【掌編】世直しインターネット
私は夜な夜な巡回する。
一日の終わりにいつものようにベッドに寝転がりスマホを操作する。
X、インスタ、フェイスブック、あらゆるSNSに上げられるモラルを逸脱する投稿に罰を与えるのだ。今日はたまたま見つけたカップルYouTuberのカラオケ動画に「楽曲制作者に使用許可の申請をしてますか?」とコメントをする。もちろん運営側に規約違反の通報をした後で。
世の中で一番大事なのは規律だ。それを守らない奴らに私は鉄槌を下す。制裁の通報ボタンを押す度に脳の皺の間からネバネバした液体がじんわり滲み出るのを感じて私は気分が良くなる。
制裁したアカウントが無くなっているのを見た時なんて、私は嬉しくて口元の緩みを抑えることができない。この間は同僚の加藤さんに「佐々木さん、ニヤニヤして何か良いことあったの?」と聞かれて困ってしまった。まさか毎晩世直し活動をしているなんて言えない。
そういえば加藤さん、インスタで娘とその友達が写ったホームパーティーでの集合写真を自慢げに投稿してたけど、あれはちゃんと許可を取ったんだろうか。きっと加藤さんは普段から抜けているから取ってるわけないと思って、私は捨てアカウントで「未成年の顔を晒されてますが本人やその親御さんが了承した上での投稿でしょうか?」とコメントする。私をホームパーティーに誘っていればこんなことしなくて済んだのに。規律、制裁、世直し。
身近な規律違反を取り締まって満足感を得られた私は弾みを付けて巨悪に立ち向かうことにした。@muku-kyokoのXを開き、一番上の二週間放置されたドラマを宣伝する書き込みに匿名アカウントでコメントをする。
二週間前、夢空響子はテレビ局に向かう道中で接触事故を起こしていた。事故自体は豪雨に見舞われ視界が悪く、自動車が追い抜くときに軽く接触する程度の不注意から起こる仕方のない事故であった。しかし夢空響子は接触した直後、自身が運転する車を停めることなく現場を去り、何食わぬ顔でテレビ局での打ち合わせに参加していたのだ。接触された側が現場から警察に通報し、ドライブレコーダーを調べたところ夢空響子の身元が判明した。速報ニュースが上がった日の夜、事務所ホームページに謝罪文は掲載されたが、あの日から事故を起こした当人である夢空響子が声明を発表することも人前に現れることもなかった。
「今回は相手が車でしたが、子供を轢いても同じように逃げるのですか? 子供を持つ母親として許せません」と私は結婚してもなく子供もいないが、世直しの為に何処かにいるであろう母親になりきる。
昨日は別のアカウントで「デビューからずっと全作品観るくらい大好きだったのに残念です。記者会見を開いて響子さん本人の言葉を聞きたいです」と書き込んだ。この「大好きだったのに残念」という相手を一度持ち上げてからより深く傷つける言い回しが私のお気に入りだった。もちろん一本も作品を見たことはないし、報道まで夢空響子の存在すら知らなかった。でも悪いのは逃げた方だし、いつまで経ってもコソコソ隠れている夢空響子だ。こうゆう奴は色んな人達の様々な立場でのコメントを浴びせて分からせるしかない。
いつまで隠れてやがんだ、この卑怯モンがよぉー。
気付けば私は「あなた、生きてる意味あるんですか?」と打っていて我に返った。私は少し戸惑ったが、規律を守ることこそが正義だと言い聞かせて、投稿ボタンを押した。
その時、スマホがけたたましく鳴り響いた。
液晶には見覚えのない電話番号が表示されいる。こんな時間に誰だろう。私はおそるおそる通話ボタンを押した。
「......もしもし」
「佐々木朱美さんのお電話で間違いないでしょうか?」
「は、はい。どちらさまでしょうか?」
「私○○県警の者なんですが、つい先ほど夢空響子のXに不適切な書き込みをしましたね?」
「いや、そんなこと」
「データとして届いてますので言い逃れできませんよ」
「どうして」
「夢空響子なんていないんですよ」
「な、何言ってるんですか?」
「昨今の誹謗中傷を発端にした著名人の自死を問題視し、警察と芸能事務所で開発した鼠取り用の俳優なんです。定期的に嘘の報道を流し、不適切な投稿をした者を摘発しています」
「でもドラマに出てるじゃないですか」
「出演作は全部AIですよ。この世にいません。自殺を唆した時点で通報されます。詳しいことは署で説明しますので」
「そ、存在しないなら誹謗中傷になりませんよね!?」
「それではお聞きしますが、画面の向こうに血の通った人間がいると知っていて、どうして毎晩こんなにも酷いことを書き込めたんですか?」
何も言い返すことができない私は虚無へと投げ出された。そして夢空響子が虚無と虚空のアナグラムであることに気づいた時にはインターホンが虚しく鳴っていた。
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