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【教員生活8週間目】ハンセン病との出会い😐 人権教育に必要な考え方とは?

こんにちは!
今週も濃厚な一週間でした。
子どもたちは毎日元気に来てくれています。
最近、子どもたちが「めんどくさい」という言葉をよく使うので、ルパン三世の峰不二子の名言を後ろの黒板に残してみました。

「もう無理」と思ったらやめるべき。
「めんどくさい」と思ったら続けるべき。

いい言葉ですよね。
宿題めんどくさーいって言われるたびに、後ろ見て!って言うと、そうだった!と笑ってくれます。
確実に前進しているな、と感じました。



今週は地域の研修があり、人権教育について学んできました。
その中で感じたことを書いてみようと思います。

人権教育の教材として、ハンセン病について学びました。
お恥ずかしながら、私はハンセン病という名前を耳にしたのが初めてで、全く知識がない状態でした。😳
すぐに症状や歴史、現在の状況などを調べました。
以下は研修で学んだことです。


ハンセン病患者は「ハンセン病療養所」に隔離され、多くの権利を剥奪されました。1996年に「らい予防法」が廃止され、2001年には日本政府が患者に対して公式に謝罪しました。しかし、差別の影響は長く続き、元患者やその家族が社会復帰するための支援が今も続けられています。
厚生労働省が実施したハンセン病問題に関する意識調査を見てみると、ハンセン病に対する誤解や差別的な認識が依然として根強いことが明らかになりました。
現在でもハンセン病回復者やその家族に対しての差別は存在しています。
調査によると、回復者やその家族と手を繋いだり、結婚したりすることに抵抗感を示す人が依然として2割ほどいるようです。

なるほどなぁと。
病気に起因する差別は歴史上数多く存在していますが、日本でもこういうものがあったんだな、と勉強になりました。

その後研修では、差別が未だにあるのは人権教育がなっておらず、正しいハンセン病の知識を伝えられていないからだ、と結論付けていました。
ハンセン病は科学的には、非常に感染力が弱いです。
それなのに症状の見た目から、感染しやすいという誤解が広がり、激しい差別につながりました。
正しい知識を国が教育の過程で教えていないのが問題だというのです。
講演者は、ハンセン病回復者やその家族が隔離された島に行って衝撃を受け、この問題をどうにかしたいと感じて周知に努めているようです。


うーーーーん。
なんだかいろいろモヤモヤします。😔
ハンセン病問題はたしかに深刻でしたが、現在被差別者は80歳を超えていて、正直収束は時間の問題です。(本当の意味での解決ではないが)
現在、私のようにそもそもハンセン病という言葉を聞いたことがない人が多く存在します。
つまり大分落ち着いている状況なんです。
わざわざ大きな声で周知しないほうが、ハンセン病差別の解消は速く終わると思います。
中途半端な知識がある人のほうが差別をする、というデータもあるようです。


寝る子を起こすな、とは言いますが、まさにその通りではないかと思いました。
実際、講演者が初めてハンセン病を広めようとしたときは、当事者たちから猛反対にあったそうです。どうかそっとしておいてくれないか、と。
けれども、「動かなければ何も変わらない」という信念の元、活動を続けるうちに支持者が増えていった、とのことでした。

うーーーーーーむ。
やっぱりここで動くのは、ナシじゃないのかなぁ。。。
たしかに、ハンセン病問題を、人権教育の教材として利用したいのなら掘り出す価値はあると思います。あくまで無関係な人にとっては。
しかし、教材として利用するために、「動かなければ何も変わらない」というエゴで介入し、ようやっと落ち着いてきている問題を掘り起こすのはちょっとどうなのかな、と思いました。

教材として利用するにしても、歴史上に似たような話はたくさんあるはずです。
ペストやスペイン風邪、天然痘やHIVなど、その前後までわかっている教材があるのだから、そちらを使えばいいのに、と思ってしまいます。

