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人間のあられもない姿~『苦役列車』~


印象に残った言葉たち

あくまでも、食う為の日当五千五百円のみが眼目なのである。

p.44

無論、貫多は最前の二人の会話等から、日下部と美奈子は自分とはまるで違く人種であることをハッキリと覚っていた。この二人はまともな両親のいる家庭環境で普通に学生生活を送って知識と教養を身につけ、そして普通の青春を今まさに過ごし、これからも普通に生きて普通の出会いを繰り返してゆくのであろう。そうした人並の生活を送るだけの資格と器量を、本人たちの努力もあってすでにして得ている者たちなのだ。そんな人たちに、ゴキブリのような自分が所期のかような頼み事をしたところで、どうで詮ない次第になるのは、とうに分かりきった話であった。

p.105-106

そして更には、かかえているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵食されながら、この先道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。

p.116

確たる将来の目標もない、相も変わらず人足であった。

p.122

加害者家族であったが故の罪なき罰として、すでに三十余年前に、十一歳にして人生終わっているのである。

p.155

しかし彼は、そんな状況にあるからこそ小説を書いているのである。自身をあらゆる点で負け犬だと自覚すればこそ、尚と私小説を書かずにはいられないのである。

p.155

もって実力派の書き手として、訳知らず編輯者から、訳知らずにでよいからチヤホヤされたかった。数多の女読者から、たとえ一過性の無意味なものでもいい、ともかく一晩は騙せるだけの人気を得たかった。

p.165

無論、金はいらぬが、それよりも名を得た方がいいに決まっている。
作家として広くに認められ、最早惨めな持ち込みするまでもなく、当然のように原稿依頼が舞い込んでくる身になりたかった。

p.166

西村賢太氏の作品の魅力はその人生の公理といおうか虚構といおうか、人々が実はひそかに心得、怯え、予期もしている人生の底辺を開けっぴろげで開いて曝けだし、そこで呻吟しながらも実はしたたかに生きている人間を自分になぞらえて描いている。それこそが彼の作品のえもいえぬ力であり魅力なのだ。

解説 p.168-169


感想

 めちゃめちゃ私に刺さる小説だった。なぜ刺さったのか言葉で現すことができなかったが、見事に解説で石原慎太郎が言葉にしてくれた。

 北町貫多の抱える、劣等感、妬み、そねみを私は見事に全部持っている。日下部に対する嫉妬、美奈子に抱える軽蔑感が痛いほど分かってしまった。北町貫多と同じ感情を持っている自分を認識させられた。

 私は、勉学、感情に対する並外れた劣等感を持っている。私より頭が悪い奴は勉強不足だと軽蔑し、私より明るく場に溶け込むことができる性格の持ち主に酷い嫉妬をする。電車でカップルがいちゃ付いている姿を見ると羨ましいと思う反面、私にはこれは無理だという感情が沸く。

 私は社会不適合者である自覚がある。この世は酷く生きづらい。


書籍情報

苦役列車
西村賢太
平成24年4月20日 発行
新潮文庫


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