私は、冬の北陸を愛してる。#未来に残したい風景
あけましておめでとうございます。
今年は2年ぶりに、北陸で正月を迎えました。
いま住んでいるのは宮崎県。
雪とは無縁の、カーンと晴れたひなたの国。
北陸で生まれながら、宮崎で育った5歳の娘は、雪をほとんど見たことがない。
「えるさのくに、いくの?」
娘にとって、雪国は「アナと雪の女王」に出てくるようなファンタジーランドらしい。
「そうだね。雪と氷の国だね」
私は、生まれも育ちも富山県だ。
冬。荒波立つ日本海を抜けて、めいっぱいの寒気を含んだ大気は、巨大な日本アルプスにぶつかって雪を降らせる。
その、ぶつかって一番はじめ、重くて湿った巨大なぼたんゆきが落ちてくる真下に、私の町はある。
冬と言えば雪、雪と言えば積もるもの。
積もった雪は町を埋める。
富山をはじめとする北陸の冬は「灰色の冬」だと言うのを聞いたことがあるが、それはとてもよく分かる。
とにかく曇天なのだ。見上げた空は、いつもくすんで重たい。
実際、日照時間が日本一短いらしいので、外からこの場所に来ると鬱になるとも言われている。
そして雪を知らない、まさに私の娘のような人からは「雪が降って楽しそう」「スキーとかできるね」という、メルヘンチックな憧れの眼差しを受ける。
でも、少しでも雪を知っている人からは「毎朝大変だね」「除雪とかあるんでしょ」「車とか移動にも大変そう」と、日常生活の不便さに同情される。
どちらも本当だ。
雪は、楽しさもあれば、大変さも一緒に連れてくる。
でも私は、その両面を知ったうえで。
やはり、北陸の冬を、愛している。
「あー! ゆきー!」
トンネルを抜けるたび、車窓は雪深くなり、娘のテンションは上がってゆく。
「ゆきだるまつくーろー どあをあけてー」
鼻歌に合わせてニット帽が揺れる。
「ゆきおとこびと、いるかなぁ。つられつらら、いるかなぁ」
こびとの絵本に出てきた話を持ち出してくる。「えるさのくに」であり、「雪のこびと」が住んでいて、この電車に乗れば勝手に着くという、現実とファンタジーが当たり前のように融合している。
「おかあさん、ゆきだるまつくったことある?」
「あるよ。山ほど」
「へぇー!」
そりゃそうだ。
私の中ではファンタジーではなく、実感のある記憶として、雪だるまは存在するのだから。
特に思い出すのは、小学生ぐらいの記憶。
その日は「今夜は平地でも50cm、山沿いでは100cm積もります」と言われていた晩だった。
当然、山沿いに該当する我が家は、ただしんしんと真新しい雪に埋もれていた。
夜、私は玄関のポーチから、ぽつんとある向こうの街頭に照らされた、ふさふさとした雪の地面を眺めていた。
雪は、あかりに照らされると、夏の夜に飛び交う大量の羽虫に見える。
ただ違うのは、光に集まる気配も、乱雑に飛び交う様子もなく、ただまっすぐ落下していくのだ。
無心に吸い寄せられ、地球と一体化する。
私はいてもたってもいられず、地面に下りた。
ぶりぶりっと空気が固められる音。
そして、ぼたんゆきの降る中、雪だるまを転がし始めた。
最初はふぁふぁふぁっ、と毛玉のように転がせる。
段々ころころ、ころ、ころ、と少しずつ存在感が出てくる。
そのうちごろごろ、ごろ、ごろ・・・ごろ・・・という鈍い音と共に、両手でも押せないぐらいの重さになっていく。
ふう、と息をついて振り向くと、雪だるまの轍と私の足跡が、できた先から雪に消されていた。
私の黒いコートも半分白くなっている。
見上げた空からは、ぼたんゆきが無尽蔵に降ってくる。
このままずっといたら、きっと私も消されちゃう。
でも雪にとっては、家も人も土も木も、何も変わらないのだ。
そう。
そのとき私は、実感したのだ。
大きくても、小さくても。
生きていても、死んでいても。
楽しくても、寂しくても、うれしくても、悲しくても。
雪の前では、皆、何も違わない。
ただ等しく、まっしろに、埋められるだけなのだ。
「ついたー!」
ホームに降り立つと、下から吹き上げる寒気に出迎えられる。
その空気には確かに雪の気配があって、体の芯を潤す。
実家に着いた後、早速娘が「そとにいきたい!」と言い出した。
コートと長靴、身ひとつで雪の中へ向かう。
道路は融雪装置の力で、みぞれ状になっていた。
