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「考える」とは何か① 新課程「歴史総合」とAIから見えること

「考える」とは何か———。

 世の中にこの手のテーマで書かれている本や記事は溢れています。私も多くの本や講演を受けて考えてきた「考える」とは何か、を整理して考えてみたいと思います。

 私は高校の教員です。学校教育の世界、特に高校に身を置いていると、学習指導要領の改訂に伴って、授業の内容やカリキュラムが変更されることがしばしばあります。3年前から新課程に移行した関係で、新しい教科書に変わり、社会科をはじめとするいくつかの教科は「思考力・判断力」を養うような内容に改編された新課程のカリキュラムで授業を展開しています。

 この教育課程の改編は、大学の教育が変化したからだと言われます。さらに、大学の教育が変化したのは世の中が求める人材の資質が変化したからだ、と言われます。

 さて、どう変わったのでしょうか。

 とにかく新課程では「思考力・判断力」が非常に問われるようになりました。さらに、総合的な探究の時間は各学校を悩ませている新課程の目玉です。「探究」をさせる。つまり、思考させて判断させる機会を作りなさい、ということなのです。

 典型的な変化を「歴史総合」から考えてみましょう。

 「歴史総合」は、共通テストの中でも重要な地位を占める科目になりつつあります。そのため、各予備校等の模試の問題にも力が入っています。読解や思考力で解答を導く問題の作成は本当に努力の賜物だと感じます。

 実際に「歴史総合」とはどんな問題が出るのか、私が授業で使う問題です。


問1 次の「ローズの談話」からわかるイギリスの帝国主義の目的として相応しくないものを一つ選びなさい。

〈ローズの談話〉
 きのう、ロンドンのイースト=エンド〔労働者地区〕に行き、失業者の集会をたずねた。そこで絶叫調の演説をきいた。弁士は「パンを寄越せ!」とひっきりなしに叫び声をあげていた。私は帰り道、目の当たりにしたことを胸のうちで反芻し、帝国主義が重要だということを以前にも増して確信した……。私の念願は、社会問題を解決することである。つまり、連合王国の住民4000万人が血で血を洗う内戦におちいるのを防ぐことである。そのためには、われわれのように植民地政策にたずさわる者は、新たな土地を手に入れなければならない。そうすれば、そこに余剰人口を移すことができる。また、工場や鉱山で生産される商品を売りさばくための新たな販路もみつかる。これは私の持論だが、帝国は胃袋の問題である。もし内戦を望まないのであれば、帝国主義者にならなければならない。
  (レーニン〈角田安正訳〉『帝国主義論』)

  ①移民を促進する    ②市場の拡大  
  ③軍事力の増強     ④失業率の改善 


問2 次の資料について、りょうさん、きょうへいさん、たくやさんが話をしている。三人の発言の正誤について述べたものとして正しいものをA~Dのうちから一つ選び記号で答えなさい。

(1890年 首相山縣有朋の発言より)
国家が独立自衛する道は2つある。第1は主権線を守り、他国の侵害を許さないこと。第2は利益線を守り、自国の地の利を失わないこと。何を主権線というか。領土のことである。何を利益線というか。隣国との接触の情勢が、わが主権線の安危と密接に関係する区域のことである。……わが国の利益線の焦点は実に朝鮮にある。 (『官報』号外、衆議院議事速記録)


 りょうさん   「朝鮮の状況によっては、日本の主権線が危険になるかもしれないと訴えているね」
 きょうへいさん 「『自国の地の利を失わない』とあるけども、日本の地の利は島国である点だと考えることができそうだ」
 たくやさん   「朝鮮が利益線であるならば、北方の利益線は千島列島になるね」 

  A    りょうさんのみ誤っている
  B    きょうへいさんのみ誤っている
  C    たくやさんのみ誤っている
  D    3人とも誤っている


 この2つの問いは、読解力と思考力で十分に解くことのできる問題です。ただ問2については、ある程度の歴史の大枠を捉える知識を持っていることが前提である。そういった問題です。「地理総合」も「公共」もこのような問題が出されます。

 知識を暗記する社会科の知識だけではダメだという思いをカタチにしたような教科になっている、というわけでしょう。まぁ、考えて解答を導いていますよね。だから、「考える」という力を養うという目的には近づいているのかもしれません。

 ところで冒頭にも述べましたが、 この教育課程の改編は、大学の教育が変化したから。さらに、大学の教育が変化したのは世の中が求める人材の資質が変化したから、なのです。世の中は読解力と思考力を備えた人を求めているのでしょうか。大学は、読解力と思考力を備えた人を求めているのでしょうか。



 私の中での一つの答えは、AIにあるような気がしています。答えというよりもこの教科をどう捉えますか?と聞かれた時の回答としては、といった方が正確かもしれません。

 AIは、openAIの「ChatGPT」の登場で、あっという間に世間に広がりました。コロナ禍で急速に進んだ「一人一台PC」の時代です。子どもたちは机の上に展開している端末で生成AI(chatGPT)を使っています。作文を生成AIに考えさせて提出するなんてことはもはや日常です。

 新課程や思考力が問われてから、多くの先生方が導入した作文やレポート、プレゼンは今や生成AIが代わりに作ってくれます。そんな時代だからこそ、読解力と思考力を求めるのではないだろうか。

 生成AIとは、そのツールに合わせた「対話」が必要です。一回の指示で思い通りの回答が返ってくるわけではない。だからこそ、何度も会話のやり取りを繰り返すことで自分の求めている回答を得ることができます。AIを使うにも「会話」が必要なのです。

 さらに、プログラミングについても同じです。プログラミングを勉強するということは、また違った外国語を勉強するのと同じことなのです。だから、プログラムを組み、それを商品として売ったり、利用したりする職に就くのであれば、人が書いたプログラミング言語を読めなければならない。つまり、読解力が必要で、何をしようとしているのか、といった思考力が必要なのです。

 今の子どもたちは非常に難しいことを求められている世代です。中学校までの授業とまるっきり違う展開で授業が行われます。大学入試も膨大な課題が課され、3年生になってから行動していては遅い時代になりました。

 Z世代の子どもたちの近くにいる私たち教員や親世代は、向き合い方を変えてあげないといけません。社会の変化に対応しきれていない大人や社会の影響をもろに受けています。

 何を伝えてあげられるか、まだまだ研究が必要です。

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