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「嫌われているという思い込み」で自分を守っていた

「私は嫌われている」という思い込み

この記事でも書いたが、学生時代の私は、友達と仲良くするのが苦手だった。思い返せば、20代の途中までも苦手だったかもしれない。

友達と仲良くするのが苦手だったのは、私は嫌われていて、私から話しかけられたら嫌だろうと勝手に思い込んでいたからである。
「私が嫌いなんじゃなくて、相手が私のこと嫌いだからー」
と相手の非にしたかったのである。
そうやって付き合う相手を極端に限定することで、自分を守っていた。いま思えばめちゃ子供で利己的である。挨拶もできない、感じよく雑談もできないなんて、人間失格とは言わないが、社会人失格である。


「私を嫌っていたあの子」との再会

数年前に、高校時代の同級生・洋子ちゃん(仮名)からFacebookで友達申請が来た。高校を卒業してから20年、完全に音信不通だった相手である。とりあえず承認はしたが、メッセージを送ることはなく放置していた。なぜなら、私は洋子ちゃんに嫌われていたと思い込んでいたからである。友達申請を承認したけど、何を話せばいいのかわからない。
承認した数時間後、洋子ちゃんからメッセージが送られてきた。

洋子「ひさしぶり!承認ありがとう。いまは〇〇(私の故郷)に住んでいて、XX(仕事)をしています」
「ひさしぶり!懐かしすぎてびっくりしたけど、連絡がとれてうれしいです。いま、〇〇にいるのね。同窓会とかで会えたらうれしいです」
洋子「うん、高校の同窓会には行ったことないから行ってみたい。帰省するときは声をかけてね」

うん?私、嫌われてなかった?っていうか、どうして嫌われたと思っていた?
2年生で同じクラスで、3年生で別のクラスになって疎遠になり、そのまま卒業しただけじゃない?
そりゃ、高校生は未熟だから、何か気まずい雰囲気になったことがあったかもしれない。でも、一生連絡をとりたくないとか思うほどのことはなかったよね?Facebookで見つけたら懐かしくて友達申請しちゃうし、また会う機会があればそのときは談笑くらいできるよね?
ここで、私は洋子ちゃんに嫌われている、という思い込みを捨てざるを得なかった。

その翌年、私が高校の同級生の集まりに参加するタイミングで洋子ちゃんを誘ってみたら、快く一緒に来てくれた。
ふたりだけではあまり話せなかったけど、同級生も交えて近況や、高校卒業後どうしていたのかを話し、みんなでたくさん笑い、帰り際に
「楽しかった、面白かった」
と言ってくれたので、私もとてもうれしかった。
嫌われているという思い込みを捨てたから再会できたのである。つくづく、そんな思い込みを持っていたことで損している。だから、いまはそんな思い込みは持たない。

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