人権教育は大切だと思います。
ただ、目的は人権感覚を育てて具体的な行動につなげることであって、その手段として、起こった事例を教材として使う、という流れだと思います。
今回のやり方では、手段としてのハンセン病が、目的寄りになってきているのではないかと感じました。


また、厚労省の調査で明らかとなった、「回復者やその家族と手を繋いだり、結婚したりすることに抵抗感を示す人の割合が2割ほどいる」という事実に対して、「正しいハンセン病の知識を伝えられていないことが問題」と言われていましたが、それもどうなのでしょう。

手を繋いだり、近くに寄ったりする行為に抵抗感を覚えることを、人権教育の敗北と言ったり、差別だと言ったりするのは、危ういとさえ感じます。
たしかに、ハンセン病回復者に対して直接差別的発言をするのはよくないことです。絶対にダメだと思います。
しかし、いくら科学的に遺伝などの問題がないと分かったとしても、それが人の感情に結びつくとは限らないと思うのです。

どれだけ科学的なデータを並べられて、理屈で覆い尽くされようとも、感情的にどうしてもいやだ、と感じる人はいると思います。

例えば、ゴキブリは多くの人から嫌われています。
私もすごく苦手です。
仮に目の前に出てきたゴキブリが、科学的に無菌で人間への害がないと言われればどうでしょうか。
よし、それなら触ってみよう、飼ってみようと思うでしょうか。
私は思いません。
菌がとか、害がとかではなく、生理的に受け付けないからです。
理屈ではなく感情の問題なのです。

それを、科学的に害がないからといって、抵抗感を覚えることを差別だ、と捉えるのは厳しすぎるのではないでしょうか。
抵抗感と差別が結びつくのはよくないことですが、どうしても避けたくなる気持ちはあると思います。
綺麗事では埋まらない溝を感じます。
きっとみんなそれを感じてはいるけど、正義を盾に追い詰められている印象を受けました。

(私はいい例が思いつかずゴキブリを挙げましたが、もちろんハンセン病の関係者に対する悪意は一切ありません。
なんならゴキブリは極端な例ではなく、ハンセン病患者の方がひどい扱いを受けていたことを今回知ることができました。)


理屈と感情を分別せずに問題を考えるからややこしいのかもしれません。
世の中理屈で動く人と感情で動く人がいると思います。
私は理屈寄りですが、感情で動く気持ちも理解できます。
理屈と感情が両輪となって進んでいく状態が健全なのかな?(また今度考えてみます笑)

まぁとにかく、ハンセン病に限らず、人権教育ではその両方からのアプローチが必要なのだと思います。
特に子どもは感情の車輪のほうが大きいことが多いです。
理屈はあくまでおまけ、ということもザラだと思います。
理屈と感情が両輪になっているのではなく、感情を後押ししたり落ち着かせたりするために理屈を使っているのかも。。。

だからこそ、科学的な視点からの説明も大切ですが、共感できるコンテンツを用意することが必須だと考えました。
ハンセン病回復者やその家族の体験談を共有することで、感情的な共感を引き出したり、物語に深いストーリーを与えたり、、、
具体的な人々の物語は、数字や統計以上に心に響くものですよね。

理屈と感情を分けて考えて教育の実践につなげることは、子どもたちが他者への共感を持ちながら、誤解や偏見を解消するための理論的な基盤を持つことに結びつくのではないか、と思います。
人権教育に限らず、こうした視点は大切にしたいです。


素直に研修の意図通りに受け取れば楽なのに、こんな風にぐねぐね道に行ってしまうのは考えものですね😂
もしもし万が一、億が一、その時の講演者の方がこの記事を見ていたら、、
批判的なことばかり言って本当に申し訳ないです!!
真剣に聞いて真剣に考えてみたので許してください😐


またまとまりのない文章になってしまいましたが、ここまで読んでくれた稀有な人!
本当にありがとうございました!!

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