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クロワッサン症候群

最近はじめて知った言葉がある。

「クロワッサン症候群」である。

クロワッサンは美味しい。
パン屋さんから焼き立てクロワッサンの香りが漂ってきてもスルーして通り過ぎることができる人なんて世界中どこを探しても居ないのではないか。
(もし居たら連絡下さい。
ちょっとクロワッサンについて話し合いましょう。)

違う。私はパンの話をしたいのではない。
(しても良いが)

さて。
突然だが私は「四十路、未婚、出産経験なし」という女性である。
「私の人生に結婚はいらない。」
「私は子どもは産まない。」と決めて生きてきたわけではない。

逆に「絶対に絶対に結婚したい。」
「結婚はしなくても子どもだけは欲しい。」
という願望を抱いていたということもない。

ただ毎日を何気なく自然と生きてきた結果、現時点で結婚もせず出産もしていないというだけのことだ。

ただ、こうなっている。

難しいことは1つもなく単純な話だ。

1つの「状態」「状況」を表すだけのことが、何故か時に大げさな問題として捉えられるのが面白いな、不思議だな、と感じる出来事があった。

先日Twitterを眺めていたところ「クロワッサン症候群」という言葉が目に飛び込んできた。

とある飲食店が離乳食のサービスを始めるということに対し、ある女性が述べた1つの意見(自身の考え)に向けて「クロワッサン症候群」という言葉が使われていたのだ。

クロワッサン症候群とは

人生の選択肢としての結婚を拒絶したが、結婚適齢期・出産適齢期を越え、自らの生き方に自信喪失し、焦りと絶望を感じている中年女性の心理的葛藤の形容である。

Wikipedia

ですってよ!!!


「実際いるのかな……
クロワッサン症候群とやらに苦しんでる女性たち…」
というのが最初に感じたことであった。
そして何回か読み直すうちに「なんか全体的に仰々しく重たいな…」と感じ、最終的には違和感を覚えた。
嫌な苦味のようなものが残った。

私の周りは中年未婚女性が多く、子をもたない離婚経験者も多い。
先日そんな友人達に焼きた…じゃなくて覚えたてのクロワッサン症候群の話をしたところ全員が「何だそれ!」と驚いていた。

「結婚出産してないことで絶望するかね。」
「ないない。ありえない。夜勤の警察経由での措置入院のほうが絶望する。」
「あと新人が連絡なしで3日間バックレてるのも絶望。」
「そういえば脳外のイケメン研修医、眼科の女医とデキてるらしいよ。」
「嘘!!めっちゃ絶望じゃ〜ん。」
「ハイ、ぜつぼーぜつぼー」

……ほら、非クロワッサン症候群。



私の場合は両親とも「結婚どうするの」「孫の顔が見たい」というタイプではなかったため、結婚や出産へのプレッシャー&ストレスが全くなかった。

むしろ「あんた人生どうするの」「親の顔が見てみたい」と言われて育ってきた。


母においては「お母さんは今の時代だったら手に職をつけて結婚しない生き方を選ぶ。子も産まない。」とキリッとした顔で宣言していた。

まさに危機一髪。

あやうく存在していなかった私だ。

とにかく「何を持っているから幸せ、何を持っていないから不幸せ」とか「何をしたから自信がつき、何をしなかったから自信がもてない」とかそういうことではないと思う。

常に自分の気持ちにしっかり耳を傾けて自分の足で歩いてきたのであれば「今じぶんの目の前にあるもの」「今じぶんが立っている場所」に幸せを感じ、自信が持てるのではないだろうか。

私は自分の生き方が好きだ。
それは、今歩いている道や自分の周りに居てくれる人、目の前にあるものが好きだからだ。

「私が私を気に入っている」ということが大事だと思っている。

ここまでの道のりを振り返っても「あー楽しかった」としか思わず「ここから先も楽しいはずだ」と何の根拠もないが信じている。
自信とは「分をじる」と書くのだからコレで良いのだ。


ただ、万が一この道の先で「毎日かをちゃんに食事を作ってあげたい。」とか「日用品の詰め替えを全部やってあげたい。」とか、そういう物好きな人が現れたら更に人生を好きになってしまうだろう。
もちろん現れなくとも、人生も自分のことも嫌いになったりはしない。

肝心なことを書き忘れた。
もし物好きさんが現れた際には、どうやっても届かない背中への湿布の貼り替えもお願いしたい。

そして私はそのお礼に焼き立てクロワッサンをたくさん買って来ようと思う。