適応障害 退職 これから
お疲れ様です。半年ぶりに更新します。誰も興味ないでしょうが暇になったので最近の近況を適当に書いていきます。まとまりが無い文章です。
何かアウトプットしないと頭おかしくなる。
今は無職になりました。今週の月曜日から一応適応障害になり職場に行けなくなりました。これ以上職場に行くの無理だなと思いました。
今年の4月から訪問看護で働き始めました。採用と転職活動自体は去年の7月頃から決まっていました。
なぜ転職したかというと前勤めてた職場がつまらなすぎたからです。前は老人ホームで看護師してました。すごく働きやすくて、給料も良かった。人間関係もよく仲のいい人や音楽の趣味が会う人と月一でスタジオなんかも行ってセッションしたりした。かわいい女の子も少なからず居た、基本年上だったが(そのせいで年上好きになってしまった笑)。自分を必要としてくれてて、辞める時にはまたいつでも戻ってきてね。と言ってもらえた。
でも毎日同じことの繰り返しと成長もなく、暇な時間が多すぎたことが苦痛となり辞めてしまった。暇な時間が多すぎた、毎日4時間かそれ以上は暇だった。羨ましいと思う人もいるかもしれないが、自分にはすごく苦痛だった。まだ社会人2年目でこれからという時期に何の成長もない職場でダラダラと働き続けるのは精神を病んだ。暇な時間は自分の将来や不甲斐なさ、周りの友人や同期と比べてしまい劣等感が頭の中を支配した。経管栄養の準備をしている時、なぜだか涙が溢れ泣き出してしまったことが一度だけあった。暇な時間はネガティブなことばかり考えていまい精神をとても病んだ。
自分は老人ホームで働く前は総合病院で新卒で一年近く働いていた。だが病院のマルチタスクな仕事内容と情報過多な環境(人の多さ、ナースコールの音、人間関係など)、人間関係(厳しい、怖い先輩、コミュニケーションが苦手)などから適応障害になりやめてしまった。始めの3、4ヶ月はなんとか通えていたが、次第に動悸と焦燥感が酷くなり、休日も仕事のことを思い出してしまい症状が治らない。休日だがリフレッシュなんて出来なかった。旅行に行ったり温泉に入ったりしても常に明日から仕事だと考えると憂鬱な気分になり不安で頭がおかしくなりそうだった。
入職8ヶ月頃、家(実家)を出ようとしたところどうしてもドアが開けられず、涙が溢れ、「行きたくない!!!」と叫び何度も床に頭を打ち付けていた。今思うと相当追い詰められていたと思う。まあ適応障害でもっと症状が酷い人なんてたくさんいると思うが。
それから1ヶ月休職し、結局退職した。今思うと傷病手当?とか貰ってダラダラ家で過ごしながら色々勉強すれば良かったかなとも思う。
やめた後は看護師派遣で実家近くの老人ホームで働いた。
まあそれでもう少し経験になる場所で働きたいと思って、訪問看護に転職したんだけど結局うまくいかなかった。やっぱりどこに行ってもコミュニケーションが重要なようだった。自分はかなり内向的でいわゆるHSP気質だ(あまり使いたく無い言葉だが)。自分は一対一のコミュニケーションは多分問題なく、特にご高齢の方と関係を築くのは得意だと思って訪問看護に転職した。だが実際に必要なスキルはいかに女社会でうまく立ち回るか、厳しい先輩と上手くやっていくか、細かく相手が求めている適切な報告ができるかだった。全部自分が不得意なものだった。というか今回働いてみて女社会は凄く独特というか、コミュ障の男が働けるような場所じゃ無いと悟った。
具体的には何というか仕事をする上での優先順位というか重視しているところが男とは根本的に違うなと感じた。そのせいで仕事もコミュニケーションも上手くいかず、注意されることも多くなり適応障害一歩手前のような状態になってしまった。もちろん看護師という仕事柄そこに適応できなかった自分が悪いが。
仕事をして感じたのが「女は過程重視」「男は結果重視」という点だ。
男の場合はさらっと流すような細かいミスでも女性の場合、細かいミスも許されることなく注意することが多いと感じた(教えて貰ってる立場で言うのも生意気だが笑)。なぜなら男は結果重視でいくら過程で細かいミスをしようが成果さえ出せれば基本的にはそれで許される。最終的に利用者が清潔になって問題なく過ごせるような状態になればそれでいい。
だが女性の場合は違う。いくら最終的に清潔になって問題なくケアが終わろうが、その過程でミスをすることは許されない。いくら清潔になろうが雑にケアしてしまったり、物品の準備が不十分でちょっと時間をとってしまうともうアウトだ。そのことについて細かく注意される。もちろん丁寧に仕事をするのは重要なことだし丁寧であるに越したことはない。
なんというか男と女では仕事で優先していることがズレているなと感じた。
そのことを強く感じたエピソードが看護学生時代にもある。
病棟での仕事の優先順位の判断をする練習の授業だ。想定されたシチュエーションでまず何の仕事から行って行くかという授業だ。10時から重要な点滴があるが、ちょうどナースコールが鳴っていて、更にオムツ交換も行かなくてはいけないみたいなやつ。
こういう場合、男の方が瞬時に正確な判断が行えた。男子学生は50名中5人だったが自分を含め男子全員が正解の優先順位をつけることができた。(ちなみに正解は1,ナースコール、2,点滴、3,おむつ交換)
だが女性の場合なぜかよく分からない優先順位の付け方をする。講師の先生もこの授業は毎年男性の方が正解率が高いと言っていた。
老人ホームで働いてた時も女性は主治医の先生の機嫌や施設長の機嫌を問題をシンプルに解決しようとしないと感じた。
お局みたいな人や女性社会特有の陰湿な人間関係も基本女性特有のものだ。
