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[書評] エッセイストのように生きる

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト書評家 として、
自らを定義しています。

自らをエッセイストと定義して、早数カ月。
執筆ペースは変化しつつも、
それなりにエッセイなるものを
書いてきている。

だが、今でも時々考える。
「エッセイとは何ぞや」

「定義」は理解しているが、
私は その「本質」を掴めているだろうか。

私は ものごとの「本質」を
見極めたいと思う人間である。
(それが高じて哲学者も自称している)

私なりの本質論は
「『本質が分かる』とは、
 それを一言で言い表せること」
である。

さて、私は自分の言葉で
その本質を語れるだろうか。


筆が進まぬ1周目

私がこの本を読み終えて まず驚いたのは、
「書評に何を書いていいか が全く分からぬ」
ということである。

私の場合、普通 1冊の本を読み終えたら
少なからず読後感であったり
得られた学びであったり
「この本は こんな本だった」と
何かしら思うし、書くことができるものである。
(読んだ全ての本の書評を
 書いているわけではないが)

ところが、この本は違った。
著者の主張する ある一節は、
たしかに印象に残った。
しかし、それだけでは
どうにも膨らんでこないのだ。

この本の書評など、
誰に頼まれたわけではないし
それで報酬がもらえるわけでもない。
(将来、この書評が本になれば
 少しは報われるかもしれぬが)

「この本では書評は書けないな…」と諦めて
次の本を手に取れば済む話なのではあるが、
こうなってくると意地でも書いてみたくなる。

そんなわけで、改めてこの本を
読み直すことにした。

問いを立て挑んだ2周目

「なぜこの本の書評は
 こんなにも書くのが難しいのだろう」

他の書評を書くことに比べて、
驚くほどに筆が進まない。
さりとて筆が進まぬほど
つまらないこと本であったかといえば、
決してそんなことはない。

著者によれば
「エッセイとは秘密の告白である」
という。

一方で 今の私は
「書評とは、本を通したエッセイである」
と考えているのであるが、
両者の間に何か「秘密」があるのだろうか。

あるいは職業エッセイストの著者と
素人エッセイストの自分とを比べてどうか。

なにも勝ち負けや優劣をつけたいわけではなく、
私の持っているエッセイに対しての考え方
(言わば「エッセイ論」)と
著者の考え方は どう違っているのだろう。

私なりに問いを立てて、
読み終えた本を もう一度読み直す。

私の中では
「エッセイとは気軽に読むもの」
というイメージ(定義ではない)があるのだが、
おそらく 過去に類を見ないほど
真剣に考えて読んだエッセイ。

そうして読み進めていくうちに、私は気付いた。

「鏡」

そうか、この本は私にとって
「鏡」なのかもしれない。

「鏡」の鏡たる所以は、
「ただありのままを映す」ということだ。
魔法の鏡でもない限り、
違う景色を映すことはない。

その映し出された鏡像に何を見出すか、
そこから何を考えるかは見る者次第である。
映ったものの良し悪しを、
鏡自身は教えてはくれない。

それと同様に この本も、
何も疑問を持たずに読むと
何も教えてくれない。

街中のショーウィンドウに
映った自分に気付いても、
横目でスルーするかの如し。
あるいは そこに自分が映ったことすら
認識しないかもしれない。

しかし 興味さえあれば、
ショーウィンドウも「鏡」になる。
鏡と向き合えば
今日の自分が他人からどのように見えているか、
自身でチェックをすることができる。

鏡と向き合うことで、
人は自分自身を冷静に見つめる。

私自身は「自分、イケてるな」と
思う部分がないとは言わない
(私は自身をイケメンと考えている)が、
かと言って「非の打ち所が全くない」と
いうほど傲慢でもない。

一瞬 鏡を見るだけなら
良いところだけが目に付くが、
長く見つめれば見つめるほど アラも意識する。

自分に足りないものは何か、
改善すべき点はどこか、
この本を読み返せば読み返すほど
その問答は深まっていく。

それらの「答え」が
この本にあるとは言わない。
あるのは せいぜい「ヒント」である。

しかしながら、望む「答え」も
「問い」があって初めて生まれる。
その意味では、答えを生むきっかけを
この本は提示してくれると言ってもいい。

まとめ

エッセイとはなんだろうか。
考え出すと エッセイほど易しく、
それでいて難しいものはない。

だが、難しく考えることはない。
なんでもエッセイになるし、
なんでも自由に書けばいいのだ。
ただ ひとつだけ大事なのは、
「考えぬ者には書けない」ということ。

もちろん全ての人が この本を読んで
エッセイを書くわけではないだろうし、
それが悪いことだとも思わない。

それでも この本には
「考える」ための生き方・暮らし方について
たくさん紹介されているから、
これを読んで、同意すること・しないこと を
自分なりに「考え」ればよい。

なにしろ「人間は考える葦」である。
一切 エッセイを書かない人間はいても、
一切 何も考えない人間はいないだろうから。

私は まだまだエッセイの
「本質」は掴み切れていないようだ。
それを この本は教えてくれた。

しかし、この本についての本質なら垣間見えた。

「この本は エッセイストにとっての
 『鏡』である」と。

これが、私の見つけた秘密の告白である。

こんな人にオススメ!

・エッセイストという生き方に興味がある人
・「エッセイとは何か」を知りたい人
・現代社会の喧騒から離れて生きたい人

こんな人には合わないかも…

・エッセイストという生き方に興味がない人
・考えて生きるより 本能的に生きたい人

お読みいただき、ありがとうございました。

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