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2022年の夏は、私たちが一緒に過ごした最後の夏休みだった

※ヘッダー写真の作品名「あの夏の江ノ島」


安田くんと過ごした日々

中学時代、男女の間には少し距離があった。男子と話すのが少し苦手だった。そんな時期にひとりだけ、気兼ねなく話せる男の子がいた。
彼の名前は、安田くん(仮名)
大柄でメガネをかけて、おおらかで落ち着いていて、お父さんのような雰囲気の人だった。誰にでも優しく、大人びた考え方の持ち主だった。

中学を卒業後、私は普通科の高校、安田くんは高専に進学した。その後、私は東京の大学に進学し、数年後に安田くんも東京の会社に就職した。それ以降、頻繁に会うわけではないが、共通の友人を交えた交流はずっと続いていた。

それが定期的に会うようになったきっかけは、7~8年前に、同級生の奈美ちゃん(仮名)が上京したときである。奈美ちゃんから
「東京に行くからご飯でも食べようよ」
と誘われ、せっかくだからと安田くんを誘ってみたのである。
奈美ちゃんと安田くんに面識があるかどうかはしらないが(笑)安田くんなら誰が来ても大丈夫だろうという妙な安心感があった。幸い2人は面識があったようで、私が待ち合わせ場所に行くと、すでに先に来ていた2人は打ち解けた様子で話し込んでいた。
それ以降、奈美ちゃんは年に数回仕事で東京に来る機会があり、毎回、安田くんと私に連絡をくれるようになった。
3人で遊ぶのはとても楽しかった。飲みに行き、いっぱいしゃべり、最後はカラオケに行くのがお決まりのコース。気前のいい安田くんは、いつも全額おごってくれようとした。それを阻止して私たちも払ったこともあったし、受け取ってもらえないこともあった。

安田くんはいつも大量にビールを飲むので、私たちはいつも彼の健康を心配していた。膵炎で入院したときは、奈美ちゃんが電話でお説教していた。
一度入院したあとは通院しながら真面目に治療しているようだったので、
「どれだけ言ってもお酒はやめないし、定期的に病院に行く機会があるなら大丈夫かな?」
と勝手に安心していた。


2022年の夏休み

2022年の夏は、奈美ちゃんが仕事で東京近郊に数ヵ月滞在したため、いつもより頻繁に、長時間一緒に過ごすことができた。休日に朝から晩まで一緒にいた日が何日かあった。

7月末には江ノ島に行った。ヘッダーの写真は、江ノ島に向かう途中に撮った写真である。とても暑い平日だった。安田くんと奈美ちゃんは休暇をとったのだが、私は全日の休暇がとれず、午前中は仕事をしたため、到着が遅れた。2人は江ノ島を散策し、江ノ島の入り口にある食堂で飲み始めていた。汗をかいたあとのビールの美味しさ、焼いたエビやイカの香ばしい匂いをいまでも思い出す。

8月のお盆の頃には、奈美ちゃんのリクエストで浅草の花やしきに行った。この日も、私は2人に遅れて浅草に到着した。安田くんから、
「遅刻大魔王の称号を与えよう」
というLINEが送られてきた。
花やしきのジェットコースターは長蛇の列だった。そのときに、安田くんが
「今夜は俺のおごりだから、とっておきの店に行こう」
と提案してくれた。
彼が連れていってくれたのは、米久本店というすき焼き屋さんだった。広い和室にテーブルが並ぶ、とても風情のあるお店だった。そこで食べたすき焼きはとても美味しかった。
その日、安田くんは、中学時代の思い出話や友達の話をしていた。長い付き合いだったのに、あんなに思い出話をしたのは、あれが初めてだった気がする。

奈美ちゃんは、その席で、
「お母さんが、安田くんとあんずちゃんとそんなに仲がいいなら、中学の頃から仲良くして勉強を教えてもらえばよかったのにって言うんだよ」
と言った。
中学時代、私は奈美ちゃんとは同じクラスになったことがあるが、安田くんとは同じクラスになったことがない。奈美ちゃんもたしかそうだろう。私は、安田くんとも奈美ちゃんとも話はするが、とても仲良し、というほどではなかった。
安田くんと私は優等生キャラではあったが、私たちが勉強を教えられるかはともかく、あの頃から3人で遊んでいれば、もっと楽しかったんじゃないかなという気がした。いつもおとなしい男子とつるんで漫画やゲームの話をしている優等生でお父さんキャラの男子と、どちらかといえばちょっと浮いている、よくいえばマイペースな女子2人。絶対に遠巻きにされる組み合わせだが、人目なんか気にする必要はなかったのに。
でも、そもそも当時の私は
「安田くんと奈美ちゃんを誘って遊んでみよう」
なんて思いつきもしなかった。
それが、大人になってこの3人でいろんな場所に遊びに行くことになるなんて、不思議な巡りあわせだね。
これからもいろいろなところに遊びに行こうね。
そう思っていたのに、これが3人で集まる最後の機会になった。


