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取り戻したい

先日、部屋の整理をしていたら、高校生時代の懐かしいものが出てきました。

新聞

私は高校生時代、新聞局(新聞部みたいな)に所属していました。
局長も経験しました。まあ、あまりこれといった役割はないのですが。

結構マイナーな部活動だと思いますが、どんな活動をしているかご存じの方はいらっしゃるでしょうか。

基本は校内のイベントや事件(?)を取材して記事にします。何か受賞した生徒や、特異な経歴を持つ先生、生徒から生徒会や教員側への意見、地元の議員、地元のイベントなんかにも取材をします。
取材が終われば、記事を書きます。先に割り付け(レイアウト)をして、およその行数を把握してそれに合わせて記事を書くこともあります。
記事に使う写真を選んで、キャプションをつけて、最後に見出しを考えます。(基本)A3用紙に片側印刷したものを2, 3日に1号発行していました。
写植と呼ばれるものも発行していました。普段は紙面は1枚ですが、写植は要は皆さんがイメージする一般の新聞です。大体長期休みに朝から晩まで作業をします。かなり人数が少なかったので、写植は大変だった記憶があります。

こんな風に普段作成している新聞を100号ごと、または大会があればそれごとにまとめて「縮刷版」として保管しておきます。写植も量が増えてきたので、通常版と一緒にまとめたものが私が高校3年生の頃にできました。
それが先日久しぶりに発掘されたのです。

大学生になってから地元を離れていたのですが、まさかこの家に縮刷版を持ってきていたなんて。
夢中になって読んでしまいました。


コラム

紙面に掲載されるのは記事だけではありません。コラムもありました。
各局員が連載コラムを持っていて、顧問や先輩からコラム名とロゴをもらいます。ペースは人それぞれですが、年に10本ほどが平均でしょうか。

部活動というよりも「仕事」みたいな新聞局の活動の中で、唯一自由で楽しい作業がコラムの執筆でした。

私の書いたコラム、面白いんですよ。
内容は他愛もない、友人の話、妹の話、先生の話、自分のクセの話、、、
ほんとに素直で、まっすぐな文章が多い。
だからこその発想や発見があって、くすっと笑える。
そりゃあ、どうりで当時ファンがいたわけです。
学校を去る先生方が、YONEのコラムが読めなくなるのが寂しいと言ってくれていたことを思い出します。

最近の私ではあんなもの書けません。
大人になるとはこんな感じなんでしょうか。
たった数年で私はずるくなってしまったようです。

あんな風に世界をみていたんだなあ。
何でも遊びにかえて、何に対しても面白いと思えていたあの頃の感覚は、もう思いだせないけれど、コラムを通じて感じ取ることはできる。
これが「ことば」のすごいところですよね。
あの時の言葉は、私の見ていた世界を教えてくれる。
でもあの言葉たちは今の私にも影響しているはずなんです。私の中にあるはずなんです。
取り戻したい。切実に思います。

これまで母校に訪問したいなんて思ったことはなかったのですが、初めてあの校舎にまた行ってみたいと思いました。
この春休みにでも行ってみましょうかね。



今度、過去コラムの振り返りみたいな記事も書きたいところですね。



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