老人ホームで一時期一緒に働いてた男性看護師も同じようなことを言っていた。
なんかの本で読んだがおそらく狩猟時代の名残らしい。男はとにかく獲物を取ってこなくてはいけなく、細かいところに気を配っている暇はなかった。獲物を狩るという目的に一直線なのだ。
女性の場合、家で他の女性と細かいコミュニケーションをとり家事や子育てを行う。その際なにか問題に繋がるような細かいミスを起こさず、リスクに繋がるような行動は行ってはいけない。安定、安全な日常を送れるように行動しなくてはいけない。
その違いが現代にも残っているのだ。
自分はその違いに適応することができなかった。自分は大人しいが脳みそはゴリゴリの男性脳で結果重視だ。目的があったらそれを達成するために最短、最小限のリソースで到達しようとする。
その考え方の違いや仕事のやり方の違いが女性社会で働くということに全く適応できず働きにくさをとても感じていました。女上司とのコミュケーションも苦手で無能ぶりを露呈してしまいました。言い訳、甘えだということは自覚してます。
(あと雑談が多くて休憩時間とかお構いなしに平気で1時間使ってくる、同じような内容の言葉何度も繰り返す、何が言いたいか結局よく分からない)
女性の仕事の丁寧さはとても尊敬している。老人ホームで10歳ぐらい上の看護師(老人ホームの職場では自分が一応先輩)と仕事したがとても助けられたし仕事が丁寧で尊敬していた。看護という仕事はやはり基本的に女性の方が向いていると思う。
だが現代の看護師の職場の状況を見ると陰湿で働きにくく精神を病んでしまう人が多すぎると感じる。
女性の割合が多すぎる組織というのは仕事(患者の命を守る)を円滑に達成するという点に置いては少し不合理に働いてしまう点が多いと感じる。
病棟もせめて男女比が半々になればもっと働きやすく、退職する人も減るのではと感じる。女性が集まって仕事をすると細かな人間関係にも気を遣う必要が出てきてしまいどんどん陰湿になっていき、仕事どころではなくなってしまうと思う。
さてこれからどうしようか。訪問看護で働こうと意気込んで一人暮らしも始めたが無駄になってしまった。頑張って貯めたお金も一人暮らしの資金で消えてしまった。なんなら分割払いで10万ほど支払いが残っている。とりあえず一度実家に戻ろうと思う。つまらないと思いながら働いていたが老人ホームで働くのが自分には合っていた。戻りたいといえばまた雇ってくれるだろうか。あれほど働きやすくて給料もいい職場はなかなかないだろう。
自分には看護師という職業は向いてなかった。病棟でも訪問看護でも働けないとわかった今、他の職業を探すしかない。というかもう看護師はやりたく無いし、女社会で働ける気がしない、もう疲れた。
なんで看護師を目指したんだろうか。自分でもよくわからない。保育園の時、何故か将来の夢で看護師と書いたのを覚えている。保育園からの夢が叶って良かったな。
一応憧れていたのだろう。人の役に立たなければということに拘っていた部分もあった。人の命を守るという仕事に憧れを感じていた。その割には看護師の勉強も適当でやる気がなく、疾患についての興味も無かったが。患者のケアをしているときやりがいは感じていた。それに付随して資格職なので安定しているからというのが理由か。
自分の性格からも看護師は向いていないというのは分かっていた。それでも目指したのはもしかしたらコンプレックスの裏返しなのかもしれない。こんな俺でも人の役に立てるってことや、欠点に思っていること(内向的、コミュニケーションが苦手)を克服したかったのかもしれない。わざわざ克服することでも無いと今では思う。
何故か心の隅で看護師をしなくてはいけない。楽をしてはいけない。自分の好きなこと、楽な道を選んではいけないという強迫観念があるような気がする。それは幼少期に負った心の傷か育たなかった自己肯定感によるものだろうか。幼い頃は毎日両親が激しく喧嘩をしており、自分が母と喋ろうとすると父親が怒鳴り散らした。その体験から自分は過度に人の気持ちを気にするし、消極的になってしまったと思う。今でも父親には心を開けず20歳の頃離婚し別れた。たまに友人の家族で遊びに行ったりすることがあるが、父と子の関係に驚く。親子ってこんなに友人のように気兼ねなく喋るものなんだなと。自分の父との関係とは天と地の差だ。自分の父親との関係はエヴァのシンジみたいな感じかそれ以下だ笑。
これからは自分が心からやりたい、得意だと思えるような仕事をやりたいと思う。内向的で1人でじっくりできる仕事が向いていると思う。クリエイティブな事も本当は結構好きだ。幼少期は絵ばっかり描いていたし美術や工作の授業が好きだった。美術は成績が少し良かった。
人間向き不向きがあるし、苦手なことは得意な人に任せて自分は自分ができる得意なことをやって行くのが一番いいよね。まあそれを探すのもなかなか大変なんだけど。
今回の件でやっぱり看護師を続けるのは無理だってことがよく分かった。これで後悔は無くなった。諦めがついてスッキリした。
今度は自分の心に従ってやりたい、得意、せめて苦手では無いことを仕事にしていきたいと思う。
前からweb系やIT系に興味があった。やはり何かクリエイティブなことをしてみたいと思う。
実は昨日からなんとなくiPadでイラストとかも描いてるんだけど、凄く楽しい。下手だが3枚も作品を書き上げてしまった。なにか作品を作っている間は没頭できて嫌な事も忘れられる。
これからの人生苦手なことはやめて気ままに自分の好きなことやって行こうと思う。
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