それをわざわざ、脇に寄せられた雪の部分を選んで娘は歩く。
空からは、細かな雪がちらちらと降っている。
「わー!」
一番近くの公園には誰もいなかった。
足跡ひとつない、まっさらな雪原がそこにある。
娘は、長靴に雪が入るのもいとわずに、のしのしと進んでいく。
これは後から冷えてくるやつだ・・・と私は経験上の予測がつくけれど、娘はそんなこと思いもしない。
滑り台の階段はマシュマロみたいだ。
ホイップがのった馬の遊具。メレンゲのブランコ。
娘は夢の国の階段に上り、きらきらした目であたりを見渡した。
「すごーい・・・」
言葉が雲になって溶けていく。
きっと娘は、この光景を一生覚えているだろう。
五段ほどで上れる小さな滑り台を、ものすごい高台のように思えた感覚も含めて。
そして、きっと
「・・・・・・」
案の定、冷たくなってきたであろう、足先の感覚も含めて。
娘は、滑らないよう慎重に階段を降り、その場でぴたりと止まる。
「・・・つべたい」
「雪? 長靴の中に入ったやつ出す?」
こくんとうなずく娘。しゃがんだ私の肩によりかかり、片足を長靴から出す。
靴下にべったり、長靴の中にもべったりと、半分溶けた雪が張り付いている。
「はい、取れたよ」
「・・・・・・」
はき直して少し歩くも、先ほどの軽やかな足取りは出てこない。積もった雪は娘の長靴の丈よりも高いため、歩けば歩くほど雪が侵入してくるシステムだ。
気づけば降ってくる雪のサイズも大きくなっていた。娘の小さな肩に遠慮なく居場所を作り始めている。
雪は、払えば落ちるが、振り払わなければ染みてくる。
「・・・・・・」
娘は雪を肩にのせたまま、無言で何歩か歩く。
小さな足跡がついていき、その上を新しい雪が更新していく。
また2回目の長靴内の雪取りを終えた後、娘がこちらを見上げた。
「かえろ、おかあさん」
「そうだね。帰ろうか」
冷やしたおもちみたいな娘の手を握り、さっき来た道を戻る。
「・・・かちんこちんになっちゃうー」
娘はもはや半泣きになっていた。
物心ついてから、初めての雪、初めての寒さ。
そりゃ身に応えるだろう。
「生まれた頃から寒い」のと、「物心ついてから初めて寒い」のとでは、きっと体感も違うはずだ。
私は寒くても泣いた記憶はあまりないが、それは「泣いたって暖かくならない」ことをわかっていたからな気もするし、泣いて立ち止まってたら雪に埋もれてしまうことを、本能的に感じ取っていたからかもしれない。
泣いたって、目の前の雪は減ってくれない。
寒くたって、歩かなければ死んでしまう。
祖父も祖母も父も母も、雪の予報なら朝は当然1時間早く起きていたし、夜は少しでも嵩を減らしてから朝を待った。
そこにメルヘンはなく、淡々とした日常があるだけだ。
でも私は、30cmでも1mでも、同じように対処し同じように乗り越えていく、そんな雪国の姿がとても好きなのだ。
日常のなかで共に暮らすうちに、やがて雪は溶けて、春がくることを知っているから。
北陸の冬にとって、雪は日常だ。
でも日常だから、いいのだ。
黒部峡谷にある、雪の大谷もいいし、合掌造りの雪景色もいい。
兼六園の雪釣りも美しい。
でもそれらは「おしゃれ雪」に近くて、大多数のそばにあるものとは少し違う。
雪が降れば、家庭では除雪をし、町では天下の除雪車を走らせる。
それでも懲りずに積もってきたら、また除雪をする。
もちろん寒い。でも、寒いなんて言ってられない。
とはいえ、まわりでは子どもが雪だるまやスキーや雪合戦をし、たまに大人も参加する。ちゃんと楽しむこともできる。
そして大雪の予報が出ても、学校は大抵休校にはならないし、職場もみんな、なんだかんだでほぼ時刻通りに動く。
そんな風に毎年、灰色の空の下で繰り広げられる、たくましい日常。
それが北陸の冬だ。
「あのね、おかあさん」
家に帰ってこたつに入りながら、娘が耳打ちした。
「あのね、あったかいゆきなら、すきだな」
あのね。そんな雪はないのだよ。
そして幾つものトンネルを抜け、私はひなたの国へと戻っていく。
私の愛する、冬の北陸。
今年もあって、よかったな。
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