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まず自分が「大人として」幸福になると、精神が安定する

昨日は寝過ごしちゃいました。続きを書きます。

人間的幸福とは、希望を伴う精神的安定と、自己が納得する形での精神的紐帯の実感が同時に成立していることである。ここにおいて、人間的であるとは、親愛なる存在との関係性に敬意を示すことである。

前回の話は、ここまででした。次の話ですが、ではその人間的幸福が、現代社会の中で追求されるなら、どのようなことがまた背景にあるのか、考えてみたいと思います。あくまで都市空間を中心とした現代社会について述べます。もちろんこの人間的幸福は都市部以外の空間においても同様に論じることはできると思いますが、現代という多様性を帯びた人間関係が複雑な状況において特に考えてみたいと思います。

現代社会における幸福の一条件は、安定したアイデンティティの成熟であると思います。これは自己の選択能力に責任を持つことで生じていくものだと考えます。複雑なモノや関係に囲まれて、不安定な状況の中で生きる個人が、自分の存在の確かさを実感するためには、まず自分に自信を持てる必要があると思います。その自信とは、自分の決断力を自分で信頼できることだと思います。

どんな生き方でもいいです。それが、自分の判断によって納得した生き方をしている、と実感することができるのであれば。選択肢が多い中で、自分で決定することは大変なことで、放棄したくあることもあると思います(これは学問的には「決定麻痺」と言われているそうです)。しかし、それを放棄すると、結局は「生かされている」という感覚につながり、自分の人生を生きているという感覚がなくなり、生きることを放棄する気分につながることもあるのではないでしょうか。

もちろん、社会的に立派な生き方をしなければならないなんて暑苦しいことを言うつもりは全くありません。その意味で言えば自分自身たいした生き方はできてないですし。でも、自分で選んだ生き方はしていると思います。それは、他の人から見たら、「生かされている」生き方をしているように見えるかもしれません。でも、僕自身は自分で今の生き方や、考え方を、選びました。それでいいんだと思います。

大人になっていく、という表現があると思います。大人になるとはどういうことでしょうか? いろんな答えがあると思いますが、自分は、成長し、自立していく中で、「選択や決定の場面に向き合うことが多くなっていくこと」だと思います。そしてその選択や決定に責任を持てるようになること、まさにそのことだと思います。この自己の意志決定がなければ自己の生命を生きているとは実感し辛い。そして、それがうまく行くと、自己の人生は自己の意思決定によって成されていると感じ、自己の幸福は、自分の意志決定によって獲得したものであると思うことにつながると思います。

つまり、「生かされている」のではなく自分の人生を「生きている」と思えること。それは「安定したアイデンティティ」の獲得には必要なことであり、自己の決定が正しかったか振り返る理性を備えた者は、さらに成長していく、つまりより「大人になっていく」ことができるのだろうと思います。

一方で、自己の決定によって何らかの大きな損失を被った場合、自分の人生に意味を感じられなくなることもあると思います。

この続きは次回書きます。



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