変化によって、教育の世界が変化していることの影響です。
また、
・その変化を知らない周囲の大人が
 日々子どもたちに語りかけること
・急な変化に慌てて対応しようとして
 実施される授業で語られること
のギャップに苦労しているのが、今の高校生なのかも知れません。

次回は、「考える」の本質を考えたいと思います。

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