突然の別れ

翌年の夏は、3人で集まることができなかった。奈美ちゃんが上京する日に食事をしようという話があったのだが、安田くんが仕事で来れなくなった。お詫びにLINEギフトでスタバのチケットを送ってくれて、
「ありがとう、でも、そんなに気を遣わなくていいのに!」
と返信した。それが最後のやりとりだったかもしれない。

10月の初め、中学の同級生かつ、高校でも一緒だった男子から久しぶりに連絡が来た。彼は中学時代、安田くんの親友だった。
「おひさしぶり。安田くんが心不全で亡くなった」
え…?
何それ?
心不全って何?心臓悪かった?そういえば、血圧が高いって言ってたね。さらに膵臓が悪くて、もしかしたら糖尿病もあった?もう、あんなにお酒飲むから…
いろいろな想いが巡るが、涙は出てこない。
奈美ちゃんと、もう1人、安田くんと仲の良かった同級生の女の子に電話で伝えるのが精一杯だった。2人と何を話したのかは、よく覚えていない。


ありがとう、また会おうね

その後の話だが、安田くんのご実家は中学時代に住んでいた場所にはもうなく、ご家族はご親戚のいる隣県に引っ越していた。ご家族の菩提寺もその近くにあり、私の実家からは1時間半ほどかかる。
奈美ちゃんは亡くなった翌月にご実家に弔問に行ったが、私はなかなかタイミングが合わず、5月末に他の同級生と2人で納骨堂にお参りし、ご実家にもお邪魔した。
ご実家で弟さんに聞いた話によると、安田くんはいろいろな疾患があり、亡くなった日も体調不良で仕事を休んでいたらしい。膵炎でも2回入院していた。1回目は私たちも知っていたが、その後もう1回入院していたのだ。2回目に入院したときは
「仕事に行く」
と言って病院を抜け出そうとし、医師から
「そんなことをしたら死にます!」
と言われていたらしい。
それほど熱意を持って仕事をしていたから、成績も良く、会社では何度も表彰されていたらしい。そして、会社の仲間からとても愛されていた。
会社だけじゃない。彼が亡くなったと聞き、高専の同級生やその家族、行きつけの飲み屋の店主や常連さんが駆けつけた。彼が飲んだ帰りに話しかけて仲良くなったストリートミュージシャンの人も、CDを持って弔問に来たらしい。
中学時代から人柄は少しも変わらず、万人に愛される人だったんだな、人徳のある人だなと改めて感じた。

不思議なことがあった。彼の実家を訪問する前日に、安田くん、奈美ちゃんとのグループLINEに、安田くんがまさにその日に退出したという履歴があった。さらに、安田くんのアカウント名が「Unknown」になっていた。これは、彼のアカウントが削除されたということだ。
翌日、弟さんと会ったときに
「LINEって、アクセスしなくなって一定期間経てば自動的にアカウントがなくなるんですかね?」
と話していたのだが、帰宅後に改めてLINEを見ると、5年前に亡くなった知人のアカウントは残っている。ググってみると、アクセスしなくなって1年以上経てばアカウントが削除されることもあるのだが、それも絶対というわけではないらしい。安田くんは10月に亡くなっているし、その直前までご家族とのやりとりはあったそうだから、まだ1年経っていない。ということは…
「安田くんが自分で削除して、グループからも退出したんだな、うん」
と私は納得した。少しも怖いと思わなかったし、むしろそうであってほしいと思った。
一緒に行った友人も、
「うちらが会いに行く前日までは、アカウントを残してつながっていてくれたんだね」
と言っていた。
安田くんと長年付き合ってきた私たちは確信できる。彼はそういう粋なことをする人なのだ。

安田くん、いままでありがとう。きみは、人生最初で最高の、心を許せる男友達で、最後までそうでした。ずっと仲良くしてもらえて、本当に楽しかった。
安田くんは絶対に天国にいるだろうから、私も天国に行けるようにこれから徳を積みます。でもすぐには行けないので、また
「遅刻大魔王め!」
といじってください。
再会したときは、また遊んでね。

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